2009年11月4日水曜日

麸屋町

今日は、また猛烈に、内容の濃いご奉公。とにかく、いろいろな意味で、苛立ちや焦りがある。危機感の共有ができない。異体同心とは、単に価値観の異なる個人個人が仲良く、心を一つにしましょう、という意味ではない。「お祖師さまの御心の下」で「心を一つにする」という意味。お祖師さまの、抱かれていた、危機感を、立正安国論から少しでも感じさせていただくべき年だったはず。まだまだ、だ。夜明けは遠い、か。

今夜は、18時から長松寺の御総講。麸屋町に急いで帰らなければ。

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