ディリーパ君のことは、ここでも何度か書かせていただいてきました。とても素晴らしい青年で、未来のスリランカどころか、世界のリーダーになる資質があると見て、応援したいと思っています。御題目口唱の姿が違います。その声が違います。本当に、唱え込んでいなければ出ない声、椅子に根が生えたようなどっしりとした姿勢。
修学塾とは、御講師方の定期勉強会です。私の担当は「弘通学」という分野で、ここで約20名の御講師方に対して教鞭を取っています。テキストを読むことは当然ですが、海外弘通の現場のビデオを見ていただいたり、各寺院に於けるご奉公の仕方をディスカッションしたり。
特に、今回は「寺よ、変われ」「がんばれ、仏教」という本やその主旨の紹介、Y先生の書いてくださった「佛立宗は消滅した」という論文の紹介などをして、より危機感や使命感を持ったご奉公に努めるべきであると講義を展開しました。きしくも、テキストの結びには、既成化に抗して、壁の塗り替えではすまない御本意にかなったご奉公に立ち返るように、との記述。彼らへの本年度の課題は、そうした課題を見据えた上でのご弘通ご奉公の在るべき姿、方策などをレポートするようにと提示しました。
午後、ディリーパ君と私とのパネルディスカッションを展開。彼を教壇に座らせ、私は生徒の席について質疑応答。馴染みの薄い、海外でのご奉公です。彼は、その現場でご奉公し、その国の文化で育ち、その文化の中にいて、本門佛立宗のご弘通ご奉公をされている。その最前線にいる彼の言葉は重く、必ずや私たちのご奉公に資するはずだと考えました。
まず、現在のスリランカのご弘通状況を教えてくださいという質問に、彼から詳細に説明があった。スリランカ全土に広がったHBSのセンターとブランチについて。続いて、ご奉公の内容について話をしてくれました。もう、流暢な日本語で、御講師方にもストレートに入ります。
彼から、「今は、毎週日曜日に御講ミーティングがある。この御講には、南部の都市ゴールや遠方からもご信者さんが来ます。毎月一回、ゴールやマタラやクルナヤガラやガネッムッラ、パーッドゥッカで御講があります。毎週土曜日には3時間の口唱会をさせていただいています。ほとんどのご奉公は週末になってしまいます。それは、スリランカにはフルタイムのお教務さんがいないからです。ご信者さんの「学徒」が中心となって、仕事をしながらご奉公をしています。御本尊のご奉安や口唱会、お助行は平日の夜もご奉公をしています。センターでは毎日朝参詣もありますが、スリランカでは夕看経の方がお参詣が多いのがスリランカです。」と説明がありました。
また、「お教化ミーティング」について。これは、ご信心に興味を抱かれた人がいると周りの親戚や友人にも集まってもらって本門佛立宗の教えを説くものです。日本ではあまり見られなくなったご奉公、というか、そういう機会を持てていないのが現状ですので、これを聞きました。
「あるご信者さんが、自分の友だち、近所の人を集めて、スリランカ本門佛立宗の学徒やシニアリーダーを自分の家に呼びます。そして、そこに集まっている人に対して『本門佛立宗の教えとは何か?』『法華経とは如何なる経典、教えか』というお話をします。お教化ミーティングは、自分の家でお助行や口唱会をいただく時にも、ご信者でない自分の友だちを呼んだりして行うこともありますし、お助行や口唱会の前にお教化ミーティングをすることもあります。」
御本尊を奉安させていただくまで、スリランカ本門佛立宗では厳しいルールを設定していると聞いたのですが、基本的にはどういうものでしょうか、と聞くと、「お教化になった後、御講ミーティングやオリエンテーションに参加してもらうようにしています。最初は3ヶ月という期間を考えていましたが、今は6ヶ月間、本門佛立宗の教え、信行ご奉公について詳しく知っていただく。その教えに順応していただく。そして、ようやく御本尊を拝受できます。御本尊奉安から3ヶ月間、またお参詣に努めていただきます。私たちは、そういうご奉公を進めるために、お助行に行かせていただき、お宅で口唱会をさせていただきます。新しいご信者さんに強いご信心を育ててくださるために、このようなご奉公をしています。」と応えてくださり、みんな敬服して聞いていました。
私から「日本だと、そのようなご奉公をするとお教化やご奉安が難しくなると考える人が多いと思いますが、スリランカではどうですか?」と聞くと、「スリランカでは、御利益をいただきたいと願ってご信心をはじめる人も当然いるのですが、その多くの人たちは『正しく仏教を実践したい、学びたい』と思ってご信心をはじめる人が多いので、前向きにオリエンテーションにも参加しています。」というお話だった。
あらためて、私から「海外の人から見て御題目のご信心は何が有り難いと思いますか?」という基本的な質問には、「スリランカは上座部仏教の国ですが、上座部仏教を信仰していても、教えだけで修行をしているわけではないのが実状です。何よりも、彼らは『菩薩行』をしていません。『菩薩行をしながら御利益をいただく』という佛立宗のご信心が有り難いのです、と言う人が多いのです。」との答え。
さらに、「スリランカの人たちが御題目を唱える理由は?」という質問をしましたが、これには「スリランカの人たちはさまざまな問題を抱えています。実は自殺率も高いのです。一番の問題は経済的な問題でしょう。仕事をしていても生活ができない。上座部仏教や、その他に何をやってもその問題には具体的な答えがない。しかし、本門佛立宗のご信心では御題目を唱えると自分が幸せになれる。ご信心をすれば、経済的な問題が具体的に解決していくのはもちろんのことですが、そうでなく前と同じような問題が抱えているけれども、『ご信心をした後は幸せに暮らすことができています』と言うご信者さんが大勢いるのです。」と話してくれた。
少し核心的なこと触れるつもりで、「上座部仏教(小乗仏教)と日蓮聖人のご信心の教えの違いは?」という質問には、「小乗(上座部)仏教は、わがままだと思います。それらでは、いつも自分のためだけにやっています。しかし、本門佛立宗のご信心は、ご信者さんではない人をお教化したり、応援したりという菩薩の生き方をしています。ここが違いだと思います。」
私から少し踏み込んで、「上座部仏教の中にも『慈悲の瞑想』というものがありますね?」と聞いた。不思議なことだが、今やスリランカ仏教の長老が出版物を次々に出していて、それらが人気を博している。日本人は、真新しい仏教として受け入れ、既成仏教諸教団に全く期待していない世相を反映して注目を集めている。あまりにも、スリランカの実状、私たちがスリランカで感じている人々と上座部仏教との関係、スリランカ人が感じている上座部仏教に対する実感とかけ離れているので、聞いてみたいと考えたのだ。
「いま仰ったのも分かります。小乗仏教では悟りの段階を大きく3つに分けています。「シーラ」は「precepts」の意味で「戒律」。「サマーディ」は「定」の意味です。「プラトゥティナ」はとても厳しい座禅です。レベルが高い人はプラトゥティナ・メディテーションをしています。 特に、多くの人が行う「サマーディー」では、私たちの「グリーディ」「アンガー」「スプティディティ」をコントロールします。これは、結局「貪欲」「瞋恚」「愚癡」という三毒のことです。これと瞑想の中で対峙し、そこから逃れる。」
清潤「小乗仏教ではポジティブな気持ちがなくなると多くのスリランカ人は言いますね?」、ディリーパ君「はい。『混乱する』と言うご信者さんが多くいます。実際、頭がおかしくなってしまう人もいます。」、清潤「それは、天台大師の言う魔事境や病魔境ですね。」、ディリーパ君「えぇ、自分が仏になったという人もいました(笑)。阿羅漢になったとか、特別なパワーを持ったと言って占いをやりはじめてしまう人もいるんです。心を見過ぎて、おかしくなってしないます。」。
この後、スリランカにある日本の仏教団体、日蓮正宗や創価学会や真如苑などについても論じて、その違いを彼の口から聞いていった。本当に、こうして聞いていくことで、私たちのご信心の尊さや有難さが浮かび上がってくる。それが、有難いことだ。私たちが気づいていないこと、忘れてしまっていることが明らかになる。
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