2009年11月1日日曜日

班長さんへの手紙

 ありがとうございます。

 いよいよ11月となりました。今月は、本年締め括りの高祖会があり、役中選挙のご奉公も御座います。是非、ご自身の功徳、健康や幸せのために、前向きな姿勢で取り組んでいただきたいと思います。

 人間とは不思議なもので、声をかけられないと動けないものです。末法は自分から進んでご信心できる人が少ないものです。声を掛けられ、勧められて、ようやく腰が上がります。そうした機会を重ねて、ようやく信心の芽が吹き出します。必ず感動ができるよう、心を配ってご奉公しますので、ぜひ高祖会のお参詣を勧めてください。

 ご奉公のお役も同じです。お役を受ける前は、ほとんどの方が躊躇してしまいます。ご奉公を受けたら大変だろう、時間がない、何をしていいか分からない、そんな力も、ご信心もない、と考えてしまうのではないでしょうか。末法では、そう考えてしまうのが普通かもしれません。しかし、それでお役が出来なければ、ずっと同じなのです。佛立信心は、周辺にいる「お客さん」には分からない「妙味(御利益)」があります。第一、お役をいただいてこそ信心に前向きではない自分がご奉公に進み出せます。

 お役中さんは、御法さまと一緒、住職や教務さんと一緒に、菩薩行に励む方々です。御法さまと一体になれます。「お客さん」ではなく、「ホスト(主人)」側に立って菩薩行に進み出すのですから功徳は数倍、お導きもお守りも、数倍いただきます。どうか、みんなで励まし合って、押し付け合いではなく、お役をいただくことの大切さを考え、明るく、楽しく、ご奉公態勢を作っていただきたいと思います。素晴らしく、温かく、情熱的で使命感に溢れた妙深寺で、一緒に、ご弘通ご奉公に頑張りましょう。

 過日、壮年会の方々が長野教区にお助行に行ってくださいました。妙深寺報に掲載されていますのでお読みいただきたいと思います。身近にお寺がある、住職や教務にいつでも会える。長野という地でご信心に励む方々とふれ合って、壮年会の方々は新たな発見をしたと感動されていました。「当たり前ではない」ということに気づき、妙深寺の近くでご信心できる幸せをかみしめる。大切なことだと思います。

 長野のご信者さんの、
「妙深寺のご信者さんは幸せすぎて不幸だと思います」
という言葉。心に深く残りました。

 妙深寺は、本当に素晴らしいお寺です。生きたお寺であり、明るいご信者さん方がまごころのご奉公をしてくださっており、立派な本堂、素晴らしい施設があります。不備な点もあるかもしれませんが、愚癡を言ってはもったいないほどの果報をいただいております。

 お寺が遠い、お寺が暗い、ご信者さんの仲が悪い、住職や教務がいない、ご指導が行き届かない、ということもない。長野のご信者方から見れば、それが本当に希有なことだと分かる。しかし、中にいる人にはなかなか分からない。気づけない。

 妙深寺の庫裡には、松本日華上人の、
「何事も感謝の念の起こるのは 勿体なきの心なりけり」
という御歌の扁額が掛けられていますが、「もったいない」という心を忘れてしまうと感謝の気持ちが湧いてきません。当たり前になってしまうことほど、恐ろしいことはありません。「有難う」とは「有ることが難しい」ということで、「サンキュー」ではなく「もったいない」という意味です。

 幸せ過ぎて不幸になることがあります。「恩」を感じて「感謝」する。感謝は行動に表してこそ本物です。お互いに11月の信行ご奉公に頑張りましょう。

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