2009年11月2日月曜日

お会式のような月始総講

 11月1日の月始総講は日曜日に当たっていて、たくさんのお参詣者をいただいた。本当に、ありがたい。295名のお参詣をいただき、「もう、お会式の一座じゃないですか」と声を合わせた。寒参詣、夏期参詣以外では、記録更新。寺報も間に合ってよかったぁ。何度も書いているが、10年前は日曜日でも170名くらいだったのだから、有難いことだ。グングン、これからもお参詣が伸びてゆきますように。
 お参詣者の顔ぶれも変わった。お会式やお彼岸の総回向の時には「お見かけしたことのない方だなぁ」と思うことがある。それは、普段お寺にお参詣しない方々も「特別な法要」という性質があるお会式や総回向には参詣するということがあるからだと思っていた。しかし、昨日の月始総講は、本当に、新しい顔ぶれ。執事長も、「いよいよ世代が交代してきたということでしょうか」と言っておられた。その通りだと思う。
 11月1日は、ブラジル本門佛立宗開教の師、茨木日水上人の祥月ご命日。御縁の深い妙深寺でもご回向をさせていただき、ご恩のある者は御塔婆を立ててご回向させていただいた。その特別な日に、ブラジルの御講師、モライス教竜師が妙深寺にいる。法深寺からは鈴木英信師も出座されていた。不思議な御縁を感じた。妙深寺の初代ご住職・日博上人も、さぞお喜びになられていると思う。ブラジルのご弘通をサポートすることが日博上人の念頭には常にあった。いま、妙深寺もこうしてブラジルの御講師方をサポートできていることが嬉しい。教竜師、英信師、エリカさん、みんなで日水上人の報恩塔婆を建立してくれていた。
 そして、もう少しで横浜を離れるモライス教竜師に、今一度、この日水上人の祥月ご命日に当たって、「日水上人奉賛歌」を歌っていただいた。スクリーンには日水上人のご生前のビデオを流して…。やはり、いつ聴いても胸がジーンと熱くなる。日水上人のお姿が映し出されると、日博上人が仰っていた「日水上人の手はグローブのように大きかった。苦労に苦労を重ねた開拓者の手だった」という言葉を思い起こす。お参詣の方々には、日水上人奉賛歌の歌詞カードをお配りした。素晴らしい歌詞だ。泣けてくる。
 また、今回の御総講では弘通部より奥山弘通部門長から高祖会に向けて、今一度気持ちを込めたご奉公をさせていただきましょう、と呼びかけのご挨拶があった。立正安国論上奏750年の御正当年も残すところあと2ヶ月。報恩のご奉公として、やはり本年こそはご弘通の最たるご奉公である「お教化」と声を掛け合ってきた。高祖会までに100戸の成就を。奥山さんからは再三再四「数合わせなどではない。僕たちの信心の表れ、お祖師さまのご恩に報いるため、多くの方の苦しみや悩みを救おうとする菩薩心の表れとして、お教化をご奉公をさせていただきましょう」との呼びかけ。有難い。
 御法門も、お教化の大切さを感得する御教歌をいただき、その御教歌に沿って、私たちの進むべきご信心の道について説かせていただいた。末法は、「信心がきらい」という人がたくさんいる。願い事はある。しかし、ご信心に進み出す人は少ない。信心を嫌う、御題目を嫌い、お寺参詣を嫌う人ばかり、それが普通というのが私たちの暮らす末法。素直に、「ご信心します」という人は少ない、非常に稀だと教えていただいている。それで、「普通」なのだ。
御教歌「願ひある身で信心がきらひなり 道理わからぬ人もたくさん」
 その上で、ご奉公させていただく、菩薩行をさせていただこうと努める。「道理」だ。信心は「道理」だ。罪障消滅のためには「御題目口唱」、その最上の方法が「お教化」「折伏」。御利益の芽の上に重くのしかかっている自分の「流れ」「カルマ」「罪障」を取り除く。その「岩」「石」を取り除く。これは「道理」だ。普遍的な「法」だ。かといって、人を救うために「お折伏」が出来るだろうか、出来ているだろうか。
御教歌には
「にくまるゝ事は誰でもいやなれど それを折伏するが慈悲なり」
「にくまるゝこともいとはで折伏を するぞまことの信者なりける」
 末法は素直にご信心する人が少ない。むしろ、信心が嫌い、したくない、という人がほとんどという。信心の話をすると嫌がる、嫌う、憎む。それでも、その中で、「お折伏」をさせていただくのが「慈悲」だという、「まことの信者」だと教えていただく。出来るか、出来ているか。
 もし、それでも、それは苦手だ、出来ない、というならば、
御教歌「にくまるゝ事がいやなら御利益で 人の不信の折伏をせよ」
という教えをいただく。
「御利益」で「お折伏」をさせていただこう、と努めるのだ、と。御法門の中で、相手の反応に戸惑いや不安を抱きながらもご奉公され、現証の御利益を以てお教化をされた方々のお話をさせていただいた。最初から「どんな反応でも関係ない」「相手に憎まれても大丈夫」といってご奉公できる人は少ないだろう。でも、戸惑いながらもご信心をしっかりと奮い起こし、ご奉公を続けて、そして、現証をいただく方々がいるのだ。「お教化以外のご奉公ならします」というのは間違っている。それは佛立信心じゃない。出来ないながらも、お教化のご奉公に努める、という姿勢が大切だ。
 妙深寺、現時点で108戸のお教化が成就した(涙)。本年の教化誓願が既に成就(涙)。しかし、今年は「数合わせ」ではない。御正当年だ。みんなで、ご弘通の思いを奮い起こして、お教化のご奉公に気張っていただきたい。お寺の誓願は目安。一人一人のご信心で、「御正当年に、何とか、お祖師さまの御意をいただいて、お教化のご奉公をさせていただこう」と奮い立つのがご信心だろう。みんなで、最後の最後まで、菩薩行、お教化のご奉公に気張らせていただこう。

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今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...