今日は、15世の御命日であり、藤本御導師の御命日でした。だからでしょうか。綺麗な声を聴かせていただくこどができました。
ありがとうございます。
今日は、15世の御命日であり、藤本御導師の御命日でした。だからでしょうか。綺麗な声を聴かせていただくこどができました。
ありがとうございます。
感動したポイントがたくさんあり過ぎて、一つ一つを挙げたらきりがありません。とにかく、ご奉公に当たってくださった一人一人が、よくよく心を尽くして、何とかご弘通にプラスになるように、お教化に進み出せるように、お参詣者の信心の改良や増進ができるようにと、考えて考えて、ご奉公くださったと思います。本当に素晴らしかった。小さいながらも、ご奉公の原点を学ばせていただくことが出来ました。
やはり、ご弘通は心であり、異体同心です。これを、規則やマニュアルで何とか作り上げようとしてしまいますが、それこそ砂城の楼閣です。心を一つにする修行が大切。規則や制度で一つにするというのもありますが、それは入り口であり、逆効果になることもあります。
ご信心、ご奉公をさせていただく私たち、教務さん、ご信者さん、いま心は一つですか?同じ方向を見れていますか?そう問いかけ、確認することが大切かもしれません。
規則だから、決まったから、前からそうだから、言われたから、ではなく、もっと、心と心のつながりを見据えなければなりません。
いつでも、ピタッ、ピタッと一致する。多くを語らなくても分かり合える。こうなれば、何をさせていただいても、成功します。マニュアルがなくても、シナリオがなくても、細かな指示や規則がなくても、うまくいくんですね。ありがたいし、あたたかいんですね。
私は、ある時から、大切なのは魂(スピリット)だと確信し、若い清顕や清翔などのお弟子さんにも、その気持ちで向き合い、見守り、育成しています。
何はなくとも佛立の魂がなければならない。このスピリットを知り、身につけることが大事だと、ここしか教えていないような気がするほどです。
何が出来ても、何を知っていても、佛立のスピリットを知らない、そこから外れているようならダメ。話にならない。見込みなし。だから、思い切り叱ります。
大切なのは、佛立の心です。それがプリモーディアル、それが佛立のエッセンス。
ここに気付いてくれたら、それがインストールできたら、身体に刻み込めたら、もう心配ない。自分がいなくなっても、間違わずに、ご弘通ご奉公してくれるだろうと信じられます。
逆に、佛立の心、佛立の魂、エッセンスを教えずに、その周辺、ディテール、枝葉末節を学ばせるのが佛立の教育だ、弟子教育だ、信徒教育だと勘違いしたら、次々に習い損じてバラバラになってゆくと思います。そんな事例を目の当たりにして、痛切にそう思うようになりました。いくら規則や制度を作っても、もっと根っこを見据えないと。
話が逸れましたが、本当に、素晴らしいご奉公でした。あれほど、涙を流しながらご奉公し、御法門を聴聞くださり、ご供養をいただき、水分がなくなってしまわないか心配でした。
だからこそ、本当に有難い、素晴らしい三祖会だったと確信しています。
快晴は、ご褒美でしょう。しかし、気を緩めずに、さらに、本当のご弘通に精進しましょう。来年は、100名のお参詣が目標かな(笑)。
ありがとうございます。
御法門も、何度も何度も推敲を重ねて、結局今朝までかかりました(涙)。いつも、このようなことで、申し訳ないです。実は、こうなることを考えて、横浜から小さなインクジェットプリンタを持ってきました。プリントアウトがギリギリになることが予想されたから(汗)。
海外のご奉公では、こういうことが常に起こるのでプリンタを持って行くことがありました。「海外まで?」と驚かれるかもしれませんが、ホテルのビジネスセンターでプリントアウトしようとしてトラブルが起きたら取り返しがつきませんから。とにかく、今回は持ってこさせてもらいました。
長野教区から、数ヶ月前に奉修の御願い状をいただきました。そこには、「佛立の誇りを、今一度思い起こせるような奉修にしたいのです」とありました。「佛立の誇り」。佛立信心再発見。佛立再起動。re-boot。いろいろなことを思い起こして、御法門の推敲を重ねさせていただきました。
佛立信徒の誇りは、「〜が信心」という開導聖人の御教歌をいただけば感得させていただける。世の中の葬式仏教や新宗教にはない、本当の仏教、本来のお寺、本物の仏教徒であるという誇りは、たとえば「人を助ける、それが信心」ということです。これこそ、誇りです。
教講共に「口唱」と「折伏」が出来ていないと、この誇りは薄れます。失われていきます。それでいいわけがありません。「迹門は理を尊び、本門は事を貴ぶ」のですから。
先ほど無事にプリントアウトできました。では、出発の準備をさせていただきます。
誰にとっても貴重な時間だし、やらなければならないこともたくさんあるはず。その一つ一つに、優先順位、プライオリティをつけて、やっていきます。
この優先順位・プライオリティの付け方が一人一人違うから、いろいろな点で違いが出るんですね。
頑張って頑張って、でも結局時間ギリギリになって、ホームを走るようなことは止めないと。
それにしても寒いですね。明日は長野で三祖ご報恩会です。
ありがとうございます。
日本とは実は、一部の権力者である「貴族」が実権を握りつつ政治を行ってきた。
多くの人は気付かずに、「世襲反対」「官僚主義の打破」などと叫ぶだけで、本質を知らされない。長らく民主主義でも寡頭制でもなく、貴族制の、最近では高度に脚色された衆愚政治の国。哀れとしか言いようがない。
そもそも、古代から現代に至るまで、完全な民主主義も社会主義も共産主義も世界にない。単なるイデオロギーやその名前ではなく、実態として、上記の政治制度が安定的に機能し、統治した国はないのではないか。
ギリシャ人の史家ポリビウスは、古代ローマが、コンスルに見られる君主制の利点と、セネート(元老院)に見られる貴族制の利点と、市民集会に象徴されるデモクラツィア(民主制)の利点を合わせもった理想的な政体と称賛した。
しかし、全ての悪弊は善意から生まれる。ポリビウスが称賛したローマの統治システムも疲弊し、いつしか機能しなくなる。ある時から弊害しか生み出さなくなった。
「今」という場所にいる我々。そこから見て悪しき制度というものも、それが作られた時は必要に迫られ、善意に燃えて作られたに違いない。ただ、「今」という「時」や、「機」という「要素」が変わったのだ。それがために、悪しき結果や、あるいは悪しきプロセスしか、生まなくなってしまったのだ。
悪者探しではなく、冷静に、目的と理念を確認し、それを決して忘れず、改良してゆくしかない。
今や、ペリクレス亡き後のアテネのように、衆愚政治が日本を衰退させている。「民主主義には金と時間がかかる」とは誰もが言うが、これほど、貴族制が蔓延したかのような小さなロビーしか持たない国、左右異なるイデオロギーに色分けされているようでそうではないメディア複合体、機密費や記者クラブによって特性を見抜かれた自称ジャーナリストたち。これでは、日本の国力は衰えてゆくしかない。
いかなるシステムにも生命があり、寿命がある。
随縁真如の、法華経本門の弟子信者には、分かるはずだが。それまでプラスに機能していたのと同じものが、環境の変化によって、マイナスに機能するように変わってゆくことを。
古代ローマを描いた塩野女史は、まさに人間どもの悪戦苦闘の典型を教えてくれている。人間は、ゼロから起ち上がる場合より、それまで見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほど難事業になる。自己変革のできる人間は少ない。
とにかく、普天間の問題、その報道、動く世論、それを見て蠢く小粒な政治家のいやらしさを見て、哀しくなる。
しっかりしよう。一般庶民の私たちには、それしかない。
衆愚政治とは民主的に見えるが、それとは本質が全く違うことを知らなければならない。後で、自分が苦しむことになる。国力は衰え、国家は結局一体にはならない。
最後に。
石原慎太郎氏は、本当に、残念な人だ。この人を好む世代や、この人が支持を集めること自体、衆愚政治や日本の情けなさを思う。
サッカー日本代表の哀れな姿も、日本的な悪しきものの象徴だろう。
久しぶりに見応えのあるNHKの大河ドラマ。そう思うのは、ひいき目だろうか。龍馬の魅力、龍馬という青年の群像が持つ魅力は、時代が変わっても色褪せていないことを証明しているように思う。
まさに、年頭の記事に書いたとおり、今や全国が龍馬ブームに湧いている。サッカー日本代表のワールドカップ出陣にまで、龍馬が駆り出されている。自民党を飛び出した富裕な政治家が自分を龍馬に模したり、青いユニフォームを龍馬に着せてみたりするのを観ていると苦笑してしまう。まぁ、龍馬のことだから、苦笑いをして終わりだろうけれど。
「義」という字は、「我」を「美」が押し潰している字だという。その意味するところは、「美しく生きるためには我を通さない、我に従わない。」ということだろう。「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」というお祖師さまの御妙判や、「義はつよく~」という御教歌を思い返して、私たち仏教徒、佛立信徒にとっての「義」を考えなければならない。
明治8年から宮中に出仕。御歌掛などを勤めて、明治21年には御歌所初代所長に任命。明治23年、初代國學院の院長となった人物。 不明な点は多々あるが、その高崎正風は、明治23年にご遷化された開導聖人と深い親交を結ばれていたのである。
上記、御指南中にある「玉田」は「ぎょくでん」と読むのだが、「村田玉田」のこと。開導聖人の姉・うた(妙遠)の娘。夫は村田香谷。昨夜、小林信翠師から資料を送ってもらうまで村瀬雙石と村田香谷、村瀬玉田と村田玉田を混同していた。
もしや、開導聖人は高崎正風とは幕末から旧知の仲であったかもしれない。「龍馬伝」でも度々出てくる公卿・三条実美についても、先のエピソードにあるとおり短冊を所望されたり、様々なやりとりが行われていたことが明らかになっているからだ。
「- 幕府がつぶれたのだ。(乃至)
また脱線するが、このエピソードには詳細な記述があって面白い。大名が芸者遊びをするのも初めてなら、芸者も大名を見るのは初めて。「無礼講」と言っても双方が固い。酒宴となって年頭の芸者が酔い、「みなさま、お長うございますこと」と言ったという。「長い」とは顔のことで、ここに集まった大名たちは、島津をのぞいて全員顔が短冊のように長かった。
「大阪海軍塾(勝塾)」があったといわれている大正区三軒家東など、本門佛立講のご信者方が活躍しておられた地域。時代考証をしてゆけば、この地域、この時刻に、拍子木の音が響き、御題目の声がしていたことは間違いない。映画「三丁目の夕日」など、昭和の下町の夕方も、拍子木の音がどこからともなく聞こえていたはずで、考証を重ねたら本門の御題目、佛立宗のお看経に行き着くはずだ。
今の携帯電話は、もう少しで3年目。ボロボロになってきましたが、電池パックを交換すると、まだまだ使えるんです。
12月にはDoCoMoから新しい通信規格の端末が出るようですから、今の携帯電話を大事に使います。ipodもiphoneもipadも、自分には使い切れそうにないし(涙)。
しかし、広島弁を聞くと、欲しくなります(笑)。
そして、それ以降も、植山さんはこんな若造にお付き合いくださっていたのですが、ある時、リチャードが日本に来て赤坂で食事をする、一緒に食事をしようよ、とお声をかけていただきました。本当に、こんな機会を与えていただくとは思っていませんでしたから、感激しました。
これから少し、シンガポールでのご弘通について書かせていただきたいと思います。まとめておかないと、どういう経過か分からなくなりますから。また、ご弘通が動き出す前後のお話には、大切な佛立信心のエッセンスがたくさん含まれていると思うので、「結果」だけではなくて、その「プロセス」「経過」についてご披露しておきたいと思います。
本当に、これは、数年前には想像もしていなかったことです。コツコツと積み重ねてきたご奉公は、ある時、突如として「臨界点」を迎え、ダイナミックに動き始めます。種まきのご奉公は、いつか臨界点を迎える。本当に妙不可思議なご縁がつながってゆき、次々と現証の御利益が顕れてゆきます。これが、ご信心、ご弘通の醍醐味だと思います。
シンガポールのご弘通は、齋藤さんご一家の転居から始まりました。それまでは、ご信心的にはまるで「不毛地帯」。何度かご弘通のチャンスを探って試みても、芽を吹くことはありませんでした。それが、齋藤さんの転居で一気に動き出しました。
昨年の9月、宥華さんがどうしてもお教化したい方がいるということで、スリランカからシンガポールに立ち寄りました。そして、オーチャード沿いのカフェで、ジェッドと会いました。彼は中国系シンガポール人。英語の先生。時間が経つのも忘れて彼の身の上話、宗教遍歴、ご信心のお話、質疑応答などをしながら過ごしました。話は尽きませんでした。私たちは、亀村くんが大好き。彼は今でも門祖550回御遠諱の報恩ご奉公を推進するためにプロフェッショナルなご奉公を進めてくれている。
親しみを込めて、「カメ、カメ」と呼んで10年以上。立派になったカメ。
時々、私たちに楽しい話題を提供してくれる。今日は、下記の映像だった。メールの題名は「ipadほしくなりますよ」でした。完全に、なめてます(涙)。
広島弁、大好きです。本当に、伝わってきますね、広島弁だと。いい、広島弁。それにしても、このセンスの良さ、トンチとパンチは、学ばなければなりません。
今は日曜日の御講席へ向かっています。東京湾アクアラインを通って千葉県の木更津まで向かいます。妙蓮寺にもお参詣させていただく予定です。
ありがとうございます。
弘通部門、広報部。黒崎さん、すごすぎます(涙)。本当に、ありがとうございます。
センスが無ければ佛立じゃない。開導聖人を見習いましょう。妙深寺クオリティー。
大野さんは日本最大の広告代理店であるD社にお勤めになっているスーパービジネスマン。本当に、お忙しい方です。ご信心を始めて、まだ1年半くらい。
でめ、だからこそ、そんな大野さんが24時間のお看経に挑戦されることが有難いです。
ガンバレ!
土曜日の、本当に有難い、盛大な御講席となりました。
1つの教区での御講の奉修で、午前の御講が31名のお参詣、午後は50名のお参詣でした。本当に盛大で、うれしくなります。積み重ねてきた、感動ある御講席づくりの結実。
お一人お一人と、親しく言葉を交わす時間が限られているので申し訳ありませんが、笑いあり、涙ありの御講です。きっと、お参詣された方は、何かを感じて、心にたくさんのおみやげをいただけたのではないかと思います。
それにしても、よく50名もマンションのお部屋に入ったなぁ。みなさん、どう感じますか?そんなに大勢にお参詣されたら困る?いや、本当にこれが有難いんです。事実、お席主の森沢さんは涙を浮かべてお参詣の方々に御礼のご挨拶をされていました。感動しました。
稲邑さんから誘われて、初めて来てくださった吉川さん、大丈夫だったかな?ご信者さんではないし、お寺に来たこともないということだったから、本当にビックリしたのではないかな。
「初めてで驚いたでしょう?」と聞いたら、即座に「はい」って言っておられたし。でも、「活きた仏教は、こうして一般のご家庭に受け継がれたんです。最初はお寺はなくて、こうしたご信者さんのお宅に集まって祈り、学び合いました。」ということをお伝えしました。また、お寺にもお参詣くださったら有難いです。稲邑さん、よろしくお願い致します。
いま、お寺に到着しました。本当に、ありがとうございます。
明日は朝市が開催されるのですが、先日、ついに妙深寺農園がスタートしまして、ここで妙深寺ブランドのお野菜などの種まきや苗付けが行われました。
明日は妙深寺の虹の日。そして、朝市。アーケードが教養会の手作りで、気分も盛り上がります。明日は虹の日と妙深寺の朝市です。教養会のみんなが、特別にアーケードを作ってくれました。ありがとうございます。
続々とお野菜も到着して、本当に楽しみです。後で、あらためて書かせていただきたいのですが、光薫寺の小林信翠師のご協力をいただき、ご信心の篤いご夫婦が作られたお野菜も送っていただきました(涙)。本当にありがとうございます。
明日は、是非とも妙深寺にお参詣ください。
大丈夫かな、本当に。いろいろな意味で、ムチャし過ぎのように思えてしまいます。ドバイみたいになりませんように。
晴天の下、盛大に御講を奉修させていただきました。貴子ちゃんのお席に、たくさんのお参詣をいただき、ありがとうございました。
貴子ちゃんはご信者さんとしたら全国レベルです。先日来ご紹介している青年会の方々と同じ年代ですが、お教化にも事務局のご奉公にも真剣で真っ直ぐです。妙深寺の森山青年会長とも大信友。こちらが安心してご信心やご奉公を見守っていられる。お互いに頑張りましょうね。
先週の日曜日から、スリランカとの連絡に追われていました。メールや電話が、昼夜を問わずに飛んできます。イタリアへのご報告もしっかりさせていただかなければなりませんから大変。福岡御導師と私が、しっかり情報を共有し、一致した見解でご奉公に当たっていることが欠かせません。これはとても大切なこと、これがなければご弘通にはなりません。頑張っても、砂上の楼閣になってしまいます。
スリランカは素晴らしい国であり、ご弘通も勢い良く進展しています。しかし、勢いが良すぎるために起こる問題もあります。人間関係のトラブル、立場や権限の問題、マネジメントへの意見まで、様々なことが起こります。
勢いが良すぎて起こる問題というのは、やはり人間関係の問題です。それぞれ草創期のご信者さん方は、強い信念やご信心によってご弘通を切り拓いてゆかれます。しかし、時に自尊心が強くなりすぎて、協調性を失ってしまう。
み仏の御時代から同じような問題や課題があります。お祖師さまのご在世、門祖、その滅後にも、開導聖人の御時代にも、今も。
だからこそ、そこに末法のご奉公があり、異体同心の輪を築き、広げてゆくこと、守ってゆくことも大切なミッション。
何度もやりとりを重ねて、ようやく今日になって大きな動きがありました(涙)。よかった。本当に、安心しました。
教務のご奉公というより、接着剤の役割を果たしているだけのように思いますが、それも必要なことなのでしょう。些細な誤解から異体同心は壊れてゆくものですから。
とにかく、こうしたご奉公の積み重ねで、ついにご弘通は発展してゆくのだと思います。砂上の楼閣にはしませんし、させません。
お話をお聞きすると、みんな、さらにビックリ、まさに目からウロコです。子供を持つ佛立信者は、全員聞かなければならないお話だと思います。机上の空論などではありません。3人の息子さんたちが証明ですから説得力が違う。
いま、その方は自坊で薫化会の会長もされています。妙深寺と同じように、薫化会には毎月の御講席があるそうですが、お給仕も、お花入れも、太鼓も、すべて薫化会でさせていただくようにしている。とにかく、何が地域の子供会と違うかを、みんなで語り合ってご奉公しているということでした。そして、お子さんのいない方に対しても、「薫化会、手伝ってねー」と、いつも声を掛けておられるそうです。お寺のみんなで子どもを育てる、という意識があるんですね。
日本全国に、頭が下がるほど、コツコツとご奉公に励んでおられる方々がいます。深く、深く、御法さまのこと、その教え、ご弘通、菩薩行を考えて、実践している。本当に、そうした方々との出会い、実際にお顔を見てお話を聞く、そうした機会に恵まれることは極めて貴重なことです。特に、そうした青少年との出会いは、極めて有難く、貴重な本山奉仕会となりました。
素晴らしいお話をたくさんお聞きしました。そんな良い話を、もっともっとインターネットに載せないと。大都会・東京の中心にあるお寺の女性青年会長。彼女の話には全員が耳をそばだてました。実は彼女は、青年会長としてご奉公されるまで、なかなか前向きなご奉公ができていなかった、と前置きされました。だからこそ、さらに共感を呼んだのだと思います。
特に感心したのは、彼女が青年会をあげて行った「受験助行」というご奉公。青年会への移行年齢を中学三年生として、青年会としての最初のふれあい、ご奉公を、「受験」への「お助行」にさせていただいたとのことでした。インフルエンザが猛威を振るっています。コロナ禍の時と同様に、うがい、手洗い、移らないように、移さないように、お気をつけいただければと思います。特に、ご高齢の方々をお守りしたいです。 11月26日の「横浜ラグーン」をお届けいたします。今週は皆さまからのお便りにお答えました。ラジ...