2010年5月27日木曜日

衆愚政治

日本とは実は、一部の権力者である「貴族」が実権を握りつつ政治を行ってきた。

多くの人は気付かずに、「世襲反対」「官僚主義の打破」などと叫ぶだけで、本質を知らされない。長らく民主主義でも寡頭制でもなく、貴族制の、最近では高度に脚色された衆愚政治の国。哀れとしか言いようがない。

そもそも、古代から現代に至るまで、完全な民主主義も社会主義も共産主義も世界にない。単なるイデオロギーやその名前ではなく、実態として、上記の政治制度が安定的に機能し、統治した国はないのではないか。

ギリシャ人の史家ポリビウスは、古代ローマが、コンスルに見られる君主制の利点と、セネート(元老院)に見られる貴族制の利点と、市民集会に象徴されるデモクラツィア(民主制)の利点を合わせもった理想的な政体と称賛した。
しかし、全ての悪弊は善意から生まれる。ポリビウスが称賛したローマの統治システムも疲弊し、いつしか機能しなくなる。ある時から弊害しか生み出さなくなった。

 「今」という場所にいる我々。そこから見て悪しき制度というものも、それが作られた時は必要に迫られ、善意に燃えて作られたに違いない。ただ、「今」という「時」や、「機」という「要素」が変わったのだ。それがために、悪しき結果や、あるいは悪しきプロセスしか、生まなくなってしまったのだ。

悪者探しではなく、冷静に、目的と理念を確認し、それを決して忘れず、改良してゆくしかない。

今や、ペリクレス亡き後のアテネのように、衆愚政治が日本を衰退させている。「民主主義には金と時間がかかる」とは誰もが言うが、これほど、貴族制が蔓延したかのような小さなロビーしか持たない国、左右異なるイデオロギーに色分けされているようでそうではないメディア複合体、機密費や記者クラブによって特性を見抜かれた自称ジャーナリストたち。これでは、日本の国力は衰えてゆくしかない。

いかなるシステムにも生命があり、寿命がある。

随縁真如の、法華経本門の弟子信者には、分かるはずだが。それまでプラスに機能していたのと同じものが、環境の変化によって、マイナスに機能するように変わってゆくことを。

古代ローマを描いた塩野女史は、まさに人間どもの悪戦苦闘の典型を教えてくれている。人間は、ゼロから起ち上がる場合より、それまで見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほど難事業になる。自己変革のできる人間は少ない。

とにかく、普天間の問題、その報道、動く世論、それを見て蠢く小粒な政治家のいやらしさを見て、哀しくなる。

しっかりしよう。一般庶民の私たちには、それしかない。

衆愚政治とは民主的に見えるが、それとは本質が全く違うことを知らなければならない。後で、自分が苦しむことになる。国力は衰え、国家は結局一体にはならない。

最後に。

石原慎太郎氏は、本当に、残念な人だ。この人を好む世代や、この人が支持を集めること自体、衆愚政治や日本の情けなさを思う。

サッカー日本代表の哀れな姿も、日本的な悪しきものの象徴だろう。

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