2014年6月29日日曜日

Fireworks filmed with a drone

Marvelous!!





過去から現在、現在から未来に向けて。ありがとうございましたー。

心配されたお天気。大荒れという予報もありました。昨日の午後から今朝まで降り続いた雨も8時頃には止み、まるで映画のセットのような、青い空と白い雲の美しいコントラストに恵まれた開導会となりました。本当に、ありがとうございましたー(涙)。

一度のお会式でしたが、三倍の緊張でした。昨日は西村ご住職、本日は西村日要上人にご唱導いただき、西村宣子大奥さまにもお参詣いただいて、妙深寺としては背伸びに背伸びして、奉修させていただいたような開導会となりました。

71年目を迎えた妙深寺の、過去から現在、現在から未来へ向けた大きな節目です

私のご挨拶、少し長かったかなー(汗)。もっとお話することあったように思っていたのにー。

西村御導師からは開導聖人ご生誕200年に向かって、妙深寺が取り組むべきご奉公を具体的にご指導いただきました。

妙深寺は、寺院等級の昇格を目指しますー。

そのために、どうするか、もっと具体的にご信心を改良し、ご奉公を進めさせていただきます。

それこそ、お誕生日のお祝いに添えて、お喜びいただけるようなご奉公に励みたいと思います。

少子高齢化、人口減少、社会的な環境は、ますます厳しくなるばかり。しかし、そんなことを言っていても始まりません。

危機は危機。

人も、社会も。

しかし、それを眺めているだけでは、ご信心が立たない。

ご奉公にならない。

どんなに厳しい状況でも、決して後ろへ引かない、前に進み出す、そのために自身を省みる、改良する。

改良すれば、必ず出来る。

ありがたいです。

清風寺の開筵式。私たちがお参詣させていただいた座で、見事な司会をされていた千晶さん。今回、妙深寺にお参詣くださり、体験談をお話くださいました。本当に、素晴らしいご信心です。

つらい出来事があったのに、それをバネにご信心を起こし、お参詣に励むようになり、確かに現証の御利益をいただかれました。

それだけではなく、振り返って、つらかった出来事から、御法さまに感謝されている。

「今になって気づいたことですが、昨年私と母の身に起こったことは、その時は本当につらく、何故こんなことになるのだろうと思っていましたが、あのようなことが起こらなければ、私も母も、信心改良させてもらうことは、一生なかっただろうと思うので、それが一番の御法さまからの御利益だねと話しています。」

すごすぎるー。

ありがたい。

とにかく、晴天のおはからいをいただいて、盛大に奉修させていただくことが出来ました。

様々な部署でご奉公いただいた皆さま、お参詣いただいた全てのみなさま、本当に、ありがとうございました。

2014年6月28日土曜日

京都新聞さま、サンパウロ新聞さま

このタイミングで、京都新聞さまが「ブラジルと仏教展」を大きく取り上げ、今朝の新聞紙上に掲載してくださいました。

これも、現薫師の地道なご奉公、広報活動のおかげですー。

お金をかければいくらでも宣伝は出来ます。しかし、一円の浄財も無駄にできませんし、すてきな企画さえすればメディアは取り上げてくださると信じて、ご奉公させていただいています。

先日の毎日新聞さま、そして今日の京都新聞さま、ブラジルではサンパウロ新聞さままで、報道してくださいました。土曜日の朝の新聞ですので、とっても有難いです。

横浜の妙深寺でも「開導聖人展」を開催しております。今日と明日だけ、開導聖人の護持されていたお数珠とお袈裟を特別展示させていただいております。通常は拝見出来ない貴重なご遺品ですので、是非お参詣いただいて、観覧いただきたいと思いますー

参詣が出来る人か、出来ない人か。

見事、見事に、梅雨の真っ只中の天気予報にもかかわらず、雨に降られることもなく、盛大に第一座を奉修いただきました。

西村清良ご住職のご唱導をいただき、過去から現在、現在から未来へと続くご弘通の道をかみしめ、本当に有難く、身の引き締まる思いでした。

参詣の大事をお説きいただいた御法門は、今の妙深寺にピッタリと当てはまります。現証の御利益を顕されたご信者さま方は、理屈や理論ではない、兎にも角にも、み仏のまします場所へ、教えの説かれる場所へと馳せ参じ、駆けつけようとする、仏教の歴史、み仏の時代から変わらぬ原点。

そこから外れて、仏教はない。み仏のご在世から、私たちはそうやって現証の御利益をいただいてきたのです。

参詣が基本。

お参詣をする人は、ご信心のある人。御利益をいただく人。

お参詣しない人、お参詣が出来ない人は、ご信心のない人。御利益のいただけない人。

はっきり、くっきり、です。

御教歌
「信心のあるとなしとは参詣を するとせんとに顕れにけり」

本当に、ありがとうございました。

第二本堂では開導聖人展を開催。やはり連日徹夜で準備して、立派な展示となりました。

法鼓の子どもたちも頑張りました。

明日は10時から開導会 第二座を奉修させていただきます。何としても「参詣」を。

出来るか、出来ないか。試されています。

2014年6月27日金曜日

サソリ

いよいよ、明日と明後日、本年度の開導会を奉修させていただきます。

門祖会では、観測史上最大の大雪を乗り越えて奉修させていただきました。

今週末の天気予報も、どんより、シトシト、ザーザー、チラチラ、という、実にビミョーなもので、さらなる試練を与えられているようです。

大本寺 乗泉寺の末寺である妙深寺が、関西の大本寺 清風寺のご住職、さらに宗務副総長の西村御導師をお迎えして奉修させていただくのは、分に過ぎたこと(汗)。

しかし、妙深寺から清風寺さまの開筵式にお参詣させていただいたこのタイミングで、ぜひご唱導いただきたいとお願いして参りました。

それでも、分に過ぎましたー。

三回のお会式を一回に行うくらいの気持ちで、みんな緊張しておりますが、何とか晴天のお計らいをいただいて、ご奉公させていただきたいと思います。

とにかく、しっかりと準備ご奉公に気張ります。

さて、最近、ずっと思っていたのですが、インドで、サソリと出会ったのです。

サソリ=蠍です。

あの、蠍です。

刺されたら、怖い蠍です。

その蠍と、仏陀のご遺骨が発見されたカピラヴァストゥの城の上で、出会いました。

もう、干からびて、ひっくり返っていたのですが、なぜか最近、彼を思い出して仕方ない。

蠍(さそり)のお話。

『銀河鉄道の夜』に出てくる、さそり。

このお話は、まったく、怖いイメージの蠍ではないのです。

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「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いいました。

「蝎(さそり)の火だな。」カムパネルラが又また地図と首っ引きして答えました。

「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」

「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。

「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」

「蝎って、虫だろう。」

「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」

「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫(ささ)れると死ぬって先生が云ったよ。」

「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯(こ)う云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附(み)つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけどとうとういたちに押さえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺おぼれはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈いのりしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉くれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。

って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰(お)っしゃったわ。ほんとうにあの火それだわ。」

「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」

 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕(うで)のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。
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その後、この物語の最後に、この時の蠍のお話が出てきます。

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「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧(わ)くようにふうと息をしながら云いました。

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「僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」という言葉は、蠍のお話から来ているのですね。

自分の命は、自分で使い方が決められます。

幸せが不安を生み、満たされて足りなくなり、楽しんで孤独になる。

人生って、そういうものです。

これを、それでいいと思うか、それは虚しいと思うか。

だからそのままでいいと思うか、そのサイクルから抜けようと思うか。

幸せが不安を生み、満たされて足りなくなり、楽しんで孤独になる。

そんなことの無い、そういうサイクルではない、ただの挺身でも、献身でも、命を捧げるとか、そういう重々しいことではなくて、嬉しくて、楽しくて、疲れなくて、たまらなく満たされた状態が、ご奉公の先の先にあります。

いや、すぐ近くにあるかな。

ご信心を、本気ですると、ある。

因の如来の中にある境地。

開導聖人の御教句。

「信心を ほんまにすると やめられぬ」

これは、幸せが不安を生み、満たされて足りなくなり、楽しんで孤独になる人生の矛盾から、抜け出し、ほんたうの、しあわせに、気づき、生きれるからです。

2014年6月26日木曜日

有機栽培茶「地涌緑茶」の誕生です

開導会を前に「地涌緑茶」が完成しました。

お茶は、私たちの生活から切り離せない身近な飲料です。

しかし、お茶というのはその特性から、摘み取った茶葉を洗うことはありませんし、出来ません。

つまり、お茶の葉というのは、茶畑で、どんな風に育てられたかが、すべてそのまま、自分たちの口に入るということなのです。

どんな環境で、どんな土で、どんな薬、どんな肥料を使って、育てられてきたか。

財団法人・佛立生活文化研究所は、仏教的なライフスタイル、食の安全、食の在り方などを研究し、提案するために設立されました。

財団が、佛立農園で作ってきた農作物は、妙深寺の朝市で販売され、大好評です。

特に「地涌米」は妙深寺の中でブランド米としての地位を完全なものにしましたー。

安全で、安心で、美味しい。

信頼は、一方通行では成立しません。

だから、生産者と消費者が、ご信心で結ばれていたら、一番尊いと思うのです。

市場原理の、価格競争ではなくて。

法律よりもっと深くで、結ばれる生産者と消費者。

準備に準備を重ねて、ついに完成した「地涌緑茶」。

妙深寺では開導会から発売開始です。

これに先立ち、今朝から、この「地涌緑茶」をご宝前にお供えさせていただきました。

先日来、新しい器を探して、ずっと清潔に保てるであろう急須も探して、今日を迎えました。

お看経をいただきながら、ご宝前にお供えされた「地涌緑茶」を拝見して、感慨無量でした。

地涌緑茶のパッケージにある説明文です。

「このお茶は、1980年より京都府南端の高地に位置する童仙房(どうせんぼう)高原で、農薬・化学肥料を一切使用しない有機栽培で丹精込めて育てた最高級の宇治茶です。」

最高級の宇治茶ですー。

いよいよ開導会が目前に迫っています。

今週末は、妙深寺の開導会です。

万難を排してお参詣くださいますようにー。

いや、お参詣くださいますようにー、というか、本来お参詣は誰かに勧められてするというものではありません。

自ら進んでお参詣すれば、その功徳は広大無辺です。

そして、是非とも、御題目で育った有機栽培茶、「地涌緑茶」をお求めくださいー。

ポスター、前中マエストロが作ってくれたそうです。素晴らしい。

さすが、大地の恵みを知る男。

ありがとうございます。

屈強な男子たち

愛するエアストリームくん。

屈強な富士山溶岩浴・マグマスパジャパンのお兄さまたちと、頼れる洋一くんがフォークリフトを持ってきてくれて、無事に妙深寺から旅立ってゆきました。

昨日、長野での会談、その後は病院へお見舞いに行かせていただきました。

お会い出来て、よかった(涙)。生きていてくれて、よかった。

もうお一方はまだ面会が出来ないので、ご自宅までご宝前へのご挨拶、ご家族へのお見舞いに、寄らせていただきました。

こちらでも、お会い出来て、よかった(涙)。

ご主人のお顔を見れて、よかったです。ご長女と初めてお会いすることも出来ました。どうか、よろしくお願いいたします。

慌ただしく新幹線に乗り、ようやく横浜に戻ってきました。

新幹線で少し寝ました。昨日の朝に帰国して、少し疲れました。

妙深寺に戻って、ボーッとしながら、エアストリームくんのいなくなった境内を見ました。

長い年月が経っていましたので、そこだけ砂利もなく、黒くなっていました。

正ちゃんのところのマグマの屈強な男子たちが、時間をかけて陸前高田に運んでくれます。

一見怖いお兄さんたちですが、頼りになります。

僕も昔は屈強な男子だったんです。

タフさ、大事。

2014年6月25日水曜日

エアストリームの旅立ち

アメリカから太平洋を渡って妙深寺に来てから12年。

最初に出会ったのはロスアンジェルス郊外のモーターホームのマーケットでした。

ラリーが自宅でリペアしてくれて、船便で横浜港に着きました。

いろいろな夢がありました。

お寺が動くくらいでなければいけないとか、移動できる御講席を作りたいとか。

いつも、いつまでも、いろいろなことを夢描いて。

このエアストリームくんは自走式ではないので、なかなか実現できませんでしたが、妙深寺の境内で存在感を放ってくれていました。

観桜会の時には大活躍してくれていました。

別れるのはさみしいけれど、きっと、一番意味のある場所に、意味のあること、意味のある人のもとへ、行くのだと信じています。

今日から、エアストリームくんは妙深寺を離れて陸前高田へ向かいます。

福田さんの新しい基地として、私たちにとっては温かい想いを伝え、受け継ぐ拠点として、福田邸跡地の大塔婆のそばで、活躍してくれると思います。

今日は門祖総講の後、長野へ向かっていますので、旅立ちを見送ることは出来ません。

でも、お別れしました。

岩崎さんが、丁寧に磨き上げてくれて、ピカピカになりました。

本当に、ありがとうございます。

いってらっしゃい。

また、髙田で会おう!

2014年6月24日火曜日

悪い出来事をどう受け止めるか

日曜日の朝、真夜中にスリランカ青年会のハシャーンが事故に遭ったと聞きました。

センターから彼女を送った帰り道、バイクで転倒したそうです。病院で治療を受けて帰って来ていましたが、驚きました。そのまま御講のご奉公も元気に出来ていたので、安心しました。

御講ミーティングの合間、お昼過ぎ、日本でもご信者さまが事故に遭ったという知らせをもらいました。

センターラインをはみ出してきた対向車と正面衝突したということでした。まだ一人の方は予断を許さない状態とのことですが、正面衝突ですから九死に一生、御法さまのご加護をいただいたに違いありません。

法城をお預かりしている以上、予期せぬ悪い出来事が起こるのは、いつも想定し、覚悟しているつもりですが、お二人の名前を呼ぶと顔が目の前に浮かび、思わず何度も何度もその場で御題目をお唱えしました。

まずは、大難を小難としていただきました。そして、日本でも、みなさんでお助行してくださったそうです。手術の成功、有難かったです。

スリランカでも、日本でも、同じように、同じタイミングで、事故がありました。

夕方、またメールが来て、この同じタイミングで、妙深寺の教務が自転車で転び、ケガをしたという知らせが飛び込んで来ました。重なるものです。

お教務さんまでにアクシデントが及んでいるのですから、このお知らせは重く、強いものです。

老いも若きも定めなく、何があるか分からない、明日があると思うな、次があると思うな、日々真剣に功徳を積み、本当のご信心をさせていただいておかなければ、罪障の深い凡夫が仏道を成就することなどないということ。

恐ろしい事故、アクシデント、トラブル、問題が、大きな御利益となるように、ご宝前にお縋りするばかりです。

その出来事には、意味があります。そこから、何かを学び取り、感じ取り、改良するしかありません。

今朝、7時前に羽田空港に着きました。

スリランカに48時間、シンガポールに15時間、功徳をギュッと詰め込んだ出張となりました。

シンガポールでは、角口さんと清田さん、浩一くん、タリンダ、イーリンちゃんが集まって、みんなでお助行の一座、ご祈願の一座を勤めさせていただきました。

みんなで、事故に遭われた方々の速やかな回復を願い、ご祈願の御題目をお唱えしてくれました。

ある時、今から7年くらい前ですが、スリランカのアベイ氏が言っていました。

ある女性から、教化ミーティングに出かける前に、ガラスが割れて、そのガラスを踏みつけてしまい、たくさん血が出て歩けなくなったと電話が来ました。

その人は「こういう悪い出来事があったから、行かない方がいいという何かのサインだと思うのです。」と言いました。

すかさずアベイさんは彼女に言いました。

「それは間違いです。それはあなたの思い込みです。自分の悪いカルマを忘れてはなりません。」

「ブッダが悟りを開く前に、何が起きたか、どんなことがあったかを考えてみてください。様々なトラブルがブッダを見舞いました。彼が悟りを開かないように、あらゆる出来事が彼を邪魔したのです。ブッダはそうした邪魔、トラブルにも脅しにも誘惑にも屈せず、前に進み続けたから、だからこそ悟りを開かれたのです。」

「いま、謗法と罪障の深い私たちが、トラブルやアクシデントに見舞われるのは、むしろ当然です。今の自分を肯定して、いいことや悪い出来事を自分で占っても全くの間違いです。トラブルの中にこそ、謗法と罪障があります。これをご信心で乗り越えれば、そこに罪障消滅、功徳があります。足を引きずっても、来てみなさい。」

そのように、断固として、伝えておられました。

私は、そのお話が忘れられません。常々教えていただいていたことですが、深く納得しました。

みなさんは、トラブルに見舞われた時、ネガティブなエネルギーに囲まれた時、悪い出来事が続く時、アクシデントが起こった時、病気になったり、辛く、苦しい状況になった時、どのように受け止めていますか?

アベイさんが言っているように、悪い出来事や状況を、ご信心で受け止めることが出来るようになったら、悟りを開くことは全くできませんが、全くの別世界が広がってゆきます。

この、自分の目の前に広がってゆく別世界を、体験し続けてゆくことが、ご信心の醍醐味です。

ここに、来て欲しい。

自分の、生命の、成長を、俯瞰して見れるようになります。

ですから、あまりにも唐突な事故、アクシデントやトラブルですが、みんなでお助行させていただいて、思いやり、いたわり合い、改良を誓って、罪障消滅を願って、前に進むしかありません。

その出来事が、功徳の道、御利益の道へ続くのです。そうしなければなりません。

さらにシンガポールに、もう一つ大変な知らせが飛び込んで来ました。

あるご家族の危機。これまで蓋をしてきて、何とかなると思っていたことが、何ともならなくなるという結果を、目の前に突きつけられたとのこと。

帰国後、そのまま本堂に上がり、ご宝前にご挨拶させていただき、受持教務から報告を受けて、ご家族と面会し、お話させていただきました。

全部、本質は一つです。

お折伏させていただきましたが、罪障の深い凡夫の尺度でご信心をはかってはいけないということです。

変な優しさは、救いにならない。

真っ正面から受け止めるべき時があります。

いま出てきた結果には、必ず原因があります。

その原因を知り、あらためて罪障の深い凡夫の、功徳の積み方、ご信心の仕方を振り返ることが大切だから。

ギリギリの、厳しい状態ですが、目を反らしていたものを見て、蓋を開け、お互いに向き合い、理解も治療もしてゆかなければなりません。

そのためには、ここ一番、ご家族みんなのご信心を、ピンと張っておかなければなりません。ゆるめたら、何にもならないのです。

そういうことが続きます。

無事に、帰国は出来ました。

今日は午後に神奈川布教区の住職会が開催されます。大切な会議です。

それぞれのご祈願を続けながら、無事にご奉公させていただけますように。

南無妙法蓮華経。。。

2014年6月23日月曜日

スーフィズム

センターのお隣に住んでいるのはイスラム教徒と聞いていたのですが、夕方、「今日はうちの宗教の先生が来ている。そちらも日本から僧侶が来ているというので、会ってお話ししたい。」という伝言が来て、お会いすることにしました。

イスラム教徒ではなく、スーフィー教徒、スーフィズムの先生でした。

なかなか、馴染みがないですよね。一般的にはイスラム教に近い神秘主義思想と言われます。

でも、今日、短い時間でしたがお話をお聞きしてみると、イスラム教とはしっかり一線を画しているようでした。「嫌い」とまで言っておられたから(汗)。

お互いの宗教思想について簡単に述べ、最近のスリランカの宗教対立についても意見交換しました。

彼が帰った後、お隣のご主人がもう一度訪ねて来ました。

その先生が、私のことをとても気に入ってくれたというのでした。

そして、最近彼は精神的に不調が続いていて、このセンターで少し修行してみたらどうかというようなことも言っていました。

確かに、スーフィズムは体験的な側面があります。

本当に、ご主人が心配だったので、立ったままでしたが、御題目をお唱えしながら背中をさすらせていただきました。

ご主人がスーフィー教徒とは初めて知りましたが、新しい体験でした。

青年会のみんなと一緒にご飯を食べ、22時過ぎにセンターを出ました。

真夜中、1時20分の飛行機でシンガポールに移動します。約4時間のフライトです

時差があるのでシンガポールは朝の7時過ぎ。そこから角口さんのお宅までお助行にお伺いさせていただきます。有難いです。

青年会のみんなが、車にギューギューに乗り込んで、空港まで送ってくれました。

1台に、16人も乗っているんです。2列目の僕の席は確保してくれているのですが、もう本当にギューギューです。

しかも、大声で歌ってくれて、特にアヌラーダとダクシタ、ダスンやアサンカをメインに、女の子ではヤショーダラ(本人はこの名前はあまりに保守的だから嫌いでヤシーと呼んでいる笑)が日本の曲を歌ってくれました。

狭いから、面白いのかしら。楽しませてくれました。

もうすぐ搭乗します。

今回のスリランカのご奉公も、無事に終わりそうです。

2014年6月22日日曜日

午後の御講ミーティング


午後の御講ミーティングも、ご弘通の進展がはっきりと見えて、有難かったです。

ずっと日本でご祈願させていただいてきた、ニマシャさんともお会い出来ました。

そして、3才の坊や、ビハンガくん。関西空港で、3才の男の子に似合うTシャツを買ってきたんです。小さなプレゼント。かわいかったー。

ご両親は心配しておられましたが、きっと大丈夫。ご祈願させていただきます。

5年前までは小さく事業をされていたということでしたが、ご信心をされるようになってからお仕事の面で大変な御利益をいただき、ご近所の方もお教化されるようになり、今日は新たなミーティングセンターとしてのオープニングとなりました。

隣接した工場も拝見しましたが、大きくて立派でした。あった一代で事業を急成長させたご主人は、とても謙虚で、素晴らしい方でした。

奥さまも、息子さんも、ニマシャさんも、すてきなご家族ですー。

ありがとうございます。

PROUD TO BE A HBS MEMBER


日曜日、午前と、午後の御講ミーティングが、終わりました。

いつもながら、もっと時間があれば、もっと心に余裕があれば、もっと勉強しておけば、もっと気力と体力があれば、と反省しながらも、分相応、精一杯、ご奉公させていただきました。言い訳はいいわけ(笑)。

つくづく、いいとこ取りは、本化ではありません。徳は人に譲り、苦労は我に引き受ける、それが本化とお示しですから。

いま、スリランカは16時。17時半から青年会とミーティングします。

この夏、青年会から10名を選抜して日本にお参詣してもらいます。いま、しなければならないことがあります。だから、します。そして、未来に引き継ぎたい。

午前中、妙深寺スリランカ コロンボ別院となったコフワラのセンターで御講ミーティングを奉修させていただきました。

この際、青年会選抜メンバーの誓願言上がありました。

タイトルは、“PROUD TO BE A HBS MEMBER”となっていました。

7月末から8月上旬にかけて、横浜から京都、出来れば広島や陸前高田まで、彼らと一緒に巡りたいと思います。将来の、スリランカのご弘通をかけて。

ケネカちゃんの花嫁修行も始まります。一緒に来日して、そこから来年の3月まで、日本でいろいろなことを勉強してもらえたらと思います。これも、未来のスリランカのご弘通のために。

大家さんからのお話もあり、苦労は我に引き受ける、本当に未来を見据えたご奉公が、私たちに求められていると思います。

昭和40年、茨木日水上人が、凱旋帰国のようなかたちで最後の日本にお戻りになりました。

北は北海道から南は九州まで、全国を行脚して各地で盛大に講演会を開催しました。

関西ではラジオに出演し、NHKの「私の秘密」という番組に出演されたのもこの時です。若き岩下志麻さんと共演されているのですよねー。岩下志麻さん、きれいでしたー。

その一部をミュージアムでも展示しておりますが、その時の写真がたくさん残されています。

昭和39年、つまり、その前年、妙深寺の日博上人はブラジルに行かれました。そして、そこで危機的状況を目の当たりにしました。このままでは駄目と思い、有名なスピーチをしました。

それが、南無の信心という講演で、しっかりとご講有へのお給仕を勤めなければならない、異体同心でご奉公を進めなさい、お金のことは心配するな、妙深寺、法正寺、妙現寺が面倒を見る、旅先だけれども持っているお金をすべてご有志させてもらう、信心を起こせ、信心を取り戻せ、というものでした。

そういうお折伏をされた日博上人。翌年に当たる昭和40年の写真を見ると、妙深寺が一番ボロボロの古いお寺で、他のお寺はとっても立派でしたー。

その時は、そういう身の切り方があったのだと思います。

日博上人亡き後、受け継いだ方々のご奉公は大変であったでしょうし、ご苦労は並々ならぬものがあったと思いますが、妙深寺はきっとそうした果報をたくさんいただいて、盛大に発展を遂げてきたのだと信じます。

ブラジルのご弘通の姿も、本当に素晴らしく、有難く、誇らしいです。

スリランカ。大変な面もたくさんありますが、本門佛立宗らしいご奉公が出来ればと思います。

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...