2016年2月23日火曜日

あれから100日


旭が旅立ってから、100日。

今朝、スリランカ別院のご宝前で、百ヶ日忌のご回向をさせていただきました。

スリランカ別院のみんなが、旭のためにメッセージを作ってくれていました。

良潤師の和訳を載せさせていただきます。

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旭さま、

菩提心を起こし、大震災で被害を受けた仏陀釈尊誕生の国を助けに行った旭さまに、今生で菩薩行を成就した姿を拝見させていただき、涙を流しながら、心より感謝、随喜を申し上げます。

旭さまの菩薩行を学び、スリランカHBSの私たちも信心増進させていただくべきです。お祖師さまご在世当時、命がけでご奉公された強信者方が歴史に残っておられるように、旭さまも私たちスリランカの信者の記憶、歴史に残る、無死の菩薩です。

ありがとうございます。

南無妙法蓮華経
スリランカHBS(妙深寺別院)信者一同

以上

【ポスター企画:レーター・ウィーララトナ】
【記事:チットラ・ジャヤウィクラマ】

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日本ですら恥ずかしい感じ方や考え方しか出来ない人もいるのに、こうしてご信心で受け止める人がスリランカにたくさんいるということが、言葉にならないほど有難いです。

佛立宗とは、久遠からの時間の中で、仏教再興の使命を背負っています。

それは仏教改革運動について歴史的な役割があると言うことも出来ます。

仏教の歴史の中には、仏陀の在世からご入滅後のこと、弟子と信徒の間の溝が深まっていったことや上座部仏教の台頭と大乗仏教との対立、そして根本分裂などがありました。

この上座部仏教の国・スリランカで思い返せば、パーリ語の原始経典に残る言葉、たとえば『テーラーガーター(長老偈経)』や『テーリーゲーター(長老尼偈経)』を読むと、万人に開かれた普遍の教えが仏教であったと分かるのですが、仏陀滅後の教団やその人びとによって、僧侶の権威づけや儀礼化、形式化が進み、元来の教えや価値観から離れてしまった形跡を見つけることが出来ます。

仏教本来の価値を取り戻す、仏教改革運動。

大乗仏教は、新しい経典を書いて勝手に動き始めた運動などではなく、丁寧に仏陀の言葉をたぐりよせ、本来の普遍的な教えを取り戻すための運動であったことが分かります。

しかし、そこには必要以上の変化や動きもありました。

たとえば、上座部仏教を「小乗(小さな乗り物)」と批判するだけではなく、そこで修行する人びとを完全に排除する動きもありました。

これでは、信徒を見下し、女性を差別するようになった上座部仏教と変わらなくなってしまいます。

万人に対して平等の、普遍なる仏陀の教えが、そうではなくなっていったこと。

そして、その双方、上座部仏教の人びとも、大乗仏教の人びとも、あるいは後の密教と呼ばれる人びとまでもが注目した普遍の教えが、「妙法蓮華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」でした。

そこには、小乗も、大乗も、あるいは菩薩乗も、すべてを普遍化する教えが説かれていたのでした。

日本にも、最も古い時代に伝わった仏教経典で、538年の仏教伝来当時から現在に至るまで、最も普遍的な教えとして敬われてきました。

その法華経の中で、象徴的な存在として登場するのが「不軽菩薩」です。

僧侶の在り方、信徒の在り方、仏教徒の在り方そのものを示すモデルです。

お祖師さま・日蓮聖人は、これらを明確・明瞭に説き示されました。

しかし、日蓮聖人以降の教団、その弟子たちがたどっていった歴史を見れば、また権威づけ、儀礼化、内向き、僧俗の溝が深まり、雑乱勧請という密教化が始まってしまったことが分かります。

日蓮門下の中の、上座部仏教化、大乗運動、密教化など。

本門佛立宗とは、開導聖人とは、この娑婆世界で、仏教徒たちが繰り返してきた悪循環の最後に登場して、それらを完全にリセットし、明確なミッションを与えてくれたはずです。

しかし、どこまでも、どこまでも愚かなのか、またまた、こうしたことを繰り返してしまうようでは仕方ないですし、許されないことです。

分かってるようで分かっていないし、分かっていないということが分かっていない。

そうならないように、敢えてこうしたことを語り続けなければなりません。

本門佛立宗に権威づけはいらない、法華経に出てくるような腹黒いお坊さんはいらないし、頭でっかちの、人助けの思いや行動のない信徒もいないし、いらないはずなのだから。

仏教史上、世界で最も長く仏教を護持してきたスリランカに、いま広まっている一乗の妙法です。

だからこそ、歴史に学び、歴史を繰り返してはいけないと思い、本門佛立宗の本来の立ち位置、価値を確認して、みんなで共有することが大切だと思います。

御教歌
「信者をば  十人よせてながむれば
八人までは不の字つくなり」

開導聖人はいつも厳しくお教えだから。

御教歌
「ころも着て かしらまろめて 人がだます
寺住のもの 僧と思ふな」

ご信者さまに厳しいだけではなく、僧侶、弟子に対しては、もっと厳しかったということを、忘れてはいけません。

ところで、妙深寺スリランカ・コロンボ別院は宗教施設の登録が出来ているので、普通ならば1万円ほどかかる電気代を、何と3000円くらいにしてくれているそうです。

切実な問題なので、とっても有難いですー。

日本から送った良潤師の車、ご弘通車、大活躍です。

わずか半年間で9000キロ。

この前も軽く550キロは走ったので真っ黒になっていますが、車が無ければ機動力のあるご奉公ができないし、本当にありがたい存在です。

目の玉が飛び出るほど自動車の税金が高い中で車を持つことが出来たのは、妙深寺の教務、ご信者さまのおかげです。

心から御礼申し上げます(ご報告の写真)。

この別院、この法城も、同じです。

功徳は、火にも焼かれず、水にも漂わない、必ず身について離れない。

まことの道を、まことに進むしかありません。

それが、ありがたいです。

『風に立つライオン』はいい曲ですね。

一昨日、お世話になっている方から「この曲を聴いていたら長松くんを思い出した」というメールをいただき、とっても光栄で、それから聴いています。

妙深寺報もこのテーマで文章を書きました。

来月の妙深寺報の巻頭言はスリランカで書いた文章を載せさせていただきますー。

本当に、ありがたいです。

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