2016年2月9日火曜日

『薤露青(かいろせい)』

『銀河鉄道の夜』を書き始める前、その原点に近い作品、原風景であろう北上川の岸辺で、賢治さんが書いた詩。

『薤露青』

とても読めない漢字ですが、「かいろせい」と読みます。

心で受け止め、心に浮かぶ風景を、絵画として描くのでは無く、「スケッチ」として書き留めた賢治さん。

「スケッチ」とは、「① 眼前の風景やものなどを大まかな絵にかくこと。また、その絵。写生。素描。② 風景・情景などを作為をまじえずに小文にすること。また、その小文。小品。③ 描写的な小曲。」とあります。

万象を、明滅しているように感じた、痛々しいほどの感性、それをそのまま言葉に綴った賢治さん。

本当に、痛々しいほど、分かります。

朝から晩まで、寝ても覚めても、何を見ても読んでも、すべてを感じて、言葉にして。

『銀河鉄道の夜』は、弟の清六さまをはじめ、皆さんのおかげで立派な作品となりましたが、『薤露青』はやはりスケッチのようで、スケッチだからこそ、とても鮮烈です。

ゆっくりと声に出して読むと、賢治さんが『銀河鉄道の夜』に込めた想い、妹のトシさんを想う気持ちが露わに響いてきて、せつなくなります。

『薤露青(かいろせい)』という言葉は、読めないばかりか、その意味すら想像もつきません。

「らっきょうの細い青葉についた小さな露がはかなく消え去る運命を表す。 」

そういう意味だそうです。

らっきょうの葉っぱ、見たことがありますか?

ものすごく、細いんです。

「草露」というのは儚さを表す言葉ですが、らっきょうの葉の上に浮かぶ露とは、きっと最も儚い。

「澪標(みおつくし)」とは、浅瀬を知らすために立てられた杭、標

賢治さんは、この『薤露青』を、「イギリス海岸」と呼んだ川辺で想い、綴ったのでした。

「イギリス海岸」は、北上川と瀬川の合流地点、凝灰質の泥岩が見える河畔で、『銀河鉄道の夜』の「プリオシン海岸」です。

ここに『銀河鉄道の夜』の原風景があります。

小岩井農場の桜。

真っ白な雪に覆われた牧草地の丘の上に、その桜はありました。

静かに、麗しく、美しく、まるで桜の木そのものが、雪の結晶のように、一点の景色を作っていました。

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薤露青(かいろせい)

みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
  ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
    プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
    ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
  ……たえず企画したえずかなしみ
    たえず窮乏をつゞけながら
    どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
  ……なつかしい夢のみをつくし……

声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
  ……あの力いっぱいに
    細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出ようとしてゐるので
鳥はしきりにさわいでゐる
  ……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
  ……あゝ いとしくおもふものが
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる

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