日博上人は偉大な御導師でした。だからこそ、その後継者となった妙深寺第二代御住職、長松清凉師、松風院日爽上人のご苦労は大変なものだったに違いありません。
三ツ沢への移転と新本堂の建立をはじめ、そのご功績を挙げれば切りがなく、今日の妙深寺があるのは先住のおかげと言っても過言ではありません。
私にとって日爽上人は実際の「教化親」です。命がけで頑迷な私の眼を開かせ、ご信心の大切さに気づかせてくださいました。きっと先住の大きな慈悲がなければ日博上人に憧れる教務にもなれませんでした。何もかも、先住日爽上人のおかげです。
しかし、実際には私のご奉公を先住に観ていただくことは出来ませんでした。頼りない、情けない、くだらない、角張った私しか、お見せすることは出来ませんでした。そのような状態、そのような時に、先住はご遷化されてしまいました。今でこそ、何とか見れるようになっているかもしれませんが、先住がご存命の頃の私を思い返すと、ただただ申し訳なく、土下座して、頭を床にこすりつけて、お懺悔したい想いでいっぱいです。ほとんど諦めたまま、ご遷化になったのではないかと思うのです。
平成十二年六月十四日、松風院日爽上人はご遷化になられました。
横浜市立病院の病室には、本当にまぶしいくらい、眼がくらむほどの朝陽が差しこんでいました。
家族みんなで枕頭を囲み、清水康仁(清康)の剃髪をし、先住は私の腕の中で息を引き取られました。分かっていたはずなのに、最後の最後までご遷化されるということが理解できていなかったようです。腕の中でかすかになっていく呼吸を見ている時も、まだお元気になってくださる、戻ってきてくださると思っていました。もう一段深い『佛立魂』を教えていただいていたのですが、その時の私は気づくことが出来ませんでした。
ご遷化になられた時の衝撃は言葉になりません。号泣しながら、慟哭しながら、妙深寺まで戻りました。
それが、十六年前の六月十四日の朝でした。
先住に対して立派な御導師という表現は適さないかもしれません。しかし、最も本門佛立宗らしい価値観、生き方、考え方、自然体で格好をつけず、体裁ではなく本質、何ものにも物怖じせず、決して媚びない、情に篤く、情実に流されず、信義を貫く大切さを示し、教えてくださったと思っています。不良の息子から見ても尊敬できる「男の中の男」でした。
先住のご遷化になられる数年前、どうしても社会に出て学ばなければならないことがあると感じて、私は一時期お寺を離れました。自分なりの想いがあり、目的もありました。振り返るとこの時期の経験が今の私の大切な一部になっているのですが、先住からすれば何処に飛んでゆくかも分からない、どうしようもないバカだと思われたことでしょう。それでも信じて、泳がせてくださいました。
ご信心を活かせば、必ず社会で事を成すことが出来る。数ヶ月後、思いも寄らないチャンスをいただき、そこから怒濤のように仕事が増えてゆきました。あらゆる分野の方とお仕事をさせていただくようになりました。わずかな期間で事業は拡大し、伊藤忠商事や吉本興業等と大きな共同プロジェクトを始めさせていただくことにもなりました。
そもそも休務して社会に出ていた私です。約束の期間がありました。しかし、事業が大きくなり、期間を延長せざるを得なくなっていました。
平成十年の暮れ、当時青山の伊藤忠商事本社の二階にあったオフィスに、先住と菩提親で事務局長でもあった鈴木金吾さんが訪ねてきてくださいました。用件は清潤が社会での勉強を終え、ご奉公に戻ることでした。副社長室で話し合いをしました。会社の役員も集まり、先住や鈴木さんのお話を聞き、会社側もプロジェクトなどについて説明しました。
「お父さまの気持ちも分かりますが、長松さんにいま外れられたら困ります」
そんな会話だったと思います。決して自慢話などではなく、どれだけ私が愚かな不孝者だったかという話です。そういう話を黙って聞きながら、先住は諦めたのだと思います。「こいつはダメだ」と思われたのかもしれません。
話し合いが終わり、先住と鈴木さんがエレベーターホールに向かいました。約七十名近くの社員の働くフロアでしたが、その遠く離れた向こう側で振り返り、そこから一生忘れられない言葉を言われました。
「風邪ひくなよ、バカ!」
フロアの社員全員が振り返るほど大きな声でした。そして温かい声でした。この一言に、どれだけの想いが込められていたか、想像するだけで涙が溢れます。
年末、妙深寺に戻る帰り際、片倉町入口の交差点で信号待ちをしていました。その時「このまま気づかなければ御住職を取られてしまう。そうでなければ馬鹿な俺は気づけない」という想いが起こりました。はっきりと覚えています。そして、その数週間後、御住職が末期がんであることが判りました。
「お前は俺の芸術品だ」
ご遷化前のお言葉。泳がせてもらっている間に学んだこと、まさに命がけで教えてくれた佛立魂を胸に、先住の作った作品として、精一杯価値ある生き方をしてゆきたいと思います。
強くて、繊細で、でも豪快で、優しくて、厳しくて、本当に魅力的な人でした。
お祖師さまの御妙判。
「日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたら(足)ず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて、其功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べし」
お祖師さまは、この命を法華経に捧げて、まずその功徳を父母にご回向したい、その余慶の功徳はお弟子やご信者方に廻していただきたい、と仰せでした。お祖師さまのご奉公の原動力にご両親への孝養心がありました。
「風邪ひくなよ、バカ!」という言葉は、慈悲に溢れていました。気づけなかった愚かな子、不孝な弟子です。お祖師さまの「父母の孝養心に足らず」というお言葉にすがり、私も報恩ご奉公に励ませていただきたいと思っております。
愚かな私の正直な報恩の気持ちをご理解いただければ幸いです。
1 件のコメント:
神の愛=佛の慈悲
南無妙法蓮華経
コメントを投稿