2023年6月16日金曜日

御教歌「文明の御代にかなへる本門の 佛立講は開化第一」

開化は変化、進化、教化、本化。
退化、老化、硬化、鈍化、ではない。

御教歌「文明の御代にかなへる本門の 佛立講は開化第一」

5月1日の月始総講の御法門。

佛立教講は、みんながみんな、仏教改革者の誇りと精神を受け継ぎ、決して失わず、ご宝前の御意に叶うよう精進しなさいとお示しになられていると感得します。

本門佛立宗とは、正しい仏法が埋没すると予言された末法悪世の中で、一つの器の水をそのまま一つの器に移すように、正しい教えを正しく受け継ぎ、実践する集団です。

だからこそ、「仏の立てた宗」と書いて「佛立宗」です。後世の人間が「私はこう思う」「私はこっちだと思う」と勝手に設立「人間の立てた宗」「人立宗」ではありません。

江戸時代末期、三百年近く続いた檀家制度の中で、仏教界そのものが存在価値を失っていました。
僧侶たちも使命感を失い、そこに安住した。故に、「デモ坊主」「タコ坊主」「大袈裟」などと、僧侶らを批判する言葉が生まれた。

ですから、仏教などいらない、外来の宗教だ、日本古来の宗教は神道だ、仏教など追い出せ、お寺を壊せ、仏像を燃やせ、という神仏分離、廃仏毀釈という運動まで起きた。
それが明治維新です。
実際、多くの貴重な文化財が燃やされたり壊されたりしました。
それはそれは恐ろしい破壊運動でした。

しかし、極めて残念なことですが、開導聖人は冷静な目でこれを受け止めていたのです。
因果応報、つまり、仏教の教えが乱れ、あるいは正しい教えの筋を失っていたのだから仕方がないということです。
廃仏毀釈を悲しんだり、これに憤ったりしても仕方ない。
何よりも大切なことは、本当の教えはどこにあるのか、仏陀の御意はどこにあるのか、お祖師さま・日蓮聖人の正しい教えはどこに行ったのか、ということ。

ですから、大混乱の時代、ありとあらゆるものがひっくり返るような時代、破壊運動もともなうような時代の中で、開導聖人、本門佛立宗は、決して動じず、その真ん中にある。
明治維新、文明開化、そのど真ん中にあるのが、本門佛立宗、佛立教講と宣言された。

「文明の御代にかなへる本門の 佛立講は開化第一」

「開化第一の精神」とは、なんでしょうか?
それは、変化を恐れず、むしろそのど真ん中にあって、改良を常に心がけることです。決して妥協しない、頑固にならない、旧習に囚われない、進化してゆく姿勢のことです。

これこそ、佛立教講が受け継ぐべき精神、DNAであり、その有無こそ大事です。

そもそも「化」という言葉は人間の存在そのものとも言えます。
その意味を辞書で見てみますと、

形や性質が別のものになる。かわる。かえる。 
人格に影響を与える。教え導く。 

となります。
突き詰めれば、「自分」がそこにいることによって、人や場所や社会や集団に、どんな「変化」を与えるか、与えているか、与えられるか、ということです。
まさに、あなたの存在、存在価値、存在の性質、そのものではないでしょうか?

私たちは生きているだけで人や場所や社会や集団に、何らかの影響や「変化」を与えているはずです。そう考えるのが仏教であり仏教徒のはずです。

縁起の教え、因縁果報、因果応報、業、カルマ、すべてがここに集約されます。

しかし、どうでしょう。
うっかりすると、私たちは与えられている環境に甘えて、いい影響どころか、悪い影響を与えてしまう。

つまり、化ける、化、という文字で言っても、怠けて、流されて、油断をして、周囲に悪い「変化」を与えるような存在になってしまうことがある。

たとえば、「開化」ではなく「退化」はどうでしょう?
人や場所や社会や集団を、退化させる。「劣化」という言葉はどうでしょうか?
いいことをしていた、大切なことを守っていた場所、集団が、退化や劣化する。

「退化」とは「進歩がとまって、以前の状態にもどること。あともどり。」
「生物体のある器官・組織が発生や進化の過程で、形が単純になったり、小さくなったり、機能が減退したりすること。」という意味です。
「劣化」は文字どおり「品質・性能が悪くなること。」です。

自分がいることで、そんな風になる。人や場所や社会や集団が。
とても残念なことです。でも、実際には歴史の中で何度も何度も起こっています。
普通の団体でもそうですし、仏教という教えをいただく集団の中でもそうです。

さらに言えば、「鈍化」や「老化」、「硬化」という言葉はどうでしょうか?
どちらも「化ける」「化」という言葉が入っています。
「鈍化」「にぶくなる」、「硬化」「ものが固くなる」このほかに「意見や態度が強硬になる」ということもある。「老化」もあります。「年をとるに従って、肉体的、精神的機能が衰えること。」だそうです。

自分がそこにいることによって、相手にどんな変化を与えられるか。
自分がここにいることによって、集団にどんな変化を与えられるか。
自分が加わることによって、どんな風になるか。

私たちは「開化第一」「開化第一の精神」でなければならないのです。
それはつまり「進化」です。
今までの状態から、もっといい状態になる、もっといい状態にする、さらに良くなる。
そのきっかけ、その中心となって、生きる。
「変化」を良いものにしようと努めるのが仏道修行です。そうした「変化」こそ「進化」「開化」でしょう。
これこそ、佛立教講のDNA、精神、スピリットです。

先月は高祖日蓮大士ご降誕八百年慶讃 本山大法要に、妙深寺から約一八〇名もの方々がお参詣くださいました。本当にありがたく、心から感激、感動、感謝しております。
凜とした空気、太鼓の音、九十四才の姫井御導師の御法門。心が震えましたね。

本山の本堂の雰囲気はどうでしたか?ご宝前正面向かって右側にはお祖師さま御自らご開眼された【手自開眼の御尊像】(重要文化財)が奉安されています。

「清風が魂は宥清寺の御尊像の御膝下に置く」

と御指南を残されています。御利益の根元にあるのも、私たちが臨終の夕べにたどり着くのも、開導聖人の御魂がおわします、本山宥清寺のご宝前です。本当に、今生人界の貴重な貴重な機会でした。

その本山について開導聖人はこのようにもお示しです。

「妙蓮・宥清等の寺号を信ずる時、今の身延久遠寺は又能興等(本能寺・本興寺)のごとし。唯御正流を説く人を永く導師とあおぐべき也」

「又、後々には此の寺にどんな謗法僧が住やらんしれず。其の時は責べし。云々」

時は末法、私たちは三毒強盛の凡夫。いつどうなるか分からない。「宥清寺」という名前だけはなく、そこに口唱と折伏を貫く本物の御導師がおられるからこそ信じ仰ぐべきなのである、と仰せです。本山大法要にお参詣した直後だからこそ、正しく教えを受け継ぎ、御護りしてゆく、実践してゆく大事を胸に刻みましょう。

先日の本山大法要でご奉公をしていて、驚いたことがありました。
私たちは最後の最後まで妥協したくありません。最後までいいものにしたいと思って一つの物事でも改良に努めます。
しかし、ご奉公の途中でびっくりするような言葉を聞きました。

「これはこうした方がいいんじゃないでしょうか?」と言ったら、
「そんなの面倒くさい」「大変だから無理」どという言葉が返ってきました。
ご奉公では聞いたことのない言葉です。
少なくとも、京都佛立ミュージアムや私の関係する部署では聞いたこともない。

耳を疑いましたが、開化第一の本門佛立宗にあって、こんな言葉を聞くようになった、これも現実だと思いました。
せっかくの法城を有名無実にしてしまうのは「開化精神」を失った者です。

お祖師さまは次のようにお諭しです。
「弟子、一佛の子と生まれ、諸経の王に仕う。何ぞ、仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや」日蓮聖人・立正安国論

現在、コレイア御導師が全国を巡ってくださっています。
佛立アンバサダーのご奉公は、右肩下がりの日本国内の弘通現勢、しかも「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のような危機感のない雰囲気も感じる中で、海外の第一線で活躍する御導師のエネルギーを放出していただこうとスタートいたしました。

御導師と出会い、そのあたたかさや大きさに触れて、感動の声が出てこないわけがない。存在そのものが稀有の尊さだとです。

それにしても、ブラジル国内でも超超ご多忙なコレイア御導師のお時間をいただいている佛立アンバサダーのご奉公とは、どれだけ貴重で、どれだけもったいないことか、つくづく思います。

御導師を迎えていただく寺院では、この貴重な機会を最大化していただくようにお願いしております。

御導師は、リュックサックを背負い、寸分の隙もなく、ご奉公の機会を求め、種を蒔き、町から町、お寺とお寺へと飛び回ってくださっています。なんと、前例のないご奉公ということで宗門としては交通費しかご用意できていません。まさに無償のご奉公で、本当に心苦しく、申し訳なく思っています。

佛立アンバサダーの御導師、御講師には、真の宗風を吹かせ、台風となって列島を横断し、新たなご弘通の端緒を開いていただきたいと願っております。

本山大法要の後、ブラジルのリンスにある日水上人ミュージアムが初めて出版した図録をいただきました。ポルトガル語、英語、二つの言語で同時出版。しかも同時にデジタル書籍化もしてあります。日本、軽く追い越されています。頑張りましょうー🙏

「文明の御代にかなへる本門の 佛立講は開化第一」

どうか、より良き変化を与えられる人間になりましょう。
より良き変化を与えられる人間として生きましょうう。

よもや、退化、鈍化、硬化、劣化、弱体化、形骸化や権威主義化をもたらすような人間、そんな教務、ご信者にならないように努めましょう。

究極の開化とは「教化」です。
謗法から正法、罪障から功徳へと、「教化」してゆく人こそ「開化精神」の人。

みんなで、開化第一の精神を大切にして、今生人界の思い出を重ね、生きましょう。

されば御教歌に「文明の御代にかなへる本門の 佛立講は開化第一」

1 件のコメント:

石田 さんのコメント...

はじめまして、石田と申します。横浜LAGOONを聴いています。
働き生活をしている中で、結果、自分で自分が嫌いになるような行動、言動はしない、と思っています。
しかし、やはり気持ちがざわめくことはあり、それに対する自分の気持ちの納めようがうまくいかなくなってきている最近でした。
数ヶ月前に、たまたま横浜LAGOONを聞きました。
その時に教えていただいたのが「諸法無我」でした。
世の中に定まったことはない、常に動いている、
色んな因果が絡まって現在がある、
そして、未来も、その因果によって変わっていく。
この教えを知り、私なりに反芻し、凝り固まっていたものがほどけたようでした。
信仰している宗教がない家庭に育ちましたが、後で、仏教の有名な教えであると知りました。
横浜LAGOONで、長松住職の語りを聞いたことで、新しい出会いがありました。
どうもありがとうございました。
横浜LAGOONを聞いていて、
本門佛立宗の名前はもちろんよく聞いていましたが、
このblogのこの回を拝見し、遅まきながら、こちらの宗派の成り立ちや教えを知りました。
これからも、横浜LAGOON、そして長松住職のご総講を心待にしております。
よろしくお願いいたします。

幸の湯、常さん、北九州

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