2023年6月16日金曜日

御教歌「淵は瀬と処かはれど濁りなき 流れもとめて水をくめ人」

御教歌「淵は瀬と処かはれど濁りなき 流れもとめて水をくめ人」

正法護持、正しい御法を正しくいただき、実践する大事をお示しの御教歌です。
うっかりすると、迷う。間違う。それでいいと思う。それが悪いとは気づかない。

正しい教えを受け継ぐ御導師、住職、ご信者さんと共に、佛立魂を失わず、今生人界のご信心に励む大事をお示しの御教歌でございます。

「淵は瀬と処かはれど濁りなき 流れもとめて水をくめ人」

常に変化する川の流れ。
昨日は淵、つまり「水深があって流れがゆるやかなところ」も、今日は「瀬」、水深が浅くて歩いて渡れるようなところになる。
美しく清き水の流れも、いつしか浅瀬に入って濁ってしまう。
水を求めるならば濁った場所にいてはいけない。清き水をたたえる場所を求めなさい。
いつまでも、清き水をたたえ、保てるように、努力しなければなりません。

「淵は瀬と処かはれど濁りなき 流れもとめて水をくめ人」

開導聖人は、渾身の想いをこめて、この御教歌をお詠みになられています。

権実雑乱、清濁混淆の状態にあった仏教を、清き流れに戻してくださったお祖師さま。
大難四ヶ度、小難数知らず、身命をなげうち、命を削って、お授けくださった御題目、南無妙法蓮華経のご信心。
にもかかわらず、また習い損じて、台無しにする。濁らせてしまう。濁ってしまう。

再び門祖日隆大聖人がお出ましになり、御題目すら満足に唱えなくなった門下を折伏し御題目のご信心を再興されました。

その門下、門流ですら、再び習い損じ、御題目を唱えながら下種の信心、菩薩行を忘れ、回向や葬式に終始する。また権実雑乱、どれが本物か偽物が分からない、清濁混淆。

幕末維新、そこに開導聖人が登場し、最後の最後、もうこれが最後、ラスボス、ラストチャンスと覚悟して、本門佛立宗をご開講、仏教ルネサンスを高らかに宣言されました。

お祖師さまの御本意を絶対に埋もれさせない、濁らせない、上行所伝の御題目のご信心を貫いて、現証の御利益を顕し、世界中へと伝えてゆくぞ、世界を変えるぞ、救うぞ。

お正月に拝読していますが、京都で、たった数人でしたが、いつか日本中、世界の隅々にまで、真実の教え、上行所伝の御題目、佛立信心は広がっていくぞ、広めるぞ。
それこそ、これこそ、佛立魂。佛立の原点、開導聖人の御意です。

本門佛立宗は政治活動もしませんし、広報活動だって上手ではありません。
しかし、一人ひとりの心から心、ご奉公によって、真実、全国、全世界へと広まった。
正真正銘、嘘偽りなく、正々堂々と、生きた仏教を受け継ぎ、残してくださったことに感謝しなければなりません。

ですから、佛立教講は、自分のためにも、愛する人のためにも、世界中の人のためにも、決して、断じて、諸宗諸門流のように習い損じることなく、正しくご信心を受け継いで、喜んで、楽しんで、前向きに積功累徳のご奉公に励み、日本中、世界中で、数え切れないほどの現証の御利益を顕して、ご弘通に邁進しなければなりません。

残念ですが、末法悪世ですから、異常気象による大雨特別警報、過去に経験したことのないような雨が降って、川の流れが変わるように、私たち佛立教講でさえ清らかな流れを維持することは難しい。

いま、本門佛立宗でも、全国のお寺でご弘通が衰退していると言われる。
実際、全国のお寺へ巡回助行に廻らせていただくと、住んでおられるご住職がいない、朝参詣がない、当然御法門もない、そうしたお寺を目の当たりにします。

残念ながら、そんな状況であるのに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という空気で、危機感がないように思います。言葉は同じでも志が薄い、外見はよくても心がない、威勢のいいことは言っても情熱がない。

高齢化や、いろいろな理由があると思いますが、本門佛立宗でさえ何か濁ってしまっているように感じるところもあるのです。

この御教歌の解説に添えられている開導聖人の御指南を拝見いたします。
「高祖御出世の御意を顕し、一器の水を一器に移したるかのように、ふりすすぎの濁りなき題目信心宗を立てんと開講したる佛立講なれば、諸宗はもとより、諸法華宗並びに八品門流までも折伏して習損じを改めんと励む佛立講云々」御教歌事典528

佛立魂、佛立が習い損じてどうする。信心なくしてどうする。魂を売ってどうする。
情熱を失ってどうする。
この御指南の上欄に、先住の肉筆で「佛立聖典P335参照」とあるんです。
その御指南を拝見しますと。

「当講内も京都は本也。京都の本は導師一人より始まる。
 故に導師の信心が本也。故に総講元は講内の信心を護り維持するが本也。諸組の講元は組内の信心を堅固に維持するが本也。御奉公によりて給料を頂く也。給料とは御利益也。
 さて其講元の任にありて其役義を勤むるは大慶也と悦んで御奉公するは勿論也。されば天下に弘通せんにも先づ京を一として一、二を生む。二、三を生ず。終に天下に弘むる。
 されば京の本を堅固ならしむるが天下に弘むるの法則也。其の京を堅めずして他国に弘めんとするは逆也。他国に枝葉のさかふるも、京の根が大事なりと云ふ事を知るべし」
開導要決・聖典335

海外部長として、国際的なご奉公をする者として、しみじみとこの御教歌を思います。
京都が元、本山が大事。そこがあっての国際弘通。

「京の本を堅固ならしむるが天下に弘むるの法則也。其の京を堅めずして他国に弘めんとするは逆也。他国に枝葉のさかふるも、京の根が大事なりと云ふ事を知るべし」

だから、本山大法要です。
だから、「そして、約束の本山へ」なのです。
決して、どれもこれも、足して、引いて、ではありません。
私は、本門佛立宗の再興に、命かけたい。命を削ってでも、本門佛立宗を再興したい。

先住のご生涯。
若くして亡くなる。覚悟して死ぬ。
命ほど大切な宝物はない。
しかし、その命を削ってでも、しなければならないご奉公があります。

命の大切さを知った上で、「アホの長生き娑婆ふさげ」を思います。
人生の価値は単純に長い短いではない。懈怠は謗法。問題意識もなく、ストレスも感じずに、「ああ長生きでよかった」ではない。「精進」する人の長生きはめでたく、「懈怠」する人がどう生きようと、どうであろうと、どうでもいい。
そうでなければ戦争で散っていく若い命にも申し訳ない。

とにかく、先住の生き方は、危機の中で、奮闘されて、早く逝かれた。

三〇年前の大怪我を『佛立魂』というタイトルとしたのには理由があります。
それは本山の執事長をされていた先住が「佛立魂がなくなっている」「魂のないご奉公が広がっている」とおっしゃっていたからです。
本の中にも書きましたが、京都におられた先住は、
「身はたとへ北野の野辺に朽ちんとも とどめ置かまし佛立魂」
と言われた。遺言まで書いておられた。

「わたくし長松清涼は満開のもみじと共に散り死にました。
 今生はこれまで。あとは来世でのお目通りを宜しくお願いいたします。
 平成四年十月二十七日」

自殺ではない。偶然の出来事なのだけど、必然。そう思える、そう思うしかない出来事でした。
あの大事故は、御法さまが先住の身体を通して、佛立教講が決して失ってはならない、その魂を教えてくださった、あり得ないほど重要な出来事だったと確信します。

「淵は瀬と処かはれど濁りなき 流れもとめて水をくめ人」

先住の臨終の際、そのギリギリのタイミングで、清康師は先住から剃髪を受けました。そのような教務は前代未聞です。あるとすれば恐れ多くもご入滅間際のお祖師さまから帝都弘通を委嘱された経一麿、後の日像聖人だけでしょう。

これは、法深寺でもお話ししました。
そして、来週の横浜ラグーンでもお話をします。
法深寺では、ここまで話をして、「だから、頑張ってね!」と言いました(笑)。
贅沢言うな、頑張れ。
これ以上ない、以上。頑張れ、です。

ご住職が兼務でいない、御講師もいない、事務局長さんが毎朝ご宝前のお給仕をして、お看経してくださっているようなお寺ではだからこそご信者さんたちが踏ん張っている。断然、すごいご信心でギリギリ踏ん張っておられます。

でもね、なぜか、何もかもが揃っているお寺も衰退することがあるんです。

恋愛では、一〇ある内、九 優しくて、一気に入らないところがあると一の冷たさが嫌になって別れるといいます。
一〇ある内、九 冷たくて一 優しいと、一の優しさに付いていこうとするようです。

これを贅沢病というか、人間の性というか、なんというか。
絶対に、そんなことを言わないように。
異体同心はご弘通の基本なり。
こんなすごいお寺はないです。こんな素晴らしいお寺はない。
ないものねだりはしないこと。
隣の芝生はよく見える。青く映る。

一つの器の水を一つの器に移したかのように、これ以上、澄んでいる水はない。
現証の御利益が次から次へ、次から次へ、これでもか、これでもかと言うほど、溢れ出てくる。
ただし、前向きに、真剣に、素直正直に、ご信心すれば、です。

どうか、一つ、レストランやお水、お菓子でもケーキでも、お酒の銘柄や野菜の産地にまでこだわったり、好き嫌いがあったり、選んだりするのに、宗派は何でもいい、お寺はどこでもいい、お坊さんだったら誰でもいいなんて、そんな愚かな、矛盾に満ちたことはありません。

何より大切なご信心、しっかりと見極めて、厳選し、一度決めたらとことん、迷いなく、真剣に、一網打尽、一気呵成、一心不乱に気張らせていただきましょう。

「正しくご信心をしなさい」「正しいご信心を守りなさい」と言う開導聖人のお折伏を添えて、今こそ世界中の佛立教講に、心からエールを送ります。

正しい教えを受け継ぐ御導師、ご住職、ご信者さんと共に、佛立魂を失わず、佛立魂にふれ、佛立魂を求める、佛立魂でご奉公する大切さをお示しの御教歌でございます。

故に御教歌に。「淵は瀬と処かはれど濁りなき 流れもとめて水をくめ人」

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