桜模様。
さまざま。
美しいですぞよ。
3月の最終日、午後を過ぎて先日ご縁を結んでいただいた方のお宅に、お助行に伺いました。
お教化させていただいた最大の理由は、ご本人が余命数ヶ月の宣告を受けた身ということでした。
それでも、とてもお元気でした。
死を、前提として、覚悟した上での、お教化でした。
御本尊を護持されて数ヶ月。桜の花咲く春を迎えました。
今日、お助行に伺うにあたって、どうしても妙深寺の境内で咲き誇る桜を見ていただきたいと思いました。
ポンコツのプリンターを直しながら、ようやくプリントアウトできました。
ご本人は、とても穏やかで、お二人の美しい姉妹に介護されながら、待っていてくれました。
これほどの幸せはありません。
今朝、途切れ途切れの意識の中で、桜が見たいと言っておられたとのこと。
よかった。
桜を見ていただけて。
とっても喜んでくださいました。
薄れゆく意識の中で手を握り、帰り際にはわざわざベッドの上に起き上がってくださり、抱き合い、お別れをしました。
ご縁をいただいて、ほんの3ヶ月。
しかし、一生分のご縁をいただいたように思います。
無常です。
さみしい。
されど、無常だからこそ、愛しくもなり。
無常でなければ、愛も恩も無く。
咲いた桜は、どこか物悲しいものです。
御教歌
たのしみは 咲かぬ間にあり桜花 咲けば散るてふ 惜しさかなしさ
御教句
散りますと 花のいふのを聞いて呑め
四季の中に、教えがあふれています。
人生も同じ。