畏れ多くも僕のような者が、鈴江日原上人の御七回忌を勤めさせていただきました。荒天の予報で覚悟していましたが、雨も奉修が終わるのを待っていてくれました。本当に、ありがたいです。
私たちの敬愛する、大恩ある鈴江御導師、平成28年12月9日、法寿87才を以てご遷化になられました。僧正 本照院日原上人。
せめて御導師のお徳を汚さず、少しでもお喜びいただけるようにと、必死にご奉公させていただきました。御法門ではまた感極まってしまいました。
今日の私があるのは、鈴江御導師のおかげです。それは間違いありません。いま、こうして、嫌われても、疎まれても、迷うことなく、断固たる決意でご奉公させていただけているのは、鈴江御導師のおかげなのです。
もし、万が一、億が一、長松清潤のご奉公を誉めてくださる方がいるとしたら、それは鈴江御導師がご教導くださったからであると、お伝えしたい、ご承知いただきたいと思っています。
鈴江御導師との思い出は様々にありますが、そのはじまりは親戚のおじさまのような感覚だったと思います。「ご住職と仲の良い相模原の御導師」というような。
それが一変したのは、平成5年、先住のお怪我の時でした。
頭蓋骨骨折、頭蓋底骨折、脳内浮腫、硬膜下血腫、肺の破裂。髄液が鼻から出続け、自発呼吸は停止の意識不明。どう考えてももうダメ、という状況の中で、お助行くださった時のことです。
あの時、はじめて、強烈な印象で御導師の存在を認識しました。
妙深寺の本堂裏の階段の踊り場。冨士子奥さまとご一緒。連日お助行に来てくださった時のこと。あの時、御導師は打ちひしがれている僕たち家族におっしゃったのです。
「大丈夫。必ず御利益をいただく。」
なんでそんなことが言えるのか。まだ全く、いつ呼吸が止まってもおかしくない。いや、呼吸は人工呼吸器だったのでもう止まっているようなものでしたが、そんな言葉が言える状況ではなかったのです。でも、御導師は仰せになりました。
気休めだったのか、いや確信でした。
そして、御導師の言うとおりになりました。
49日間、意識不明だった妙深寺の先住、松風院日爽上人は、起死回生、見事に復活なさり、後遺症ひとつもなくご奉公に復帰くださいました。
佛立魂。私の原点は、どこまで行ってもここにあります。
そして、このことを一冊の本にまとめました。それが『佛立魂』です。
御導師に題字と「発刊に寄せて」を書いていただきました。
とっても嫌がっておられましたが、二十七才の僕は本当に無鉄砲で、愚かな若者の想いを、鈴江御導師はあたたかく受け止めて、ご奉公くださったのでした。
是非今一度、『佛立魂』の鈴江御導師の文章だけでも、読んでいただければ有難いです。
御導師から、なぜこの事故が起こったのか、どういう意味があったのか、これからどのようなご奉公をすべきなのか、贅沢なことですが様々に教えていただき、畏れ多くも語り合いながら過ごさせていただきました。
これからの世界に対する問題意識、今の本門佛立宗、佛立教務、佛立信心に対する問題意識を、強くお持ちでした。
日博上人から教えていただいてきたご信心、佛立魂の、大切な何かが失われている。
その想いです。
先住ご遷化後、さらに、どれだけ親しく、慈悲深く、ご教導いただいたか分かりません。
皆さんもご存知のとおり、私は、どうやらまともではありません。そんな私を、そんな暴れ馬のような、じゃじゃ馬の私を、だからこそ、きっと、これしかないというような方法で、お導きくださったものと思っています。
海外に行く時も空港からお電話していました。気をつけて行ってきなさい、頑張ってきなさいと、いつも背中を押してくださいました。
「とにかく、やれ、やってこい、このままではいけない、大変な時代が来る、やれ、やるしかない。」
さすが、日博上人のお弟子の中で「この人」と言われた鈴江御導師。国際弘通の大切さも、誰よりもご承知で、背中を強く押してくださいました。
いま、本当に世の中がひっくり返るくらい、大変な時代を迎えています。悪世末法、末世法滅時、人間の心が衰える、健康な人ですら病気になる、ゆでガエル、平衡感覚が失われてバランスを崩す、崩していることも分からない。そんな時代です。
いま「宗教二世」という言葉が取り沙汰されています。嫌な言葉です。
私のご信心は五代目です。大切に大切に受け継いできました。政治活動や霊感商法をするカルト教団や新興宗教と一緒にしていただきたくない。
宗教を敬遠するような風潮こそ本当に恐ろしいです。宗教のない民族はありません。なぜなら、お葬式をしない民族がないからです。
普遍的な価値を説くのが本当の宗教です。変な宗教にかかわるのも不幸ですが、宗教を持たないのはさらに不幸ではないでしょうか。
『佛立魂』に鈴江御導師がお書きくださったお言葉。
「住職のこれ程の現証利益を絶対に昔ばなしにしてはなりません。これはご弘通の旗印です。この御利益と信心を忘れなければ妙深寺の弘通発展とお互いの信心改良は間違いありません。」
初心を忘れず、恋する人のように、ウキウキしながら、ご宝前に近づき、お寺にお参りし、御題目をお唱えし、ご奉公させていただきたいです。
夕方、妙深寺に戻って、やはり恩のある秀さんの七回忌を勤めさせていただきました。有縁の方々が集まってくださいました。本当にありがたい。
僕だけになるかな、と思っていました。沖縄で、秀さんが亡くなってから、もう6年です。
沖縄から、秀さんの遺骨を抱いて、飛行機に乗って、戻ってきました。青春時代の1ページを築いてくれた、ジェットスキーのガソリンを買ってくれていた秀さん。骨を拾い、骨を抱いて、戻ってきた。
いろいろなことがありますが、すべて意味があります。誰がなんと言おうと、仁義と恩義を忘れずに、大切に、貫いて、やっていきたいと思います。
今日も、かけがえのない、またとない濃厚な一日でした。
ありがとうございます。
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