2012年7月11日水曜日

病室

人生は、かくも過酷であるのだろうか。

昨日、最終青葉教区の御講を終え、車の中でポロシャツとチノパンに着替えて、病院に行かせていただいた。どうしてもお見舞いに行かせていただきたかった方の下へ。

先月、すぐに病院に行かせていただきたいと申し出ると、「今の状態では無理だと思います。もう少しお待ちください」とお役中の方にお話いただいた。

京都、北九州、横浜と往復する中で時間が過ぎる。それぞれの地でご祈願させていただきながらも、時間の経過に焦りながら。

昨日の夕方、病室に入り、手を握って御題目をお唱えできたこと。お話できたこと。その覚悟、その想い、そのご信心。かすかに握り返していただく手、また少し力を入れさせていただきながら握り返す手。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

お二人のお嬢さまともお会いすることが出来た。このことも、彼女のご信心、想いの結果だと思います。ありがたいことでした。

教区ではみんながお助行してくださっています。一遍の御題目には一遍の現証がある。必ず。

会者定離は娑婆の習い。生死の二法は一心の妙用。そう教えていただきながら、ただひたすら妙法にお任せ申し上げ、お縋り申し上げる。

「わが病 惜しや欲しやの苦みも 法の教へに いへにける哉」

「わが疾ひ のち世にうくる つみとがを まねきこしても かろくうけたる」

妙清師のお姿、ご奉公をお話しながら、病室を後にしました。

御題目、ご信心の大切さを、また改めて、厳しく痛感させていただきました。

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