2017年2月6日月曜日

妙深寺の葬儀

月曜日の朝です。


今週も素晴らしい一週間となりますようにー。


一年前の成人式。


笑顔のご家族。


二年半前、余命3ヶ月、あるいは半年、もって一年と言われた美穂さん。


無理だと言われていた成人式に参列し、みんなで笑顔の記念撮影。


昨夜、大勢の参列をいただいて、しめやかにお通夜を勤めさせていただきました。


その遺影は、一年前の成人式で撮影された、満面の笑みを浮かべたものでした。


本当に、昨夜は言上をさせていただきながら、万感の想いが込み上げました。


妙深寺のお葬式では、導師がすべての方々に「歎読」という言上文を作成し、ご宝前、ご霊前に言上させていただきます。


その方の出生から、学生生活、お仕事、家庭生活、御法さまに出会い、どのように功徳を積み、どのように過ごしておられたか。


闘病生活や、その中での出来事などを、ご宝前に言上させていただき、その行徳をたたえて、その功徳によって、法の諱を授け、法号を授与してお見送りをいたします。


美穂さんのご一生、学生時代から情緒障害を持つ子どもたちへの保育、ご主人との出会い、お子さんを授かり、育児に努め、再就職をし、自身の使命と思って保育士としてお仕事をされていたこと。


突如襲った頭痛、青天の霹靂であった診断結果と余命宣告、そして佛立信心との出会い、御本尊を奉安いただいてからの二年半。


一年前の成人式、そして先日の「折り紙の箱の上にお釈迦さまが来てくれているの」というお話。


これは、末の世にあって、御法さまを恋い慕う美穂さん、闘病を続けながら感謝の言葉ばかり言っておられた、柔和で質直な美穂さんの前に、法華経如来寿量品で仏陀釈尊が言明されていたとおり、生きてまします御仏が現れてくださったことを示すお話と感得しています。


「時に我及び衆僧。倶に霊鷲山に出ず。」


「我諸の衆生を見れば。苦海に没在せり。故に為に身を現ぜずして。其れをして渇仰を生ぜしむ。其の心恋慕するに因って。乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し。阿僧祇劫に於て。常に霊鷲山。及び余の諸の住処にあり。(乃至)柔和質直なる者は。則ち皆我が身。此に在って法を説くと見る。」


短い時間ではありますが、美穂さんをお見送りするにあたり、ご家族やご参列の皆さまと共に、こうしたことをご宝前に言上させていただきました。


奉修後、重ねてお時間を頂戴し、私から皆さまに少しだけお話をさせていただきました。


本当に、皆さんのまごころがこもり、あたたかいお見送りの時間。


決して美穂さんだからということではなく、妙深寺の葬儀はいつもこのように歎読を言上し、本門佛立宗らしく、導師とご家族の距離が近く、あたたかい。


葬儀にお坊さんが派遣されるなど、いろいろなことが話されていますが、そういうレベルならばお葬式なんてしなくてもいいということになると思います。


妙深寺の葬儀は、すでに世の中のどこにもないものになっていると思います。


ご信心の功徳によって奉修させていただく、生きた仏教・本門佛立宗の葬儀です。


この後、美穂さんの告別式を奉修させていただきます。

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