私たちは知っているはずです。上行所伝の御題目をお唱えすれば現証の御利益が顕れることを。
迷い悩む人には、その苦しみの原因を教えられ、ヒントや答えを与えてくださる。傷ついた人にはその傷を癒し、病に苦しむ人には心と身体に良薬を投じてくださる。
愚かな者には反省と改良を促し、心を魔に奪われ、闇に閉ざされた人には、糸を降ろし、ひもを投げ、光りを当てて、救いの御手を目の前にまで差し伸べてくださる。
祈ること空しからず。切に願う者には必ずや妙不可思議の現証の御利益が顕れる。
しかし、この尊い現証の御利益が顕れなくなることもあります。
「慢心スレバ利忽チ失ス」
万が一、御題目のご信心に拙い自分の考えを差し挟み、慢心したならば、その瞬間から突如として現証の御利益が顕れなくなります。今までの御利益も失われてしまう。
これは恐るべきことです。
仏教史上最高の万能薬、末法の私たちの為に処方された特効薬、目覚ましい臨床事例を持ち、効果や効能が実証されている上行所伝の御題目が一転して効力を失う。その原因こそ「慢心」です。
現証の御利益が顕れるのは一心不乱にご宝前にお縋りした時です。そこには疑いも迷いも考える隙もありません。謗法のない状態です。この状態でご信者の皆さまは現証の御利益を体感しているのです。
しかし、残念ながらその状態は長く保てません。少し時間が経過すると、「自分なりの考え」が出てきます。「ご信心とはこういうもの」という勝手な解釈。慣れて怠り、御法を侮る気持ちが生じます。
スーパーマンでも超能力者でもない私たちがミラクルな御利益をいただく、見せていただけるのは、全く御経力(南無妙法蓮華経力)によります。忘れてはなりません。
御教歌
御経の力ならずばいかでかは
われら凡夫の利益みすべき
経力でなければ、謗法や罪障の深い凡夫がどうして御利益を見せられるというのか。逆を言えば、自力では御利益などいただけない、少しでも慢心すれば現証の御利益は止まる、顕れないとお戒めです。
御経力を軽んじる。これが慢心の正体です。ほとんどの場合、自分ではこの慢心に気づけません。
十中八九、九割九分、不可能だ、無理だと言われていたところから助けていただいたと聞けば慢心も吹き飛びます。起死回生の御利益を見せてくださった先住日爽上人や吏絵ちゃんの姿は、御法さまの有難さ、御題目の絶大な力を共に体験させていただいた実例でした。
しかし、そうした九死に一生を得たお話ばかりではなく、生死の境にいる方々から御経力の尊さを痛感するお話があります。
みち子さんは四十才という若さで末期の肝臓癌と診断され、闘病を続けておられました。御利益をいただかれながら過ごしていましたが、年末ついに余命宣告を受け、腹水が溜まってステロイドが投与され、緩和ケアによるモルヒネの投与も始まっていると聞きました。
一月三日、余命いくばくもないとお聞きしてお助行に伺いました。一座のお看経を終えてみち子さんのお部屋に入ると、私の想像とは全く異なる姿で彼女は待っていてくれました。ベッドに凛と座り、美しく、明るく穏やかな笑顔で、私を迎えてくれました。
「ご住職、ありがとうございます。ご住職、私は本当に幸せでした。たくさん守っていただいて、父にも母にも心から感謝しています。本当に、ありがとうございました。」
私は言葉を失いました。数日前、彼女は支えられながら写真屋さんに行き、自分の葬儀に飾る遺影を撮影し、銀行に行って口座を解約、葬儀の費用にと言って両親に託し、形見分けまで済ませ、自分の死を静かに見つめていたのです。
果たして私たちにそんなことが出来るでしょうか。彼女のような臨終を迎えられるでしょうか。
私はひたすら彼女の姿に感服し、ご信心の尊さと御経力を痛感いたしました。あの日、お互いにこの一生で会える最後と知りながら、握手をし、写真を撮り、ハグをして別れました。ちょうど二週間後の一月十七日、彼女は寂光に帰りました。行年四十二才でした。
美穂さんは脳腫瘍を患い、四肢に麻痺が出て緊急搬送された当日、ご主人が妙深寺に飛び込んで来られて入信された方です。あれから二年半。たくさんの御利益をいただかれて過ごして来られました。
不可能と言われていたご長男の成人式に家族揃ってお参詣されて、その時のことは忘れられない思い出です。しかし、その美穂さんも余命数ヶ月の容態となりました。
寒参詣中、ご主人から美穂さんのことをお聞きして、私は心から感動しました。
意識が薄れ、夢と現実の区別がつかなくなる中、不思議なことが起こりました。ある日、ご主人が病室に行くと彼女が言いました。
「あのね、あそこにお釈迦さまが来てくださっているの。」
驚いていると、続けて、
「ほら、あの折り紙の箱の上に、定期的にお釈迦さまが来てくださっているの。」
実はその前日、ご主人はお部屋の整理をしていて、いらない箱を見つけては捨てていたそうです。
その中の一つに、綺麗な折り紙が入っている箱を見つけました。保育士だった美穂さんが、子どもたちの為に用意していたものです。
「これは捨てられない」と思って家の中を見回しました。そして、その箱をご宝前の下の棚に収めたのです。勿論、彼女がそのことを知るはずもありません。その翌日に美穂さんは、
「折り紙の箱の上に、お釈迦さまが来てくださっている。」
と告げたのです。
謗法の人から見れば御本尊さまも紙に書いた文字にしか見えないでしょう。しかし、私たちはそこに生きている御仏(お釈迦さま)が来ておられると教えていただいています。薄れゆく意識の中で、美穂さんはハッキリと生きてまします御仏の存在を私たちに教えてくださいました。すでに昏睡状態となられましたが、ご家族は尊い方に向き合うように彼女の看護を続けておられます。
みち子さんと美穂さんは生死の境から御法の尊さを教えてくれています。慢心を吹き飛ばす厳しいお折伏です。
ご弘通が出来ないのは慢心しているからです。口先ばかりだからです。生きてましますお釈迦さまの存在を忘れてはなりません。
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