2019年11月20日水曜日

少年僧とアラビカ。マックダフ、地涌セイロンティー。















































もう1週間くらいいるのではないかと錯覚してしまいます。


茶畑の間を縫いながら凸凹の道を前に進み、場所を転々としながらこの地域の方々とお会いし、お話を聞きました。


ヌワラエリア。このスリランカ有数の紅茶の産地で、マックダフ社のチームが「地涌セイロンティー」を製造してくれています。


マックダフC地区。モハン社長の説明を聞きながら歩きました。農薬を使っている畑と使っていない畑は一目瞭然で見分けられます。マックダフ社はJASJapanese Agricultural Stanaed)も取得し、EUの厳しい審査資格も取得しています(モハン社長いわくJASの方がEUより厳しいとのこと)。


いずれにしても、実地に拝見できたことは大きな収穫、前進です。15年間、約30回ほどスリランカと日本を往復してきましたが、今回は特別なことがたくさんあります。


モハンさんと共に稀少なワイルドコーヒーの生産者ともお会いしました。実は1867年までは宗主国・イギリスはセイロン(現スリランカ)でコーヒーを生産しようとして農園を広げていました。


コーヒー生産は1825年に開始されました。サビ病というコーヒー独特の病気が発生し、生産者は危機を避けるために紅茶への転換を進めたといいます。


スリランカで最初に紅茶工場を創設したのはジェームズ・テイラー。17才でセイロンに渡ってきた青年です。現在の広大な紅茶畑も、セイロンティーの名声も、彼が最初の人物であり、生涯をかけて築き上げたもの。


でも、その諦められたはずのコーヒーが、スリランカには野生化して残っていました。それが「アラビカ」という種類や、日本に全く入っていない「ロペスタ」というものです。


生産者のマスター、52才。鉄人です。自宅はSDGsのモデルハウスみたい。乳牛が2頭。20メートルもの椰子の木にスルスルと登り、その濃厚な蜜を飲ませてくれました。


歯磨き粉を切って作った風鈴というか、鳥よけのものが、なんとも言えず味があって勉強させていただきました。


森の奥にある小さな寺院で出会った少年僧。その目は何を見てゆくだろう。いつかまた会う気がします。


無邪気な子どもたちとの会話が楽しい。相変わらず美しい目をしている。


鉄人の家で出会った隣人のおじさんも、LEONに出てくるような独特のファッションでかっこよかった。「ちょいワルおやじ」って、このくらい行って欲しい。頭の先から足の先までトータルにコーディネートされていました。


紅茶畑で働くタミル人の皆さまから歓迎を受け、茶畑と、マックダフの紅茶工場の2ヶ所で御本尊をご奉安し、お看経をさせていただきました。


今日は一気に南下し、ゴール市を目指します。

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