2019年11月18日月曜日

ラミャ・ガルコトゥワさんの帰寂




















佛立アンバサダーとして来日していたディリーパ良潤師から、ランガとラサンギーのお母さんであるラミャ・ガルコトゥワさんのご祈願を頼まれました。


これは余程のこと、尋常なことではないと思い、毎日ずっとご祈願をさせていただいていました。すでに危険な状態とのことでした。


みんなでラサンギーの婚約者を招いて会食したのはいつだったろう。スリランカの数多くのご信者さまの中でも特別思い出のある方でした。


115日、帰寂の報が入りました。本人の強い希望、ご家族の要望もあり、妙深寺の正宗徒としてスリランカ・コロンボ別院の本堂で葬儀を執り行いました。数え切れないほどの方々が参列してくださったそうです。


通称「ラミャ・シュリヤーニ・ガルコトゥワ」。

2019115日帰寂。

授与法号。「本響院妙恵日蘭大姉」


法華経本門の御題目の声の響き。御題目を唱える立派な信者であったことを示す。彼女のスリランカの伝統舞踊、その楽器のリズム、響き。御教歌にある声のひびきに。下にひびけり。


道号はラミャさんが妻として、母として、たくさんの「恵み」を与えたことを表す。日号は「ラミャ」の韻より。蘭は花の名。美しく力強い存在であったこと。


良潤師からラミャ先生の生涯を送ってもらいました。以下、良潤師からのメッセージです。


18歳の頃、スリランカ国立青年局(National Youth Services Council)によって運営されるBellwood音楽舞踊学院の(Bellwood Aesthetic Institute)第一期生に入学。


ご主人のH.M. Rathanayake先生も同期に入学。二人は共にスリランカの伝統舞踊を極め、スリランカ国営舞踊部で大活躍をして国際舞踊祭などにも参加。


日本にも2回に渡り渡航してスリランカ伝統舞踊を演出。スリランカ伝統舞踊の「ラバン舞」という独特な舞踊を演出する初めての女性。伝統舞踊者として芸能界でも活躍。後に学校の伝統舞踊教師としてスリランカ全国の様々な国立学校で生徒を教育、育成する。


息子のランガ君と娘のラサンギーちゃんを、二人ともイギリスの大学に留学させ、その当時の2013年に本門佛立宗に入信。


入信後、ご主人をお教化し、息子と娘にも信行を相続。いつもお教化を心がけ、お教化をし、同スタッフの先生や学生、親戚や友達にご信心をお勧め、みんなを連れて別院にお参詣。


ランガ君やラサンギーちゃんがスリランカに帰国した後も家族揃ってご奉公に励んでおり、別院のあらゆるご奉公で大活躍した。信徒コンサートなどの教養会活動のパイオニアであった。コロンボ別院の幹部会のメンバーとして大事なご奉公をなさってきた。


2018年に糖尿病になり、それでも無理して学校で教壇に立った。自分の体の調子を無視し、家族にも自分の病気を隠していた。状態が大変酷くなるまで検査さえ受けていなかった。


そこから腎臓も悪くなり、心臓にも変異が生じてようやく入院。その後、入退院を繰り返した。良くなって帰宅することとあったが、今年だけでも3回入院。9月末に入院し、ご信者一同でお助行をさせていただき、ラミャ先生のお見舞いに通った。しかし、11月になるとの担当医からこれ以上の治療は出来ないと宣告された。


本人やご家族の希望で、葬儀を妙深寺コロンボ別院に行った。ラミャ先生の友人たちが150名以上に参列くださった。長男のランガ君は涙を流しながら「母は参列した全員に下種結縁しました。最後のご奉公を無事に成就して、寂光に帰らせていただいたのだと思います。」と話していたそうです。


なぜなら、ラミャ先生は以前から「私はこれから100人をお教化したい」と家族のみんなに言っていたそうなのです。まるで、ラミャ先生の希望のとおり、最後に100人以上の下種結縁のご奉公を終えて、寂光参拝なさったものと思っております。」


今回のスリランカ出張で、ラミャ・シュリヤーニ・ガルコトゥワ。本響院妙恵日蘭大姉のご回向に伺います。


南無妙法蓮華経ー。


ありがとうございます。

0 件のコメント:

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...