夜が明けたら明日15時から、秀野さんの尽七日忌法要を、妙深寺第二本堂で営むこととなっています。
秀野さんは、11月30日に沖縄で他界されました。
生前、秀野さんにお世話になっていた者として、精一杯のご回向をさせていただきたいと思います。
高知から久くん、大阪から陶も来てくれるとのこと。
あの頃、僕はトゲだらけの、まだ獣のようなバカな若造でした。
自分のレースのことしか頭にありませんでしたし、その勝敗にこだわっていました。
葉山から逗子、江ノ島から茅ヶ崎まで、134号線沿いを縦横無尽に走り回り、海の上も同じように走り回っていました。
仲間との時間、先輩との時間。
かけがえのない宝物です。
秀野さんは僕たち貧乏レーサーの個人スポンサーのような存在で、ガソリンも食事も、家も洋服も、何でも与えてくれた方でした。
秀さんの葉山の家から、どれだけ勝手に洋服を持っていったか。
映画やテレビや雑誌、レースやイベントに出るようになって、少しは恩返しできたでしょうか。
撮影現場に来てくれたり、横浜博覧会に観に来てくれたり。
大学を卒業する春、本山に行く直前、湯河原の温泉に招待してくれた(涙)。
西森くんとやっちゅと、秀さんと僕、たった4人で一晩過ごしました(涙)。
旅館の部屋で食事をさせていただけたなんて、はじめての体験でした。
翌日の朝、秀さんは僕たちを残して早く出て行ったのだと、今さらやっちゅに教えてもらった。
もう忘れていました。
湯河原から茅ヶ崎を抜けて、僕たちは海岸線を走って帰ったことも、秀さんが亡くなってから教えてもらった。
25年前のことです。
明日、53名の方々が妙深寺に来てくださるとのこと。
みんな、秀さんを想い、あの頃を思い返して、来てくださるのだと思います。
僕がこんな風になって、秀さんも、おやっさんも、お父さんのご両親も、ご遺骨をお預かりして、お守りして、過ごすようになりました。
昨年来、大きな節目を迎えていると思います。
大勢の仲間と、その意味を噛みしめて、過ごしたいと思います。
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