「もはや削るものは命しかないのかー(汗)」と思うくらい、昨日は分刻みのスケジュールで走り回りました。
本当に、重たい荷物を抱えて、転びそうになりながら走りました。
11時57分に教室を出て、現薫師の車に乗って出発したのはもう12時を過ぎていました。
宇治から京都駅まで、祈るような気持ちでした。
12時36分の新幹線に乗らなければ15時からの法要に間に合わない。
しかし、奇跡的に12時半過ぎに京都駅に着くことが出来ました。
京都駅でもホームまで走りました。
ゼーゼー(汗)。
14時34分に新横浜駅に到着する予定が雪のために4分遅れ。
車に乗り込んで妙深寺に戻ったのが14時52分。
奇跡的な早着替えをして第二本堂に入ったのは14時58分。
皆さん、お集まりくださっていました(涙)。
気がつくと55名以上の方々が、秀さんの49日忌法要にお参りくださっていたのです。
今から29年前のキラキラ、ギラギラした思い出。
もう、秀さんすご過ぎます。
法要中、いろいろなことが思い出されて、気持ちが溢れ、声がうわずりました。
大変な先輩方、そして大切な仲間、後輩。
ご宝前に飾られた秀さんの写真。
秀さんは、妙深寺の本堂にお参りしてくれた時、とめどなく涙を流されていました。
「俺は南無妙法蓮華経が大嫌いだった。母が亡くなった時、ある宗教団体の人に言われたことが忘れられなかった。絶対に南無妙法蓮華経なんて唱えるものかとあの時に誓った。」
そう言っておられました。
現在の団体名を書くのは控えますが、本当に狂信的な、独りよがりの愚かな発言で、天涯孤独になる子どもの心を深く傷つけた。
その罪は大きいです。
しかし、お願いされたとおり私が一座の法要を勤めると、一緒に「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」とお唱えになって、とめどなく、ポロポロではなくボロボロになって、泣かれていました。
忘れられない。
秀さんが一生を通じて、人を喜ばせ、人と人とを結びつけて、大きな大きな輪を作ってくれました。
昨夜はその集大成。
本当に、素晴らしい方々が集まってくださいましたし、集まった私たちも久しぶりの再会に手に手を取り、感動し、幸せでした。
やはり、これも秀さん。
秀さんは、生きていると思います。
きっと、やるべきことをやっていると思います。
寂しい思いをさせたくないと、頑張ってくれているでしょう。
そう思ってます。
ご供養が終わってから、仲間だけが残り、秀さんを語り、秀さんを偲び、これまでなかなか持てなかった時間を、持つことが出来ました。
本当に、感謝しかないです。
みんなの想いを結集して、妙深寺の第二本堂の納骨壇にご遺骨を納めさせていただきました。
近くに来たら、是非お参りしていただきたいと思います。
どんなにお金を払ったって、買えない。
思い出も、仲間も。
最高の宝物に囲まれた時間でした。
きっと、秀さんが教えてくれている。
もっと大切にしないといけないということを。
限られた人生の時間の中で、大切な仲間、先輩方、後輩たち、その絆やつながりを、これからはもっと大切にして、生きていこうと思います。
秀さん、ありがとうございました。
みなさん、本当に、ありがとうございました。
みんな、本当にありがとう!
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