2017年1月5日木曜日

ブラジルで佛立の尼僧となった吉川妙養師の手記

あとでしっかり宗門でもご披露したいと思っていますが、ブラジルで得度して尼僧となった吉川カロリーナゆかさん、僧名 吉川妙養師の手記を、明日からの寒参詣の励みになると思い、ここに掲載させていただきます。


無理をお願いして、ブラジルに私が滞在している期間中に、英文で書いてくれました。


ネパールの清朋師が美しい日本語に翻訳してくれました(清朋師はネパールでこういうご奉公もしてくれています)。


本当に尊い、素晴らしい内容に、感激して涙が出てきます。


今の自分のご信心前が、恥ずかしくなるほど、本当の本当に素直で正直なご信心、決心。


ご家族のご信心も素晴らしい。


佛立宗、佛立教務は、こうでなければなりませぬ。


プリモーディアル・ブディズム。


明日からの寒参詣、頑張りましょう!


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ありがとうございます。

 

私の名前は吉川妙養と申します。私は仏教の尼僧であり、高崎日現上人の弟子で、ブラジルのサンパウロ日教寺のお手伝いをしております。

 

私の生家は仏教徒ではありませんでしたが、それでも私は人生の中で数えきれないほどのご利益をいただいてきました。もちろん、世間的な見方をすれば、悪いときもあったではないかと言われることでしょう。ですが、私はそのようには見ておりません。

 

今では夫であるリカルド・吉川に初めて会ったとき、彼から「いつか真剣な関係になったら、必ず仏教徒(佛立宗の信者)になってほしい。僕は他の宗教で子供たちを育てるつもりはないんだ」と言われました。それで、しぶしぶながらでしたが、私は日教寺にお参りするようになりました。

 

私の義理の母は、日教寺でいつも精力的にご奉公しておりました。義母のもとで、私はご奉公の仕方を学びましたが、完全には教えを受け入れておりませんでした。ご信心上のことに無知であったために、教えの上で理解できないことがたくさんあったのです。ですが、それらの疑問を、私はご信心を理解する上で必須のものだと考えていました。「なぜ同じこと(南無経)を繰り返し唱え続けるのか?法華経とはなんなのか?誰が法華経を実際にみ仏がお説きになったと保証してくれているのか?日蓮聖人のことばかりを教わるが、なぜ自分のことを仏教徒ではなく日蓮教徒だと考えないのか?なぜ、(ブラジルでは)だれもわからないのに、勤行を日本語でつとめるのか?亡くなった人は匂いをかぐこともないのに、どうしてお香をお供えするのか?亡くなった人は食事をしないのに、どうして食べものをお供えするのか?」それらの疑問に対して私がもらえた答えは「御題目をお唱えしなさい、そうすればわかる!」ということだけでした。それはカトリックの人間にとってはとてもわかりにくい考え方でした。私は不満でした。

 

そのようにして、数年がたちました。2010年に結婚してからも、私はただ、言われるからという理由だけで、日教寺へのお参りを続けていました。私は毎日お給仕のために早く起きて、朝夕のお看経を欠かさなかった夫の信心ぶりをすごいとは思っていました。ですが私自身は仕事上の成功を追い求めることにあまりにいそがしく、そして週末には少しくらいの息抜きをしてもいいはずだ、と考えていました。結局のところ、私は疲れていたのでしょう。

 

ところがある日、私にも何か信仰が必要な事態となりました。私の祖母が病気になったのです。実家の家族は別の街に住んでいますので、彼らのために私にできることはありませんでした。私には他に選択肢はありませんでした。私の家の御戒壇はとても大きく、それを無視することはできませんでした。私は(御戒壇の前に)座って御題目をお唱えしました。私はとても悲しく、気持ちも弱っていましたが、精一杯真剣に、ご宝前に向かいました。

 

そして私のご祈願は叶いました。そしてご信心を持ったことで、私の心は強くなりました。

 

御題目が私のこころを変えました。このときから、私はご法さまがお出ましくださったひとつひとつの出来事に、ふつうは気づかないことですが、気づきはじめました。たとえば雨がちょうどいいタイミングで降ったり(やんだり)。予期せぬ出会いによって、心配ごとが解決したり。うまくものごとが進まなかったとき、それがかえっていい結果につながったり。愛する人との時間をより多く持てたり。予定に遅れたことが、事故を防ぐ結果になったり。言葉にすると馬鹿げて聞こえるかもしれませんが、事実、すべてのことはご利益なのです。だけど、人々はこのことに気づいていない。

 

私は人々にこのことを知ってもらいたいと思います。私は全ての人に私達全員を結ぶ目に見えないつながり(ライン)に気がつく機会をもってもらいたいのです。

 

私はファッション・デザインの専門家でした。初めて教務さん(尼僧?)になることを考えたころ、私は(服飾会社の)製造部門のマネージャーで、中国のいくつもの工場で、製造工程をきちんと、効率よく稼働させるのが仕事でした。この仕事のおかげで外国に行って、そこで暮らす機会も得ましたが、ファッション市場はこの消費社会の中でも移り変わりのはげしい業種の一つです。私の仕事は会社の収入を増やすために、それは製造に関わる人たちの生活に及ぼす結果は考えずに、製造コストを安くすることでした。ファッション業は冷酷でうわべだけの業種なのです。私は最終的に他の人が仕事上の成功とみなすことを成し遂げましたが、会社から家に戻る車の中では涙を流したものでした。私はお寺では仏教を実践しますが、日々の生活の中ではそうではないのです。こんな生活にどんな価値があるでしょうか?

 

私はこのことを一年近く考えました。その間、夫と私は休暇で日本を訪れました。私達は滞在している街で、毎日、朝参詣をするように心がけました。京都、大阪、東京、横浜、千葉で合計6つの佛立宗のお寺にお参りしました。この経験が私の決心を大いに固くしました。私は次の教務養成会(ご信者さんが教務さんの生活を体験できる年に一度の催し)に参加することを決心し、5ヶ月後、カーニバルの期間に、リオデジャネイロの法昌寺で行われた養成会に参加しました。

 

それはちょうど高崎御導師がブラジル本門佛立宗の教区長に選任され、執務をはじめられたころでした。その前は御導師はモジダスクルーゼス隆昌寺の御導師でした。このときまでは、私は御導師のことをあまりよく存じ上げませんでしたが、いつも言葉を超えて好感させていただくなにかがありました。リオでの養成会でお話をさせていただいたときに、御導師は女性が教務としてご奉公することについて、私にお考えをお述べになりました。御導師は私のこころにまっすぐにお話しになりました。

 

サンパウロに戻って、私は教務さんになるという考えについて、夫に話をしました。

 

教務さんにならせていただこうと強く思えたのは、次の質問を夫にしたときでした。「もし子どもを授かったらどうしたらいい?どうやって育てていけばいいかしら?」彼は静かに答えました。「ユカ、もしいつの日か、私たちに子どもを授かるだけの功徳がいただけたとして、そしてもし高崎御導師が君を弟子として受け入れてくださったなら、その子どもをどう育てるかは僕たちの決めることじゃない。それはお師匠さまが決めてくださることで、そのご指示をちゃんといただくは、僕たち次第だよ」と。

 

そのとき、私は夫が私を応援してくれていることに気が付きました。彼もまた、心の準備ができていたのです。

 

お師匠さまのご返事はすぐにはいただけませんでした。御導師は、上足の御導師方と相談をしなければならないとおっしゃり、私に待つようにおっしゃいました。本当のところ、私は心配でした。もし、私が既婚女性だという理由だけで、得度のお許しがいただけなかったとしたら、私はご信心をなくさずにいられるだろうか?日本で女性のお教務さんにお会いしなかったのは、女性は教務さんになれないからだろうか?女性が男性と平等であることを禁ずる宗教を、どうやって信じていけるだろうか?

 

そこで私は百本祈願を始めました。

 

お師匠さまは私にお寺で百本祈願をするようにおっしゃり、私は喜びをもってこれをさせていただきました。誰も私がなぜ百本祈願をしているのか知らなかったにも関わらず、日に日により多くの人がご祈願に加わってくださいました。合わせて7人か8人の方が、同じように一度に何本ものお看経をしてくださり、とてもありがたかったです。

 

そして高崎御導師から見習いに入るお許しをいただくことができ、今度は家族との話し合いをすることになりました。佛立宗の信者ではない母は、私が教務さんになるといっていることを、恐ろしく思っていました。母は私が洗脳されてしまったと思っていたのです。同じことが法灯相続をし、家族から2人のお教務さんを出していた夫の家族との間でも起こりました。

 

正直なところを申しますと、なぜ佛立宗には女性の教務さんがほとんどいないのか、また私の決断になぜこうもみんなが驚くのか、私はいまだにわかりません。私は女性によって育てられたのであり、私の能力が男性のもつ能力とは違っていると考える理由が私にはわかりません。私の人生は、彼ら男性教務さんの人生より価値が重いわけではありません。私は、私の先輩の教務さん方がされたことと比べて、特に驚くべきこと、より賞賛されるようなことをしているとは思っていません。私が投げうったものは、男性の教務さん方が投げうたれたものと比べてなにも大きくはありませんし、私の決心は、男性教務さんがされた決心より価値があるわけではないのです。

 

ありがたいことに、今では家族はみんな、私の決心に納得してくれています。

 

私は見習いの修行を2016年の3月15日、29歳で始めさせていただきました。その日は御牧御導師の祥月ご命日で、それで12月4日、私は御牧御導師のお名前から妙養と僧名をいただきました(御牧御導師の僧名は淳養とおっしゃいます)。御牧御導師はブラジル佛立宗の発展に多大な貢献をなさった方です。

 

見習い期間中、お師匠さまは私を他の見習いと同様にお扱いになりました。私の入寺から数週間後、他の方が見習いとしての修行を始められましたが、数ヶ月後、この方は教務の道を断念されました。ですが私は、この方がこの日教寺で日々を過ごしたことは、私にとってご利益であったと感じています。私たちは友人となり、特に最初の数ヶ月、私が最初の試練に直面したとき、彼は私を大いに助けてくれたのです。

 

私の入寺が正式に認められた直後、私は妊娠をしていることがわかりましたが、三ヶ月後、その子を失ってしまいました。ほとんどの人にとってはこれは悲しい現実だと思われるでしょうが、私はこの出来事がともかくも私たち夫婦を強くしてくれたと思っています。私たちは今は前よりもよくなっています。このことは私たちに大きな傷跡を残しましたが、私は物事は偶然起こるものだとは思いません。いつの日か、同じ体験した私だからこそ語れる言葉を必要とする女性が現れることを、私は知っています。ですから、私は悲しいとは思いません。この体験は私を強くし、教務の道を歩み続ける理由を与えてくれているのです。

 

得度式を終えてからも、私は自分が学びの過程にあるように感じています。お寺では毎日何かが起こります。毎日何かから学びを得ることができます。毎日、何か新しいことに気づくことが可能なのです。私はもう大人ですので、あらゆることをよく観察することで、(自分の中に)違いを生みだそうと努めます。そして、(つねに)力一杯の努力を続けていくよう努めていきます。

 

これらの学びの機会を確かにいただきながら、私はこの一生の一日一日を、最期の日まで、ご法さまにお捧げすべく、務めてまいりたいと思います。私は、仏さまのみ教えを人々にお伝えできるようにならないといけないと感じています。私はすべての人に、私が見ているもの、私たちたちの人生のひとつひとつのことがそれぞれ具体的なお計らいであり、ひとつひとつの出来事が感謝に値するということを、わかってほしいと願っています。

 

私の無知さにもかかわらず、だれかたった一人にでも、このことを伝えるお手伝いができたなら、(私がこの教務道に人生を捧げた)その価値があったのだといえるのです。

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