今夜、私はみち子さんのお通夜を勤めさせていただきます。
会議を失礼して申し訳ありません。
1月3日、余命いくばくもないと聞き、お助行に伺いしました。
「ご住職を待ってます」
一座のお看経を終えて、二階に上がらせていただき、静かにお部屋に入りました。
すると、想像していた姿と全く異なる、笑顔の、美しい、明るい、みち子さんが、ベッドに座って待っていてくださいました。
腹水もたまり、ステロイドも入り、緩和ケアが始まり、酸素も3から4のレベルで入っている状態。
握手をし、開口一番、「本当にありがとうございます。私は本当に幸せでした。父にも母にも心から感謝しています。本当にありがとうございましたー。」と。
お母さんも一緒におられました。
今でも、彼女の言葉が耳に残っています。
支えられながら、自分で写真屋さんに行き、葬儀に使う写真を撮ってもらったと聞きました。
銀行にも行って口座を解約し、ご両親に渡したのだと聞きました。
大切にしていたものを周囲の方々に渡して、形見分けまで済ませてしまったともお聞きしました。
生まれ変わり、死に変わりと教えていただき、そう言いながら、ここまで自分の死を見据えて、出来るでしょうか。
「咲く咲く常住 散る散る常住」
「生死の二法は一心の妙用」
「先ず臨終のことを習ひて後に他事を習ふべし」
このように教えていただく私たち佛立教講であっても、死を目前にして、これほどまで穏やかに佇むことは出来るでしょうか。
命あるかぎりご奉公させていただこうと、ベッドの横に置かれたパソコンを開き、個人祈願ガードのデータを作成してくれていました。
妙深寺のさんきゅうさんを入れたシールも作ってくれていて、私にプレゼントしてくださいました。
あの1月3日、これが、彼女と、今回のこの世界で会う最後だと、はっきりとお互いに知りながら、写真を撮り、ハグをして、お別れしました。
すぐにブログにアップしようと思いましたが、その日が来たら、彼女を称えて、載せさせてもらおうと思っていました。
あの日からちょうど2週間後、1月17日に彼女は旅立ちました。
みんなにご挨拶して、遠くの友人たちにも電話をして別れを告げ、最後の入院をしたと聞きました。
その臨終に臨む姿は、佛立信徒のお手本にすべき尊いものでした。
その心境や境地に至るまでは、語りつくせないいろいろな出来事がありました。
それを含めて、彼女をお手本にさせていただくべきだと思います。
誰もが必ず通る道、行かねばならぬ道です。
「五字の中に生れて五字の中に死す。生々世々の菩薩行なり。」扇全7巻193頁
南無妙法蓮華経ー。
「出る息は入る息を待たず。いかなる時節ありてか毎自作是念の悲願を忘れ、いかなる月日ありてか無一不成仏の御経を持たざらん。昨日が今日になり、去年の今年となることも、これ期するところの余命にあらざるをや。すべて過ぎにし方をかぞえて、年のつもるをば知るといへども、いま行く末において一日片時をも誰か命の数に入るべき。臨終すでに今にありとは知りながら、我慢偏執、名聞利養に著して妙法を唱え奉らざらんことは、心ざしのほど無下に愛なし。」持妙法華問答抄・高祖日蓮大菩薩
本当に、こうしたご奉公をさせていただくにつけ、慢心し、偏り、名声や名誉を求め、欲望のままに生きる愚かさ、虚しさを感じます。
分かってない、全く分かっていない。
「さくと見ば やがて桜はちりそめぬ 花やなるるをいとふ成らん」御教歌・扇全6巻324頁・佛立開導日扇聖人
好き嫌いを言ってはなりませんが、大好きな御教歌です。
桜は慣れるのを嫌ってあんなに早く散ってしまうのでしょうか。
慣れるを嫌う。
今夜、長野にてみち子さんのお通夜を勤めさせていただきます。
0 件のコメント:
コメントを投稿