2011年3月31日木曜日

『水戸・いわき・釜石・陸前高田 支援活動のご報告』 竹村堅裕ご住職

『水戸・いわき・釜石・陸前高田支援活動レポート』

 東日本大震災以降、自分にさせていただける支援活動は何か?と「義援金、物資調達、ご祈願、現地支援」などを思う中で、原発等の事を思うと、まず、「ご祈願」させていただこうと「24時間口唱」をさせていただき、ご宝前に「大震災終息・原発事故終息、原発事故終息のために活動されている方々、救援活動されている方々の、活動円滑無事安穏、被災者無事救済、佛立寺院教講の無事安穏等」をご祈願させていただきました。

 その後、29日、30日で水戸の秋山ご住職と行動させていただき、支援活動に入りました。

 妙深寺の長松ご住職と連絡を取り、妙深寺で支援物資を積み、水戸の開運寺に向かいました。開運寺で荷物を積み替え、秋山ご住職と共に、まず原発30キロ圏のいわき市にある妙運寺のご信者さんにお配りする水やお供水をトラックに積み込みました。
 妙運寺には23時ごろ到着し、とにかくご宝前にご挨拶をさせていただきました。トラックの荷台にホロをかけたまま、一路岩手県釜石市の慈念寺へと支援物資を届けに向かいました。
 30日早朝に釜石市に到着。市内は家屋の倒壊している様子もないことに安堵しました。港に近づいて行くと突然一転して街並みが急変し、津波の被害が目に飛び込んできました。ひっくり返っている車、歩道にある船、倒壊しかかっている家屋、瓦礫の山、港に乗り上っている巨大な船、とにかくあるべきものがあるべきところにない現状に、「一体何が起きたのだ?」と目を疑いました。町の様子を見る限り、すべては津波の被害であり、地震によりものではないことを理解しました。

 こうした町の様子を見ながら慈念寺に到着すると、お寺は高台にあって全く津波の被害を受けておらず、無事な本堂を見て少し安堵。ご宝前にご挨拶させていただき、お寺そのものが無事であることに随喜しました。本堂のご信者さんの席には、皆さんから寄せられた救援物資が並べられてありました。
 今回、私たちは尾形ご住職の車にガソリンがなく、被災地域の方々に物資を配達したくても出来ないと聞いておりましたので、燃料を多く積み込んでいました。早速尾形ご住職の奥さまと物資を下ろし、それらをお渡ししました。そして、ガソリン等の燃料を車に入れて慈念寺での支援を終えました。尾形ご住職ご家族と朝ごはんをご一緒させていただきました。 
 物資は日が経つごとに必要なものが変わります。燃料不足も少しずつ落ち着いてきている様子でした。調味料や野菜、肉類、お惣菜などが喜ばれ、またティシュなどの消耗品を喜ばれていました。朝ごはんをいただきながら津波の甚大さやみんなが頑張って乗り越えようとしていること、お計らいのことなどのお話をお聞きすることが出来ました。
 慈念寺を後にして壊滅状態といわれている陸前高田に物資を届けにまいりました。大船渡を通り海沿いは物凄い津波の被害でごった返していました。道路の脇は全て廃墟と化した街なみでした。そして、当に今回の巨大津波がいかなるものであるかという状況が目に飛び込んで来たのです。

 釜石や大船渡もすごい事になっていましたが、陸前高田はほぼ全てが巨大津波に破壊され、町のほぼ全てが巨大津波にのみ込まれてしまったという状態。言葉を失い、涙しました。町のほぼ全域が津波に流されていて、建物はすべてが瓦礫となり、360度すべてが見渡せる状態になっていたのでした。壊滅的状態とは、この姿なのだと思いました。未だに津波の水が引かないところもあり、何を一体どうすればよいのかただただ呆然とするのみでした。
 震災発生から20日間経ちましたが、360度一面大平原のように倒壊した瓦礫の中に、未だ見つけ出されていない方の御遺体が沢山いらっしゃることを思いました。この地区の行方不明者が物凄く多いのは、この一面大平原のようになっている状態だからであることは言うまでもありません。とにかく御題目しかありません。被災者の方々へ「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とお唱えさせていただきました。涙しかありません。
 何もかも無くなってしまったわけですから、ガソリンスタンドもないわけです。陸前高田の山手で津波の被害がなかった。鳥羽さんのお宅に物資をお届けさせていただきました。鳥羽さんはサッカーの鹿島アントラーズの小笠原選手の奥さまのご実家で、同チームの田代選手(博多光薫寺のご信者さん)がそれを聞き、秋山ご住職にお話がきて支援をお願いされ物資を運ばせていただいたのでした。

 鳥羽さんのお話では、「これだけの大被害なので津波被害を免れた方々は、被災者扱いはしてもらいづらい状況なのです。」と仰っておられました。確かにほぼ壊滅状態の街です。津波被害を逃れたお宅は不幸中の幸いなのですが、町が消えてしまったのですから生活が成り立たず、断水、停電、などのライフラインは全てありません。鳥羽さんの奥さまが看護師をされている関係もあって、地域のコミュニチィーに通じておられ、準被災者扱いとなっているお宅に届きにくい物資を届けてくださっているとのことでした。

 鳥羽さんのお宅に物資をお届けし、配達する為のガソリンを車に給油して任務を完了しました。お隣の奥さんから「ガソリンがなく動きが取れなくなっていたので助かりました。これで、3週間ぶりにお風呂のあるところまで行けます。」と喜んでいただけました。佛立信心のお話もできて結縁ご奉公となりました。ありがたいです。
 そして、今回最後のご奉公であるいわきの開運寺に戻りました。お寺の境内に停めたトラックの荷台からお水とお供水を下ろしてご奉公を完了するところでした。しかし、長松ご住職が心から心配して伝えてくれた「被ばくに気をつけて」という言葉が思い出されました。なぜなら、いわき市に入った頃から雨が降り出したのです。それは、豪雨に近い激しい雨でした。ところが秋山ご住職のご信者を護る熱意が仏天の御加護をいただき、お寺に到着し作業する時にはぴたりと雨が止み、濡れることなく全てのご奉公を完了させていただきました。(作業が終わるとまた降り出しました。)
 今回の支援活動で、大震災の凄さ、大津波の凄さ、放射能の怖さを身をもって感じました。現在も被災されていて苦しんでいる方々が沢山おられ、原発の災害も予断を許さない状況下の福島で、日々の信行をされている教講の皆さまに対して、また、原発事故の終息に被ばく覚悟で尽力されている皆さんに対して、「今、何ができる」、何を思い、どんな活動をさせていただいたら良いか、これからもご宝前に伺い、佛立人として、日本人として、想像を絶する大災害、待ったなしの現状に、想像以上の勇気と行動の必要を思います。
 ありがとうございました。

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