被災地でもお彼岸の準備をされているのに、私たちがしっかりご奉公できないようでは仕方ありませんし、御法さまに申し訳が立ちません。明日、この大震災で亡くなられた方々のご回向もさせていただきます。一人でも多くのお参詣をお待ちしています。
幸いなことです。御仏は御法を託し、お祖師さまは祈る方法を教えてくださった。みんな願いはあるのです、祈りたいのです、しかし、その方法が分からない。
人間の心は海の砂をつかんでいるようなもので、しっかり握ったつもりでも、時が過ぎ、気が付けば、掌の中の砂は一粒も無くなっています。「祈ります」と言うのは簡単です。しかし、それを本当に行動に移すのは難しい。思うだけでもない。瞑想や黙祷でもない。私たちは、思いを声に寄せて、まるで、のび太くんの机の引き出しのように、空間も距離も超えて届けられる御本尊をいただいています。そこに向かってする修行方法がある。音。バイブレーション。届けられるのです。
人のために祈りたいという気持ちは素晴らしい。その祈りを形にする方法がないとしたら、せっかくの気持ちが勿体ない。
明日の法要。すでに、支援物資も届かない、一万人を超えようとする災害横死者の方々に向けて、御題目をお届けします。共に、この「祈り」、明日の「救援活動」にご協力ください。お参詣を。
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