出発の数日前、妙深寺の朝参詣で説かれたコレイア清行師の御法門です。
御教歌に。
「ひとりきてふたりでかへる寂光は
妙法五字のお供也けり」
"Veio sozinho mas volta a dois ,
acompanhando o Odaimoku a Terra Pura"
佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌でございます。
私達がこの世界で人間に生まれるということはどれだけ難しいことか。当たり前のことですが私達は、何も持たず、何もしらずに生まれてきます。
そして、成長する中で、世間の物事を学び、仕事をして、自分の人生を歩いていきます。しかし、そうして自分の命、人生ををかけて必死に培ったものの中で、今生を終えて来世まで持っていけるものというのはどのくらいあるでしょうか?
この御教歌は、私達が来世に何を持っていくのか、ということを教えていただく、妙法の五字のお題目をお唱えし、魂に積ませていただいた功徳のみ、持っていくことができる、生まれた時は一人でも、寂光に帰る時にはお題目が付いていてくださると、お示しの御教歌でございます。
再拝させていただきますと。
「ひとりきてふたりでかへる寂光は
妙法五字のお供也けり」
さて、最近でもよくテレビ番組でエジプトのピラミッドの謎について取り上げられています。ピラミッドは古代エジプト人の王様のお墓で、その王様達が丁寧に処理をされたミイラとして安置されていたことでたくさんの人の興味を引きました。
なぜ、その王様達はミイラにされることを望んだのか。いまだに謎の多いピラミッドですが、今の研究では、古代のエジプト人達は死んでも、またいつか魂は同じところ、同じ体に戻ってくると信じていたからだと言われています。ですから、王様達は自分達が生き返った先のことを考えて、大きな家、たくさんの宝物、そして腐らないように当時の最高の医学で処理した自分の体を残したそうであります。
しかし、残念なことですが、その人達が知らなかったことは、私達は簡単に人としてこの世界に戻ることができないということです。
結局彼らがが残そうとしたものは泥棒達に盗まれ、宝物をめぐって争いや問題もたくさん起きました。悲しいことです。
これは2000年以上も昔の話ですが、今の時代、科学も進み、そういう過ちがなくなるかと思いましたが、逆にもっと強くなっていると思います。
現代の凡夫は来世について考えることもなく、自分の死後来世に何を持っていくかなんて別に気にしていないようです。
そんな末法といわれる時代の中で私達は、お出会いしがたい、本門法華経のご信心にお出会いさせていただくことができました。私たちには今この人生だけではなく、前の人生、過去世と死後の人生、未来世があるということを学び、そしてその三世にわたって功徳を積んで、幸せに暮らすための教えを学ばせていただいています。
私達の人生にはいつか終わりがきます、功徳を積んで、来世に持っていくためには、いまどういう生き方をしていくか、どういう人生を送るかがとても大事です。
みなさんすでにご存知だと思いますが、ブラジルで3人のご住職(Kyoryu-shi , Hakuze-shi ,Kyoshou
shi)が、自動車の事故で亡くなりました。
言葉にできないくらい悲しいことですが、彼らが生きていた間にどれだけお題目をお唱えし、功徳の貯金ををされたか、本当にすごい方々でした。
3人共、私にとって、とても大事大切な方でした。特にHakuze-shiは、子供の時からずっと一緒でした。
ご奉公のやりかた、「わがまま言わずに頑張れ!やれ!文句を言うな!」、汚い、他の人がやりたがらないご奉公はもっとたくさんの功徳を積むことができます、裸足で歩き、シャワーはなし、24時間ご法様のために生きていた彼がよく教えてくれました。
私が3年前得度を決めるきっかけとなったインド団参へ行く当日、なかなか得度を決めることができなかった私に一言がありました。
「お前はインドに行ったら絶対に教務になる決意をする、ならないと帰国をするな」
とおしゃっていました!!
大変なお折伏でした。そのことが頭の中にずっとあり、その言葉通り私はインドで得度をする決意をしました。
そして、帰国して、hakuze-shiから喜びのキスをもらいました。
ブラジルで見習いをはじめて、佛立聖地で、何回も一緒に体を使ったご奉公をさせていただく機会があり、たくさん勉強をさせていただきました。本当にありがたい思い出です。
そして、ブラジルから妙深寺で修行をするために、日本に向けて出発する時、ゲートを通る直前にHakuze-shiに呼ばれまして、聞きに行ったら最後のキスをしてくれました。
それは私だけの思い出です!
ネパールのご奉公でも、いつもご奉公をしながら彼のことを心の中に思ってさせていただきました。本当に感謝しています。
もちろん私だけではなくて、ご住職としてたくさんの人に御信心を伝え、幸せに導き、喜ばせました。本当にすごいです!
そして、3人共に家族をとても大事にしていました。事故が起こり、突然のふかい悲しみに、家族はつぶれるぐらいだったとおもいます。
でもご住職達がしっかりお題目、ご信心の大事をお伝えしたご家族ですから、お題目の力をお借りして落ち着くことができたそうです。
「これから彼らの分も頑張る!がんばらないといけない!」
と連絡がありました。本当にすごいです、信じられないぐらいです。
家族から届いたメールを読みますと、
「彼らは必ずお題目と一緒に寂光へ行きました、安心をしています。」
と、この御教歌のようなことが書かれていました。普通の家族からはとても聞くことのできない言葉だと思います。
3人のご住職達は、寂光へ向かわれましたが、この世界で一番いい宝物をたくさんの大事な人たちに残されました。お題目のお力、大事さ。そのことを知って、毎日御信心修行に頑張れば、間違いなくお題目と一緒に二人で寂光へ帰る事ができると、この3人のご住職から学ばせていただきました。
開導聖人の御指南には。
「本門八品上行要付の南無妙法蓮華経は。末法悪人己心の重宝也。世間の宝は賊にもとらる。死のときは家にとらる。但信の一字の宝物は
鼠も引かず。猫もとらず。獅子 像 虎 狼も取食ふ事なし」云々(扇全14巻103頁)
とお示しでございます。
お祖師様がお伝えくださった本門法華経八品の南無妙法蓮華経のお題目は、末法に生きる私達にとって何よりの宝物。この世界のどんな価値のある宝物でも泥棒に盗まれる事もあるかもしれない、盗まれなくても、もし自分が死ねば家に置いていくしかない。しかし、信心に頑張って、積ませていただいた、宝、功徳は、もちろんネズミにもネコにも取られない、ライオン、ゾウ、トラ、オオカミにだってとって食べられる事はない。来世に行くときにも決して自分から離れることなく一緒に行ってくださる、来世も幸せに暮らす事ができる。その宝を、このご信心にお出会いさせていただいた今、できるだけたくさん積ませていただくために、お題目口唱、ご奉公に励ませていただく事が大事とお教えいただく御指南でございます。
どうか私達お互いは、亡くなられた3人のご住職達を見習い、私たちもどういう人生を送ることが大事なのか、いつか必ずくるその時に、来世にたった一人で不安で、寂しく行くことのないように、いつもお題目口唱を心がけて、功徳をたくさん積ませていただく、そしてその生き方をまた、誰かに伝えるご奉公に励ませていただく大事をお教えいただく御教歌でございます。
故に御教歌に。
「ひとりきてふたりでかへる寂光は
妙法五字のお供也けり」
"Veio sozinho mas volta a dois ,
acompanhando o Odaimoku a Terra Pura"
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