すぐにでも飛んでいきたい。
そう考えながら自分の与えられたご奉公の責任を全うすべく、この数日を過ごしました。
いま、ようやく横浜に戻る新幹線に乗っています。
6日の朝、清行から電話がありました。
すでに泣いていたので、即座に私たちのご奉公の最前線で何事かが起きた、果たしてネパールの清朋か、スリランカの良潤か、インドか、と覚悟しました。
泣いている清行に落ち着くように促し、話を聞くとブラジルとのこと。
なんと言うことだ。
東日本大震災、ネパール、熊本、相次ぐ自然災害に加えて、過酷な人災も所を選ばず起き、昨年は旭の帰寂、今年は先輩や友人たちの不慮の急逝。
先日、ブラジルのサッカー選手らを乗せた飛行機の墜落事故があり、戦慄していたのも束の間、ブラジルから届いた訃報は私たちの戦友とも言うべき弘通家、同志のご遷化でした。
遠くにいる私たちですら哀しみに暮れ、昨日の朝は泣き過ぎて瞼が腫れていました。
ブラジルの方々、御導師、御講師、ご信者の皆さま、ご家族の皆さまのお気持ちを察すると、想像を絶するばかりで、言葉も思い浮かびません。
通信状態も悪い上に携帯電話もつながらず、頼りになるのは災害時と同じようにSNSのメッセンジャーやLINEだけで、随伯師から竹村ご住職にFacebookを通じて連絡が入り、何とか正式に本庁へご連絡いただいたとのことでした。
一年前の自分と重なりました。
どれだけの哀しみ、火急なことか分かりません。
すぐにでも飛び立って、打ちひしがれた皆さまのお力になりたい、御導師を支えたいと思いましたが、私のような者が連絡をしても出て行ってもご迷惑をおかけするだけなので、ひたすら御法さまにお縋りするばかりでした。
ちょうど妙深寺には行運師がおられて、清行とともに6日の朝から7日の朝まで、24時間のお看経を敢行し、ひたすらご宝前にお縋りしてくれました。
絶望に希望、最大の不幸を最高の幸せとするのが御題目のお力、このご信心です。
彼らもその御力と慈悲の尊さを感じておりました。
御導師の心痛を感じようと心を向けるだけで居たたまれず苦しくなりました。
僕のような者ですら、今までの時間を思い起こし、涙が止まりませんでした。
わずかな時間でしたが、彼らと抱き合ったこと、彼の微笑みに救われたこと、励まされたこと、絶対に動じず、真っ直ぐなご信心で、御導師を命懸けで守ると言っていた姿が思い浮かび、涙が溢れました。
彼らは日水上人の弘通精神、情熱に憧れ、それを求め、それを体現した、ブラジルを代表する弘通家であり、佛立教務でした。
僕ですら、そのような有様です。
ブラジルの皆さまのご心痛は、言語を絶し、想像すら及ばない損失と悲しみ、痛みです。
地球規模で恐ろしいことが近づき、危機を迎えているのではないかと思えてしまいます。
いざ戦争が起これば、瞬く間に全世界に広がり、それらは恐らく長期間に及ぶ。
想像に難くありませんが、こうした方々の急逝に接し、そのような予感すら覚えるのです。
ブッダも晩年に教団の後継者とされていた舎利弗尊者と目蓮尊者に先だたれました。
ブッダの心痛もまた計り知れないものだったと推察します。
ブッダの在世すらそのような大難、困難、苦難があったことを思いますと、末法悪世の私たちに訪れる苦難は重ねて想像を絶するところです。
この上なく素晴らしい弘通家であり、貴重な指導者、尊い後継者でもあった、夫であり、父でもあった方々を失われ、誰もが深い悲しみの中に沈んでおられると拝察し、おかけする言葉も見つかりません。
敬愛する戦友たちを失い、涙も枯れ果て尽きる今日です。
ただ一つ、ご弘通の最前線に立つ者として、同じくいつか順番が来るということだけが慰めです。
栄光に満ちた弘通家のお見送りを、彼らの遺志を受け継ぐ誓いの場としていただきたいとのみ願います。
今は、ただ祈ることしか出来ません。
遠くにいる私ですら思います。
彼らがいなければ、100周年のご奉公も、現在のブラジル本門佛立宗の隆盛もありませんでした。
危機に瀕していた時も、彼らは常に真っ直ぐにご宝前に向かい、日水上人の精神や情熱を受け継ぎ、ブラジル本門佛立宗の再興のため、隆昌発展のために命懸けでご奉公くださっていました。
彼らの懸命なご奉公は、遠く日本まで伝わり、彼らに鼓舞されて、僕たちは変わることが出来ました。
彼らのおかげなんです。
彼らのおかげで、今日があります。
こんなに早い別れが来るとは思っていなかったけれど、彼らに感謝を伝えたい。
本当に、ありがとうございました。
ありがとう。
生まれ変わり、死に変わり、私たちは弟子となり、師匠となり、旦那となり、ご弘通させていただきます。
必ず、また会える日が来ると信じています。
また一緒にご奉公出来る日が来ると確信しています。
会えなくても、探します。
必ず探し出して、一緒にご信心、ご奉公させていただきます。
絶対に負けないでください。
運命にも、無常にも、謗法にも、罪障にも、生き直し、生き直して、生きている僕らにはまださせていただける時間がある。
あと少し残っているはずだ。
いま、ブラジルの御導師方の肩に、背中に、想像を絶する重荷がのしかかっていることを、思っています。
少しでも分けていただいて、私も担わせていただきたい。
僕にも背負わせてもらいたいけれど、そうさせていただけないのが口惜しい。
すでに、ずっと本番が始まっているけれど、本当の本当に佛立仏教徒としての真価が問われる時です。
11月に学ばせていただき、拝見してきた御教歌ー。
「ことの葉に おがむといへど如説抄 いはれしらねば仰ぐよしなし」
思い定める。
言葉でも制度でもない、佛立信心は僕たちの覚悟だ。
日水上人に、これまでのご奉公を、胸を張ってご報告ください。
また会う日まで。
しばらく。
南無妙法蓮華経ー。
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