昨日早朝、鈴江日原御導師がご遷化になられました。
朝6時に鈴江ご住職からご連絡をいただき、入院されていた御導師の容態が急変されたとのこと。
入院されてはいるものの、容態は安定していると安堵していました。
ただ、お食事がなかなか摂れない、お休みになっている時間が長くなっているとも教えていただきました。
そして、12月9日午前6時33分、ご遷化になってしまわれたのでした。
9日は富士子奥さまのご命日。
母は、これから長く辛く苦しい治療が続くのであれば、もしかすると9日に、、、、と思っていたようで、そのような話をしておりました。
そのとおり、まるで富士子奥さまが御導師をご心配になってお迎えに来られたように、ご遷化になられたのでした。
朝、そのまま妙現寺に向かい、病院からお戻りになられた御導師をお迎えさせていただきました。
御導師の御姿を拝見した途端、またまた涙が溢れて止まらず、仕方がありませんでした。
「清潤さん、それはいいね」
「清潤さん、それはそうだね」
「清潤さん、頑張りなさい」
その御導師の温かな「清潤さん」という慈悲に満ちたお声が浮かび、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
御導師は日博上人の御弟子さまとして妙深寺を支え、妙深寺を愛し、ずっと妙深寺を大事に、大切に思って、支えてくださってきました。
日博上人時代から、先住日爽上人の時代まで、先住のお怪我の時も、先住のご遷化の時も、私のような者が住職となってからも、ずっと、ずっと、お力添えをいただいてきました。
今の妙深寺があるのは、鈴江御導師のおかげです。
何も出来ず、よろにお給仕も出来ず、すべて鈴江昭薫ご住職と、真智奥さまに任せっきりで、本当に申し訳ございませんでした。
ただ、日博上人の御流儀を守り、ご弘通でお返しすることでお喜びいただけると思い、懸命にさせていただいてきました。
ご心配、ご迷惑を、いつもかけていたと思います。
今年の春の終わり、鈴江御導師とお食事できたことは、永遠の思い出です。
いつものように、お優しい、お優しい、御導師でした。
思い出は尽きません。
いろいろなことがあり過ぎて、続きすぎて、まだまだ感慨に浸ることも許されませんが、一つずつ思い返していきたいと思います。
昨日は妙現寺から戻り、そのまま教区御講を3席勤めさせていただき、そのまま妙現寺に戻ってご奉公させていただきました。
今日も教区御講を3席勤めさせていただいて、そのまま妙現寺にお伺いしてご納棺、そして葬儀委員長をお勤めいただく指田御導師を中心にお見送りの準備をさせていただきました。
明日も教区御講が3席と続きます。
負けずに、精一杯のご奉公をさせていただきます。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」教行証御書
弘通家・鈴江御導師の下で学ばせていただいたことを忘れず、さらに精進いたします。
13日仮通夜、14日本通夜、15日に本葬を奉修いただき、お見送りのご奉公をさせていただきます。
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