とにかく、今日まで身体が持って、こうして陸前高田に入ることが出来て、よかった。ここで体調を崩しては、何の意味もなかった。
妙深寺のご奉公、京都でのご奉公、海外でのご奉公、被災地へのご奉公。何一つ引けるものはなかった。それらは、完璧なタイミングで目の前に訪れてきていた。
夢ばかり追っていてもダメ。足下を見るばかりでもダメ。木を見て森を見ず、森を見て木を見ずは、双方ともに許されない。
ビジョンを持たず、使命を見失い、現実から目を逸らしていたら、あとは沈むのを待つだけだ。
理想論だけでは通らない。評論家はいらない。ただし現実ばかり見ていてもダメだ。
被災地への支援活動に力を入れると、「地元も大変なのに、東北に行っている場合か」という声もある。海外とて同じだ。海外弘通を語ると、必ず「国内のご弘通も大変なのに、海外ではない」という声が上がる。
下種結縁と教化のご奉公に力を入れると、「お寺の中のご奉公の方が大切ではないか」という声もある。
きっと、それらは事実であり、現実であると思う。
支援活動に力を入れている間に、その母体が壊れてしまっては意味がない。海外だけに力を注ぎ、国内が疎かになっても意味がない。下種結縁のために外を回っても、法灯相続や班内のお助行が疎かになっていいはずがない。
内弁慶でもダメだし、外の世界に焦がれて走り回っているだけでもダメ。兵法でも、戦線を広げ過ぎれば守りが弱くなり、籠城が長引けば内輪もめが起こり、体力は衰え、いつか兵糧が尽きる。それらは論ずるまでもない。
明日の東日本大震災一周忌慰霊法要。妙深寺が目指す6月10日の報恩記念大会。陸前高田でのご奉公。佛立農園。有縁社会プロジェクト。インドやアフリカでのご奉公。「仏教徒・坂本龍馬」の刊行。京都でのご奉公。
全て今は点と点。しかし、もう少ししたら全てが一つに結びつく。それが、ハッキリと見えていて、日を追うごとに鮮明になっていく。
生きたお寺、生きた仏教。本当に明るい未来を開くために、欠かせない鍵。これが無ければ開かない。日本中、世界中に、その鍵を渡してゆかないと。
昨晩、泰輔さんと話をしたことでインドでのミッションに力をいただけた。シェーカーも頑張ってくれている。ホテルでのセッション。繰り返し、こうしたことを重ねてゆきたい。真っ直ぐ見つめるシェーカーに、大きな期待を寄せている。
彼も6月10日には日本へ来てくれる。
0 件のコメント:
コメントを投稿