亡くなる日や時間を自分で決められる人はいません。死化粧だけは自分で出来ないと先住はいつも仰せでした。
美智子さんがこの時間を選んだわけではないけれど、偶然ではなく必然として、この日、この時間になったことが分かります。ご信心をしていると、自分勝手な思い込みではないシンクロニシティが溢れます。私たちには推し量ることのできない偉大な叡智の流れの中に、美智子さんも導かれていたことを痛感しました。
「凡慮の及ばざるところなり」です。
家族全員、ご近所の方々までが見守る中、息を引き取られたとのこと。私たちは陸前高田で一周忌慰霊法要の最中でしたが、14時46分に着信があり、75才で美智子さんが旅立たれたことを知りました。日本中が黙祷し、私たちが御題目をお唱えする中での臨終となりました。
実に美智子さんらしい。決して忘れられない日、忘れられない時間に、息を引き取られたこと。功徳は、火にも焼かれず、水にも漂わず、美智子さんの魂とともにあります。
美智子さんが本当の意味でご信心されるようになったのは、決して遠い昔ではありませんでした。義母の強い信心に反発し、ご信心から離れていたこともありました。別の信仰に足が向いたこともあったということです。しかし、12年前、義母である妙深寺初代婦人会長・大塚英子さんの葬儀の時からご自身で佛立信心を掴まれました。以後決して揺れ動くことはなかった。
その美智子さんを、御法さまはご覧になっておられたと確信します。一年前、「義母に、美智子は改心して、しっかりご信心していると伝えて」と先に旅立つ100才の方に話していたと聞きました。ありがたいことです。
昨夜、お通夜を勤めさせていただき、そのままホテルに泊まらせていただいて、今朝告別式を奉修させていただきました。
さみしくなります。でも、美智子さん最後の大きなメッセージに、鳥肌が立つほど感動し、お礼を言上いたしました。
ありがとうございます。
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