日蓮門下では「大曼荼羅」と言うと広く物的なオブジェクトのイメージで捉えており、事実教学的な解釈でもこれを基とする。しかし、これは誤った、浅い解釈である。
宗網の指す「大曼荼羅」とは、開導聖人のお示しになられた意義に依拠し、誤った一般的な「曼荼羅」を指さない。しかし、当宗の中で、一般的な「曼荼羅」の解釈を用いて、物的な「本尊観」に立ち止まる恐れを危惧する。
「御本尊」は、しっかりと当宗の視点で「三箇之中 一大秘法」の「御本尊」をいただき、他の本尊観の誤りをも認知しなければならないと考える。決して、物的に捉えたままではならない。
開導聖人の御指南
「或が曰く、一遍首題は、本尊にあらず、曼荼羅とは申さず、御本尊には、四天王なければ。ならず、十界が、一つも闕ては、十界勧請の曼だらとは、申さずと云々。
高祖曰、曼荼羅とは、天竺のことば也。ここには功徳聚と云、万法ここに聚る也、妙法五字は、本地甚深の奥蔵也と、玄一に云々。
一念三千の寳珠此五字を本尊と定むべし。これ肝心也、要法也、下種の本法也、これを正像未弘のだいまんだらと申奉る也と云々」
扇全27巻277頁
特別講演、大変勉強になりました。ありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿