2019年10月1日火曜日

ブラジルのブラジリア





































昨夜、本門佛立宗ブラジル教区のブラジリア親会場に於いて一座のセッションを奉修させていただきました。


とってもフレンドリーで楽しい夜になりましたー。本当にありがとうございます。


行宗師の決意は、ブラジルの首都・ブラジリアにお寺を建立すること。その決意は並大抵ではありません。日像菩薩のご奉公を思い重ねます。佛立第25世ご講有・山内日開上人が開堂式にお越しくださった時、そう励ましてくださったと聞きました。ありがたいです(涙)。弘通拠点の建立は佛立教務の真骨頂です。


何度か移転を余儀なくされた親会場。今は3度目の場所。立派なご宝前はコレイア御導師のお姉さまの御有志とのこと。


高崎御導師が来てくださり、新しい親会場の整備をしてくださったり、コレイア御導師が泊りがけでご奉公くださったり、みんなのご弘通の想いが詰まっていました。


ブラジリア親会場のご宝前にご挨拶させていただき、感激しました。1955年、日颯上人ご染筆の御本尊さまでした。つまり64年前、日博上人がお側にいた時、ご染筆いただいた御本尊さまです。


何よりも、行宗師の奥さまのご奉公に泣きました。ご宝前のお花は、たいてい御住職の奥さまが活けられています。その美しさ。


僕は行宗師の婚約式に参列しました。2007年のことです。日系人ではない、ハリウッド女優のような女性でした。2人のお子さんが出来て、いま夫婦でブラジリアのご弘通に頑張っている。


ブラジルのお教務さんは中堅の方でも年収100万円ほどの大変な大変な生活です。まさに本物のご弘通ご奉公をなさっている二人にひたすら感動し、頭が下がる思いでした。


子育てをしながら寺院建立のご奉公。昨夜のミーティングの準備も大変だったと思います。ブラジリア親会場のプレジデント(局長)は行宗師より若いルシアナさん。行宗師がサンパウロのご奉公だったので、お寺に泊まって準備をしてくださったそうです。ありがとうございます。


長い文章ですいません。


空港から親会場に行く道中、少し寄り道をしてブラジリアの中枢をご案内くださいました。


祖父である清水日博上人が始めてブラジルに来られたのは1955年、昭和30年のことでした。


その翌年の1956年、ジュセリーノ・クビチェック大統領によって遷都計画が実行に移され、以後3年10ヶ月で新しい首都となるブラジリアが建設されました。


日博上人のブラジル渡航記である著書『コーヒーの壺』の「あとがき」にブラジリアのことが綴られています。


基本的都市計画はブラジル建築界の重鎮ルシオ・コスタ、主要建築物はニューヨークの国連本部ビルなども手がけたオスカー・ニーマイヤーが担当。


街全体が1950年代のレトロなデザインで、すごく素敵です。


都市計画は、カトリック国らしく何もない荒野に2本の十字を引いてデザインされたそうです。蝶々の形にしようとしたとも言われます。現在は上空から見ると翼を広げた飛行機の形をしているそうです。


遷都を計画したジュセリーノ・クビチェク大統領は、ブラジリアの建設現場で掘立小屋に泊まりながら陣頭指揮を取ったといいます。大統領の執務は大丈夫だったのでしょうか?でも、それほど国家をあげた一大事業だったのですね。


そして、ブラジリアが首都になったのは1960年。ブラジルという国の中央中心の地に、リオデジャネイロから遷都されました。


ブラジリアの建設は「人類のプロジェクトとしてはこれほど挑戦的で大規模な物は他に例がない」と評価され、1987年に歴史遺産を持たず、40年未満の都市が異例のユネスコ世界遺産へ登録されました。すごいことです。


昨夜、お参詣くださったいろいろな方とお話することが出来ました。若い人たちも多く、英語ができる方もたくさんいて楽しい会話を楽しみました。


その中で、群を抜いて楽しかったのは佐藤さん。現在101才、来年の1月で102才になる方です。


椅子に座って最初から最後まで完璧にお参りしているなんて当たり前、颯爽と歩き、動きは70才前半くらい(汗)。何度も僕の側まで歩いて来られては100年分の面白い話を聞かせてくださいました。


ブラジリア遷都直後の儲け話とか(笑)。圧巻の元気さ、健康、明るさでした。


「わしゃ2回結婚した。二番目の妻も亡くなったが、最近またわしと結婚したいという女がいて3回目を考えとる。ガッハッハ」


もはやレベルが違いすぎて、「参った!」という感じでした(笑)。


お孫さんとひ孫さんと一緒にお参りされていました。22時半くらいまでみんなで話をして、車までお見送りしました。


さっそうと車に乗り、孫の女性が運転しようとすると「お前の運転は下手だからわしが運転する」と言っていました(汗)。まだ運転なさっているそうです。日本では高齢者の免許の返納が話題になっていて、それも大切な判断だと思うのですが、ブラジル、なんかちょっとレベルが違っています。本当に、そのお元気さを見たら誰でもビックリなさるはずです。ケタが違いました。


その101才の佐藤さんが作ったお盆をいただきました。すごすぎです。ありがとうございます。


とにかく、ブラジリアでのご弘通の一助となれたら幸いです。ホテルに戻ると23時を過ぎていました。


妙深寺ではちょうど11月の月始総講。ウェブを見ると博くんがご挨拶していました。そのままウェブでお参りさせていただきましたが、眠たくて。最後の無始已来を拝聴して落ちました。


今日はクイアバへ空路移動し信要寺、また飛行機でアラサツーバ、そしてリンスへ。大宣寺に泊まらせていただきます。


ありがとうございます。

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