2007年6月8日金曜日

御戒壇について

 家庭の中に「御戒壇」を建立することほど、有難いことはない。実際、私も全てが先代からのお下がりを護持させていただいてきたのだが、昨年ついに自分自身での御戒壇を建立させていただいた。本当にその喜びというか、自立心というか、何とも言えないものがある。
「御戒壇を建立する」ことは、最も尊い信仰の体現。法華経の如来神力品に、
「汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう」
とある中の、
「若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり」
に私たちの信仰のあり方が極まるともいえる。
「園の中でも、林の中でも、樹の下においても、、、、、」と。「白衣の舎」とは「ご信者の家」という意味であるから、そこに「塔」を表す御本尊の奉安された「御戒壇」を建立すれば、その場所こそ「御仏が常にいらっしゃる場所となる」と。
 自分で建立する御戒壇に、御本尊をお迎えすることのうれしさ。何とも言えなかった。全てが親からのお下がり、あるいは言われるままにしていたところから、「自分で建立したい」となって、自分から求めるのとは格段の違いがある。お看経も全く違う。「凡夫だなぁ」と思うが、そういうものなのだ。
 スリランカに行った際、ミランダ女史が御戒壇を新しく建立されていた。全てがオリジナルのデザインで、業者の方と何度も何度も打ち合わせをして作り上げたと言っておられた。日本に何度か来られ、たくさんのお寺やご信者さんのお宅にお参詣をされ、そこで御宝前を見られてデザインを練っていったという。
 その新しい御戒壇に御本尊の御遷座をさせていただいた。ラジ女史やアマル氏、アベイ氏なども駆けつけて、とても有難い「御戒壇開き」となった。有難いことだった。

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