2007年6月18日月曜日

「公」について

 今、また新幹線の新横浜駅。17時からのご回向のご奉公をさせていただいて、明日11時からの会議のために京都に行く。慌てて準備をしていると連絡が入り、明日の会議が15時に変更とのこと。疲れた身体にさらにムチ打つような電話に、「参った」という気持ち。しかし、一緒に明日ご奉公していただくことになっているひろし君は既に新幹線の中だと留守電が入っていたので、私が行かない訳にはいかない。しかも、出発の30分前ではどうしようもない。

 いつ書いたが忘れたが、ご奉公とは「公に奉る」と書くように、ご信心でいえば御仏に、それは即ち今の言葉で言えば「Something Great」に、あらゆる人のために我が身、我が時間、お金を「奉る」ことであろう。このことを忘れると、口では「ご奉公」と言いながら「私に奉る」で、「ご奉私」になってしまうのだ、と。

 しかし、私は最近の官僚機能の腐敗についてつくづく思うのだが、精神論ではなく人間の性として組織は腐敗するのだ。官僚が「公」に奉るという意識を持っていたら癒着や腐敗が起ころうはずはない。しかし起こるのである。あらゆる宗教、仏教に於いても、何度も僧侶は特権階級化し、「公」に奉る姿をしながら「私」だけに終始して歴史に汚名を残した。
 そうはなりたくない。ただ、だからこそ、宗門のご奉公に携わる者には本当の「ご奉公」が求められているのだろう。

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