アマチュアでタイトルを取ってプロになり、ワールドカップにも二度出場させてもらった。上の写真はその時のもの。厳しいレースで、実際には散々だった。ルーキーとしてパンフレットにまで紹介されているのに成績は振るわなかった。特に、米国のトッププロであるビクター・シェルドンに周回遅れにされたことは忘れられない。「ビュー」っと真横を吹っ飛んで走っていて、レベルの違いを見せつけられた。
写真のように、レースは1年で15戦ほどあり、ヘルメットを被ってコース・レーシングを行ったり、フリースタイルといって飛んだり跳ねたり潜ったりする技を演じるものがあった。プロになってから、パーソンズというアパレルメーカーがスポンサーになってくれて、マシンの調達、メカニック、遠征費などを出してもらっていた。
同時に、このスポーツの安全のためのパンフレットに出たり、韓国に派遣されたり、映画「彼女が水着に着替えたら」にも出演させてもらった。織田裕二さんのデビュー映画であり、私の大好きな原田知世さんが主演の映画だった。当時、織田さんは撮影の待ち時間があると釣りばかりしていた。こんなに素晴らしい俳優になられるとは思っていなかった。別の映画では沖縄ロケを2ヶ月くらい行い、大学を休んで撮影することもあった。
プロになってしまったのだから当たり前なのだが、大学時代はスポーツばっかりしていた。そんなこんなで、留年までしてしまったのだが。
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