お参詣は、地元お参詣目標としていた1300名を見事に突破。本当に、これも有難いご奉公でした。教区や部、班で、お参詣を呼びかけ、声をかけてくださった皆さまに感謝いたします。ありがとうございます。
今は、無事に終わってホッとしている。参詣目標の成就は、一つの指標であり、本当にありがたい。お参詣の「目標」も、それそのものが「目的」になってしまうと変なことになる。お教化も、お参詣も、「目標」とはご奉公をする私たちの目標。あくまでもバロメーター、指標で目的化しないようにとご披露を重ねている。当たり前だが、土曜日にお参詣した方は日曜日には数えない。ご奉公くださる方々は、ほとんど土日の両日お参詣くださっているのだから、それを倍に数えても意味ない。「開導会へのお参詣」なのだから、当たり前。数字をアップさせても意味がない。
先代の御住職がご遷化されて御10回忌。つまり、私が住職となってから丸9年が経過した。その間、帰寂された方は実に294名もおられる。驚くべき数値だとは思わないだろうか。今日も、このお参詣数を聞いて、法号簿などを引いて見直してみた。やはり、294名。しかも、その中で120名もの方々は、「この人!」と思われるご信者さまで、正宗徒(つまり御講の願主)でお寺や御講へのお参詣をよく為された方々だ。
一人の方が亡くなるということは、本当に大変なこと。家族の中でご信心の柱となっておられた方が亡くなれば、なおさらのことだ。そのご家庭でのご信心、お参詣が止まってしまうことがある。家族みんなに声をかけ、家族みんなを連れてお参詣してくださっていたような方が亡くなるということは大変なことなのである。妙深寺は、この9年間に、294名もの方をお見送りし、その内でも120名もの家庭の信心的な柱をお見送りしたことになる。これは、大変なことなのだ。
何とか、そうしたご家庭のご信心を、前に、前に、ご信心は尊いのだ、有難いのだ、とお伝えしていく。それが出来なければ、お会式などのお参詣は、徐々に、でも確実に、減っていってしまう。そこを見て、そこを見極めることが大切で、ご奉公の在り方の反省が出来る。妙深寺は、120名もの信心的支柱を失ったご家庭へのご奉公を進めさせていただくと共に、新しい方々がお会式などにお参詣されるようにお勧めしてきた。「ご高齢だったとはいえ、これほど素晴らしいご信心の方々を多くお見送りしてきたのだから、お参詣は増えなくても仕方ないが、何とか現状の目標を維持してゆこうではありませんか」とご披露してきた。
しかし、今日の開導会でお参詣者の方々を拝見していても、やはり新しい顔ぶれの方々で、「あれ、あの方は存じ上げないなぁ、あの方のとなりということは◇△教区かなぁ」という感じ。有難いことだが、ちょっと丁寧なご奉公が出来ていないと、引っ込んでしまうかもしれない。だからこそ、一回一回のご奉公を大切に、一歩一歩、この尊いご信心を前に進めていただきたいと思う。
とにかく、お参詣が増えていること、参詣目標が成就したことが有難い。ありがとうございました。
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