そう思っても簡単じゃない。あっという間に時は過ぎていってしまう。昨年から、ずっとこの日を目指してご祈願、言上をさせていただいてきて、もちろん、この後も御正当年のご奉公は続くのだが、なんとなく、慌ただしいご奉公の中で過ぎてしまったのでは申し訳ない。
今月の教区御講では、立正安国論についての御題のある御教歌を拝見させていただいた。
「米やりてしばし命をさゝふとも 信心せねばたすけかひなし」
この御教歌の御題に、「安国論に曰く」というお言葉が使われている。「安国論に曰く。謗法の供養を許さすと、仏説御引証」と。大変に、深い御教歌で、一般的な感覚、価値観からの脱却を迫られていると拝察する。
お祖師さまの、怖いほどの信念、信心が推察できる。御教歌では、「お米を差し上げて少し命を支えようとしても、結局ご信心をさせなければ助けた甲斐がないのだ、助けたことにならないのだ」とお示しになられている。この部分の大転換。私たちの一般的な「慈悲」「施し」についての価値観を、転換しなければ、仏教の深い部分が分からない、なぜお教化なのか分からない、菩薩行とは結局は何か分からないということになる。
仏教で大切なのは「施」。最近「和眼施」などはよく語られている。人に施す、人に供す、ということは、徳を積む上で大切な教えであり、修行に違いない。しかし、この「施」も、見方を変えれば、「人を助ける」というよりも、「自分の満足のため」ということにもなりかねない。これは、本当に難しい部分であり、厳しい部分でもあるから、軽々に書けないけれど、自己満足の、偽善の、一過性の、「いいことを」がある。それは、長い目でみれば、その人にとって苦しみを増すだけだったり、周りを困らせ、世を悪くするだけであったりするはずだ。
私は父の闘病の時に迷った。脳挫傷の時と癌の時。延命処置。尊厳死の問題や脳死の問題も書かなければならないと思うが、私は実体験として、脳挫傷の時には延命処置を有難いと思い、癌の時には痩せて苦しそうにしている父を見ながら疑問が心に浮かんだ。私たち家族は、自分たちの感情だけを優先して「生きて、生きて、何でもやって」と言っているのではないか、と。事実、父は亡くなる直前にバタバタと脈を取ろうとする医師や看護士に対して、「もういいよ。もういいよ」と優しく語りかけておられた。「命をささえる」「たすける」「助け甲斐」。
しかし、あの時、ガイドの男性も、インド出身のご信者であるラジ女史も、断固として「絶対に物乞いの人たちに金銭を与えてはいけないのです。あの後ろには、恐ろしい人たちがいて、「やはり、子どもは観光客から金が取れる」と見ると、さらに別の村からさらわれてくる子どもが増える、一向に不幸な子はなくならない、インドという我が国も良くならない、と言っておられた。彼らを助けるのは、もっともっと違う方法でしなければならないのだ、と。「警察、州政府…。でも、そこも腐敗してるが…」と言っておられた。だから、観光客は、安易に金銭を与えてはいけない、むしろ不幸な子どもを増やすことになる、と。
同じように、一般的な「いいこと」の価値観を転換して、本当に、「人を救う」「世を救う」とは何か、御仏は法華経に於いてどのような方法によって人や国、世界を苦悩から救えると仰せだったのか。立正安国論でお祖師さまは、天災や人災が相次ぎ、混沌とした中で苦悩して生きる人々を見据えて、その方法を示された。「仏説御引証」とは、それはお祖師さまの自説ではなく、あくまでも「御仏の説かれたこと」をお引きになって、という意味である。
実際、この御教歌の御書添に、御教歌を詠まれた背景をお示しになっている。
「東山八坂辺りに、餓死する親子三人ありと。助けたり、とて、謗者の、命をつぐ、罪あり」
全く厳しい。全く厳しいことだが、このようにある。この御教歌は明治18年にお詠みになられた。開導聖人は明治17年2月に麩屋町にお住まいになられたのは先述したとおりだが、歩いて15~20分くらいの場所、麩屋町から四条に出て(歩いて1分)、四条大橋を渡り、八坂まで(約15分)。その距離で、飢え死にをした親子3人があった、と。それでも、京都市内には、まだまだ飢えた家族が溢れていて、インドの子どもではないが、そこで何をしようとも、本当に人を救う、この混沌とした世を救うためには、立正安国論でお祖師さまが説かれたとおり、一人でも多くの人に「信心(=正法正信)」を伝えなければならぬ、そうでなければ助けたことにならぬ、助けた甲斐もない、と仰ったのだった。
このことを、肝に銘じないと、佛立信者でも、分かったようで分かっていないという人が大勢出てくる。お教化がなぜ大切か。「いい人」は、前に「ど~でも」が付いてしまうことがよくある。教えをいただいている私たちが「どーでもいい人」になってどうする、と。
今日は、天候不順で延期されていたのだから、わざと合わせたわけでもないのだろうが、スペースシャトル「エンデバー」が打ち上げられた。この日は、ちょうど40年前の、1969年7月16日、アポロ11号が打ち上げられた日だ。そして、40年前の7月20日、アポロ11号は人類初の月面着陸に成功した。人間がはじめて地球以外の「地(?)」を踏んだ。この画期的な大事業を祝して、7月20日は日本だけの「海の日」ではなく、全世界の「宇宙記念日」とされている。記念の「時」が続くものだ。すべてに、意味がある。
とにかく、人を助ける、ということを、もっと深く考えて。自己満足や偽善や一過性のものに終わらさないこと。「信心をさせねば、助けがいがないではないか」と思うことが、立正安国論の御意であるのだから。
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