2009年7月31日金曜日

どこにでも

 一昨日になってしまったが、その日の朝から、相談員のご奉公をさせていただいた。

 今年からはじまった「相談員」というご奉公は、とにかくお参詣されているご信者の方々と身近にお話をさせていただきたいということでスタートした。お教化の相談をはじめ、自分自身の悩みでもいい、日頃思っていることを私に伝えていただきたい、何でもお話してください、とスタートしたのだった。やってみなけりゃ分からない、はじめなければ時間も作れない、ということで、スタート。

 今日(31日)まで、住職の担当。ありがたい。時間の隙を作ることは許されない。教務部は本当に厳しいのだ。今月の教務会で話し合っていたら、「とにかく住職の空いている時間を出せぃ」ということになり、ご奉公させていただくことになった(汗)。きびしー(涙)。でも、ありがたい。

 まるで、病院の診察のように、受付で申し込んでいただいて、順番にお話をさせていただいた。

 一昨日は、自律神経失調症、パニック障害から広場恐怖、うつ病を併発された(そう、病院では診断するだろう)方とお話をさせていただいた。この方はご信心をされて間もない。苦しんで、苦しんで、怖くて、怖くて、ご信心で救っていただきたいと願って、入信された。

 今月の教区御講。御法門中に、ご信者方の席はざわついた。ザワザワ、バタバタ、と。御法門を説かせていただきながら、「どなたかが倒れたのではないか」と思っていた。しかし、途中で辞める訳もいかず、そのまま説かせていただいた。そして、御法門終了後、一人のご婦人が紹介されて前に出てこられた。その方は、御法門を聴聞しておられて、涙が溢れて涙が溢れて、ずっと泣き続けておられて、それを周りの人が心配して、介抱していたのだという。前に進み出てこられたその方と、そのままお話をさせていただいた。その苦しみ、その悩み、今の状況、すべて、痛いほどよく分かった。

 そして、進むべき方向、ご信心の仕方についてお話をさせていただいた。彼女は、トイレにも入れない、恐ろしくて、恐ろしくて、ドアノブを握っている、と仰った。パニック障害になれば、寝ることも出来ない、起きることも出来ない、苦しい、怖い、それは良く分かる。「身体の病気の方がマシだ」と思い、「この怖さから抜け出るには、死ぬしかないのでは」と思ってしまうほど、想像を絶するほど恐ろしい、苦しいものなのだ。

 私は、心の薬は御題目しかない、お看経しかない、ご宝前の前でお看経している、でもお看経も怖くてできないだろうと思う、立ち上がる、部屋をグルグル回る、でも、でも、それでも、またご宝前に戻って、お縋りする以外にない、お縋りして、ジタバタしても、御題目をお唱えしてください、必ずよくなります、電車にも乗れるようになる、バスにも乗れるようになる、とお話をさせていただいた。

 この方とお会いするのは二度目。一昨日の朝お会いしたら、本当に元気そうで、ビックリした。あの御講から家に帰ってからの会話を教えてくださった。「うれしい、うれしい、うれしい、と家に帰って言っていたら、息子が『一体、何がそんなにうれしいの?』と聞くから、『今日はお寺の御住職さんと話して、本当にうれしいのよ』と言ったんですよ」。本当に、ありがたい。しかも、今は毎朝5時半にお看経をされているとのこと。家から出られないので、せめて朝一番のお看経をさせていただいている、と。いや、でも、今日、こうしてお寺に来れたんです、と喜んでくださっていた。なお、ありがたい。

 とにかく、こうしたお話はゆっくりとさせていただいて、もう一度、あの恐ろしい波、暗闇、パニックが起こってきている時こそ、SOSの電話をしていただいて、お助行に駆けつけるからね、とお伝えし、必ずよくなる、バスにも、電車にも、乗れるようにならなければとお話しした。そして、いつものように、「何より大切なのは、目的と意志、purposeとwillです。何のためによくなりたいか、どうしたいのか、ということ。健康になったら好きなことして遊びたい、ではなくて、どうせならば、お教化親の上村さんのように、苦しんでいる人を助ける、上村さんにくっついて、誰かのために動けるように、そのために、健康になりたい、治していただきたい、と思ってくださいね。目的と意志を、大切にして」とお話をした。残念ながら、いま、目的と意志に迷って、生きているのに、死んでいるような人が多いから。それじゃ、生きていないから。生きていけないから。

 とにかく、毎日、寺報の原稿もあり、お助行、ご祈願、たくさんご奉公があるが、このような機会を持てたことに、感謝している。最初こそ、「相談する方、いるかしら?」と思っていたが、思わぬ方からお話をお聞きできたり、近況の確認、新しいお教化のお話もあって、本当にありがたい。

 そのまま、一昨日の夕方は、清顕とお助行へ。これは、言葉にならぬ。ずっと、行かせていただきたかった方のところへ。以前の清顕のブログで詳しく書いてあるが、彼は、事故で、今から約15年前から首から下が動かなくなってしまっている。ずっと、ベッドの上での生活を余儀なくされている。

 お母さまはご信心をされているが、彼は若い頃からキリスト教を信じ、本門佛立宗のご信心には一分の理解も示さなかった。拒絶すらしていた。事故の後も、牧師が彼の家にたびたび来て、毎月のように話をしていたという。その姿を、母は、見なければならなかった。

 お母さまは、そんな彼を何とかしたいと思っておられた。彼も苦しいだろう。しかし、その母親の気持ちを考えてみて欲しい。想像を絶する。言葉にもならない。身体も、彼を支えるために酷使し、心も晴れることなどありはしない。ずっと心に重荷を抱えて生きてこられており、キリスト教を信じて、なお苦しみから逃れられない彼を、何とか救っていただきたい、と何度も、何度も、お話しされていた。

 黒崎さんの支えもあり、清顕がお助行に行ってくれた。私も、念願が叶って、ようやく彼の部屋に入ることができた。彼は、いま、猛烈に、私たちが想像もつかないほど、苦しんでいた。15年間の中でも、最も苦しい中に、彼はいた。

 薄暗い部屋。そこに入り、彼にはじめてご挨拶をした。ようやく会えた。しかし、はじめて会う感覚ではなかった。彼にとって、音は恐怖だった。身体が動かないのだから、恐怖を感じて当たり前だ。家の外を走る郵便局のバイクの音でも、怖い。何かあっても、動けない、逃げられないのだから。首を、ほんの数センチ、上げて、表情で語ってくれるが、その彼は、小さな、ささやくような声で、会話をする。彼は、うすく眼を開いて、私の顔を見てくれた。そして、二人きりにしていただき、彼と話をした。私は、彼の世界に下りていった。

 細かいことは書けないが、彼は、ささやくように、しぼり出すように、私にお話ししてくれた。死ぬこともこわい、生きるのもこわい、過去もこわい、未来もこわい、夜がこわい、朝もこわい、と、そう、話してくれた。痛いほど、彼の気持ちが分かった。私は、彼がいる世界から、彼と一緒に出てこようと決めた。とにかく、そうご奉公させていただきたい。ささやくように、言葉を交わして、私から、今日は、説教じみたことは、言わないです、また、来させてください、とお伝えして、家を後にした。最後に、彼の見せてくれた笑顔が、忘れられない。本当に、忘れれないし、忘れない。

 今日の朝も、相談員としてのご奉公で、ありがたかった。

 午後からは警察に行き、留置場で、ある青年をたずねて、面会に行った。先週、御本尊をご奉安されたご家族。何とか、このご家族のお力になりたい。彼と会い、15分間、話をした。眼を見て、話を。留置場の面会室。ご両親が両脇に、私は真ん中に座って、真っ正面の彼と話した。刑務官のように面会の様子を聞く方が彼の背後にいるが、何度か留置場での面会をしてきて私は慣れてしまった。以前は、面会室で、無始已来を大きな声で唱えさせていただいたこともある。

 短い時間なので、彼に、真っ直ぐに、話をさせてもらった。彼は、明日17時に出てくる。そのまま、お寺に。そこから、立て直す、と約束をした。そのために、またご奉公させていただく。

 生きた、お寺。本物のお寺、それは普通のお寺であり、本来のお寺。佛立寺院の存在価値、教務の存在価値は、そこにしかない。力不足だが、本当に、教務にならせていただいて、よかった、と思う。どこにでも、いつでも、あなたが、立ち上がるためなら、はい上がるためなら、恐ろしい、こわい、苦しい世界から、抜け出すためなら、どこにでも。自分のような人間に生きる価値があるとすれば、こういう場所しかない。命が、すり切れるまで、こうしたご奉公が続けていければと思う。

 警察から渋谷まで。渋谷からの帰り道、ゆたかなビレッジに寄らせていただいて、末岡さんを表敬訪問。ありがたかった。

 ありがたい。明日、早いので、寝ます。

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いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...