清顕は、青山学院大学の在学中に、佛立教務になることを志して得度した。佛立教務の家族でも親戚でもなく「在家(ご信者さん)」からの得度者で、本当に有難いと期待している。
その清顕は、開導会の夜に、お助行で朝方までご奉公していた。開導会の後といえば、朝から真夜中までのご奉公が続き、心も身体もクタクタになる時。その夜に、ご信者さんからのSOS、本当に苦しんでいる声に対して、迷うことなくご奉公に出掛けた。その信心、その姿勢、行動力、ご奉公ぶり。それを、丁寧に文章にまとめていること。それが、有難い。佛立教務とはこうであらねばならぬ。いつも、怒ってばかりいるが、褒めてつかわす(笑)。
下記に、清顕の文章を載せさせてもらいたい。
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このご家庭はご信心をされて一年。お母さんと娘さんの二人暮らし。ちょうど昨年の開導会の時にお参りされ、奉安の教化になりました。このお母さんがもう30年も前から精神的な病で苦しんでいて、いろいろな宗旨にも行ったということですが、何とか良くなりたいということで妙深寺にお参りされました。
実は娘さんも成人になっておりますが、中学から登校拒否をしており、現在、高校卒業の資格のとれる学校に通学をしております。
娘さんとも話をする機会があるのですが、娘さんとしてご信心には抵抗のある様子。それでもお母さんが少しずつでも良くなっているということを喜んでおりました。
いつもはお母さんから連絡があるのですが、この日は娘さんからの着信。ただごとではないなと思って出たら、大泣きをしながら叫んでいました。
話を聞くと「ひとつの収入源がなくなってしまう、生活ができない、もう生きてられないとお母さんが言っている、お母さんが怖い」と泣き叫んでいました。
よっぽどのことだなと思い、すぐに行きから待っててと行ったのですが、少し落ち着いて、このお母さんと電話口でお話をしました。事情を伺い、「落ち着きました」ということなので「じゃあ、今日は遅いので明日、お助行に伺います」と電話を切りました。
そうしていると、0時30分にまた娘さんが連絡があり、お礼の電話かな?なんて思っていたら、先ほどと同じように泣きながらの電話。さきほどとまったく状況は変わっていないということでした。
お母さんは「来ないでください」と言ってましたが、「行きます」と押し通して、とりあえずお数珠だけ持って、シャツとジーパンという格好でしたが、ずっと娘さんと電話で話しながら向かいました。
家に着き、お参りさせていただき、お話を伺い、私からもお話をさせていただきました。最近はお寺参詣も無く、お看経も上がらない、御宝前は埃をかぶってしまっている。ちょうど娘さんの手術があったので、そのことも影響をしたのだと思います。
娘さんからも「お母さん、ちゃんと信心するって言っても、してないじゃん!」と。内心は「娘さんも信心しないと…」と思いましたが、拒否をしていた娘さんにしては前向きな言葉があり、有り難かったです。
帰りは3時頃になりましたが、よく考えてみると同じように苦しんでいる家庭が一体どれほどあるか。ましてやそこに御本尊もなく、ご信心もなく、お寺との繋がりもなければ、「人生に諦める」という選択になりかねない。
帰りは3時頃になりましたが、よく考えてみると同じように苦しんでいる家庭が一体どれほどあるか。ましてやそこに御本尊もなく、ご信心もなく、お寺との繋がりもなければ、「人生に諦める」という選択になりかねない。
ご信心こそ最後の砦であり、最良の方法。根本を良くしなければ、本当の意味で良くはなりません。
私たち家族が、祖父が行方不明の時に、同じようにご住職に助けていただき、その姿を見ていますので、こうやってご奉公させていただけることが大変に有り難いです。
私たち家族が、祖父が行方不明の時に、同じようにご住職に助けていただき、その姿を見ていますので、こうやってご奉公させていただけることが大変に有り難いです。
今日も伺ったら、さっそくこのお母さんが料理を作り、娘さんと一緒に食べておりました。娘さんの将来もあるので、何とか幸せになってもらいたいです。いや、ご信心があれば、必ず幸せになれる、乗り越えられる。
本当にご信心の必要性を痛感します。
清顕、
清顕、
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佛立第八世講有・日歓上人のお話を思い出す。日歓上人の伝記は、50年以上前に妙深寺初代御住職・日博上人が書かれているので、そちらを読ませていただいたことがある。そこには、日歓上人が青年教務だった頃のことが書かれている。
日博上人は、世田谷別院にお住まいになっておられた日歓上人のお側にお給仕され、さまざまなことを教えていただいたという。その当時のノートが残っていて、そこにはビッシリと佛立教務道、若い頃のお話、ご奉公体験談、御利益談などが記されていた。それを、文章にまとめて伝記とされたのである。
日歓上人とお師匠であられる四世日教上人とのお話。そこから、関東開教草創期の仲むつまじい師弟関係や、後に「日本第一の弘通家」と呼ばれるようになった巨人としての日歓上人の片鱗が伺えるエピソードがある。
日歓上人がお若い頃のある朝、朝の勤行に出てこない日歓上人を四世日教上人が起こすシーン。日教上人が起こしに行く。日教上人は寝ている弟子の布団に冷たい一升瓶を突っ込んで起こされていた(笑)。珍しく日歓上人が寝坊した朝、日教上人が起こしに行き、一升瓶を布団に突っ込むと日歓上人が寝ぼけて日教上人をぶってしまったというのだ(汗)。
きっと、こんなお話を、日歓上人は「こんなことをしてしまってね…」と若い教務であった日博上人たちにお話になったのだろう。しかし、日教上人は、日歓上人のこの失敗の後で、「清歓(日歓上人の僧名)は仕方ない。朝一番から真夜中までご奉公をしておるからのぅ。」と言ってくださったという。
このようなお話を聞いて、朝寝坊が許されると思ったら大間違いだが、それでも朝だけ起きて午前中は昼寝して、夜も早くから寝るというだけなら、きっとご弘通は出来ないだろうし、ご信者さんも助けていないのではないかと思わなければならないと思う。
佛立教務の真髄とは、「いざ」という時、ご信者さんがSOSを出されている時に、飛んで出て行って助けるところにあると思う。少なくとも、「日本第一の弘通家」といわれた日歓上人のご奉公の姿や日博上人のご奉公の姿勢をお聞きしてゆくと、そのように思う。
清顕が、こうして夜中に飛び出してご信者さんのために動く、お助行させていただく、ということの有難さを、私たちが住むこの世知辛い世の中で、「こんな場所がある」「こんな人がいる」ということを知っていただきたい。佛立信心、佛立宗のお寺、佛立宗の教務とは、何とありがたいことだろうか。ミッション系の大学を卒業して得度した、清顕のご奉公から、佛立教務のご奉公を、あらためて感じて嬉しくなった。
ありがたい。妙深寺では、こうしたご奉公を目指している。
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