「以怨報怨」と「以徳報怨」
「信心は浄水器」
「経王にたのめ」「毎日たのめ」「自分でたのめ」
「まず、自分が変われ」
「仲良しで仲良くしているだけではダメだ。外へ」
ご宝前係のご奉公をしていたムツミ君が、開導会のご奉公が終わった後、私に言っていた。「今日の御法門で本当に感激しました。僕、もう一度、一から信心します。自分が変わらなかったから、周りの人を幸せに出来ないんですよね。僕、変わります」と。本当に、ありがたい。
今日、聴聞させていただいた御法門の全てを書かせていただきたいが、そういうわけにもいかない。それぞれ、自分の感じたこと、みなさんが聴聞された、感じた、感動したポイントを、ふり返ってみていただきたい。忘れてはもったいない。
世間一般、普通なら、「怨みは怨みで返す」のが当たり前。しかし、それでは自分も不幸になり、他人も不幸になるばかりだ。儒教ですら、このような言葉がある。「以怨報怨」と「以徳報怨」。怨みを怨みで返すのではなく、怨みを抱かれても、何か悪いことをされても、それを信心で返す、菩薩の心で返せるようにする。そうすれば、功徳を積める、現証の御利益をいただく、彼も助かり、我も助かる、世も良くなる。
◇「信心は浄水器」
浄水器は、汚れた水、汚染された水を綺麗にする。汚染された水を飲んでいたら、身体を悪くし、健康を害する。そうならぬために、浄水器を付ける。私たちのご信心は、浄水器、浄水器のフィルターのように、私たちを守ってくださっている。このことを忘れるな。

◇「経王にたのめ」「毎日たのめ」「自分でたのめ」
このキーワード、忘れられない。忘れたらいけない。「経王」とは、「諸経中王 最為第一」との御文より。御経の中の王、ナンバー1の教え、御本尊さまに頼む、お縋りすること。ナンバー2やら、何か訳の分からないものではダメだ。
そして、それは昨日やったからいいや、ではダメ。昨日ご飯をたくさん食べたから今日はいらないとか、そんなことはしてはいけない。身体を壊す。そんなことをしないものだ。毎日、させていただくこと。
さらに、自分で頼む、お縋りすること。人にやっておいて、ということは通用しない。お母さん、お看経しておいて、ご祈願しておいて、というようなことはあり得ない。この開導会のお参詣も、家族の代表で来ました、と言っても家族に参詣の功徳はいかない。参詣の功徳は自分一人。自分でしなければならぬ。

とにかく、私は、今日も開導会で何度もご披露したのだが、言葉だけではなく、御法門だけではなく、実践で、自坊で、ご弘通で、現証で、体当たりでご奉公されている藤本御導師の御法門は、スッと、スーッと心に響く。心に染み込んでくる。口先、理論だけ、「衣は立派で自坊は衰退」なんて、説得力ない。どうしても耳に入らないし、心に染みない。自分も、そうならないように、体当たりのご奉公をして、ご弘通の実践をさせていただかなければ、そう思われてしまう。
本当に、今日はありがたかった。
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