2009年7月19日日曜日

心に響く御法門

 気迫のこもった、そして優しく、明るく、笑いもある、心に響く御法門、圧倒的な現証の御利益を交えていただいて、本当に有難い御唱導をいただき、御法門を聴聞させていただいた。お参詣者は幸せだったと思う。きっと、ずっと忘れられないキーワードを、御導師から聴聞できたのだから。


 「以怨報怨」と「以徳報怨」
 「信心は浄水器」
 「経王にたのめ」「毎日たのめ」「自分でたのめ」
 「まず、自分が変われ」
 「仲良しで仲良くしているだけではダメだ。外へ」

 ご宝前係のご奉公をしていたムツミ君が、開導会のご奉公が終わった後、私に言っていた。「今日の御法門で本当に感激しました。僕、もう一度、一から信心します。自分が変わらなかったから、周りの人を幸せに出来ないんですよね。僕、変わります」と。本当に、ありがたい。
 今日、聴聞させていただいた御法門の全てを書かせていただきたいが、そういうわけにもいかない。それぞれ、自分の感じたこと、みなさんが聴聞された、感じた、感動したポイントを、ふり返ってみていただきたい。忘れてはもったいない。

◇「以怨報怨」と「以徳報怨」

 世間一般、普通なら、「怨みは怨みで返す」のが当たり前。しかし、それでは自分も不幸になり、他人も不幸になるばかりだ。儒教ですら、このような言葉がある。「以怨報怨」と「以徳報怨」。怨みを怨みで返すのではなく、怨みを抱かれても、何か悪いことをされても、それを信心で返す、菩薩の心で返せるようにする。そうすれば、功徳を積める、現証の御利益をいただく、彼も助かり、我も助かる、世も良くなる。


◇「信心は浄水器」

 浄水器は、汚れた水、汚染された水を綺麗にする。汚染された水を飲んでいたら、身体を悪くし、健康を害する。そうならぬために、浄水器を付ける。私たちのご信心は、浄水器、浄水器のフィルターのように、私たちを守ってくださっている。このことを忘れるな。

 浄水器にもいろいろある。宇宙で使われている浄水器は、どんな腐った水も、飲める水に変えてくれる。おしっこでも。こういうことは、安い数百円の浄水器ではダメ。世間には、いろいろな信仰があるようだが、それでは、不安の多い社会、怨みや妬み、騙し騙されというようなことが蔓延する世の中で生きていくのは厳しい。浄水器がなくて、汚染された水を飲んで、いつかおかしくなる、健康を害するということになってしまう。絶対に、良い、最高の浄水器を使うべきだ。それが、私たちの信心。


◇「経王にたのめ」「毎日たのめ」「自分でたのめ」

 このキーワード、忘れられない。忘れたらいけない。「経王」とは、「諸経中王 最為第一」との御文より。御経の中の王、ナンバー1の教え、御本尊さまに頼む、お縋りすること。ナンバー2やら、何か訳の分からないものではダメだ。

 そして、それは昨日やったからいいや、ではダメ。昨日ご飯をたくさん食べたから今日はいらないとか、そんなことはしてはいけない。身体を壊す。そんなことをしないものだ。毎日、させていただくこと。

 さらに、自分で頼む、お縋りすること。人にやっておいて、ということは通用しない。お母さん、お看経しておいて、ご祈願しておいて、というようなことはあり得ない。この開導会のお参詣も、家族の代表で来ました、と言っても家族に参詣の功徳はいかない。参詣の功徳は自分一人。自分でしなければならぬ。


 もう、本当に、ありがたい御法門だった。書ききれない。書いてたら、朝までかかる。ご利益談、カナメくんのご利益談も、悦子さんのお話も、書きたい。書きたいけど、書いてたら寝れない。

 とにかく、私は、今日も開導会で何度もご披露したのだが、言葉だけではなく、御法門だけではなく、実践で、自坊で、ご弘通で、現証で、体当たりでご奉公されている藤本御導師の御法門は、スッと、スーッと心に響く。心に染み込んでくる。口先、理論だけ、「衣は立派で自坊は衰退」なんて、説得力ない。どうしても耳に入らないし、心に染みない。自分も、そうならないように、体当たりのご奉公をして、ご弘通の実践をさせていただかなければ、そう思われてしまう。

 本当に、今日はありがたかった。

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