2014年2月28日金曜日

賢治展の終了




月末の妙深寺は一番忙しい日。ギリギリとなりましたが、帰山してから残っている原稿をギリギリに提出して、3月を迎えます。まだまだ終わりません。明日は月始総講ですしー。

海外ご奉公中、ご祈願をいただいた皆さま、本当にありがとうございました。

空港では、お坊さんの大集団に遭遇しました。仏教という一筋の光、そしてそこに広がる多様性と飽和。

そして、今日、17時をもって5ヶ月間にわたって開催して参りました宮沢賢治と法華経展」が無事に終了いたしました。

述べ来館人数は、昨日までの集計で4794名とのこと。本当に、たくさんの方々にお越しいただきました。有難いです。

月が変わると新しい展示が始まります。目下、小野山淳鷲師を中心として準備が進められています。

「東日本大震災3年 復興支援 ハチドリのしずく展」

後援として、京都府、京都新聞社、KBS京都さまに就いていただくことが出来ました。淳鷲師が京都を駆け巡り、資料を提出しながら、お力添えをいただけることになりました。

その他、東海新報社さまをはじめ、たくさんの団体や関係者の皆さまにご協力をいただきました。

はい次ー!という感じで、頑張ります。

2014年2月27日木曜日

スリランカの警察署

もう少しで日本に戻りますー。あと18時間。

そうしたら、すぐに3月1日ですねー。去年のことを、思い出します。去年の春は、とにかく宥ちゃんでした。

あっという間に春。もう花粉が舞っているでしょうねー。

今回はセンターに一番近い警察署に行きました。

大した用事ではなかったのですが、ほとんど手書きの書類を作る作業、とても懐かしくて感動しました。

大きなカーボン紙を敷いて、フリーライティングで僕が文章を書き、包装紙で補強してある書類にコピーを貼り付け、もう一枚に署長さんがサインして完成。

お世話になりました。

日本に帰国したら、この書類が通用するかどうか、頑張ってみますー。

プラスティ



いろいろなことがありますが、今回、自分のスリランカでのご奉公も、達人の域に入ったと思う出来事がありました。

スリランカやインドでは、道路の両側をたくさんの人が歩いています。本当に、ゾロゾロと、絶え間無く人が行き来している感じ。

それが、南アジアの風景ー。

良潤師の運転で御講席に向かい、彼らも別のお助行に行きました。

僕の御講が終わった時点で良潤師が迎えに来てくれて、みんなでセンターに向かって車を走らせていました。

ふと道路の左側を見ると、2人のカップルが歩いていました。その後ろ姿から、青年会のプラスティだと思いました。

「ねえ、プラスティじゃない?」

良潤師も、後ろに乗っていたダスンも、「まさかー!」という感じでしたが、そのカップルを通り過ぎる時にダスンが確認をして、

「あー、プラスティー!」

と叫びました。

そう、本当に、プラスティでした。

これは、すごいんです。あんなに人が歩いているスリランカの街角で、青年会の男の子を、しかも後ろ姿で見つけるなんて。

もちろん、2人を車の後ろに乗せて、センターに向かいました。

運転していた良潤師も、少しは僕のことを見直してくれたようです(笑)。

みんなで、大笑いすることが出来ました。楽しかったです。

2014年2月26日水曜日

お参りの姿

御講ミーティング。たくさんのお参詣をいただき、有難かったです。

 

アヌラーダが、Canonの高性能なカメラで、いっぱい写真を撮ってくれていました。

 

僕のカメラは壊れてしまったので、アヌラーダが撮った写真をもらいました。

 

そこに写る、一人ひとりの顔。

 

お看経の姿。

 

前局の海外部が、スリランカのご信者さんのために、日本の皆さまから古いお数珠を集めて、私たちはそれをお預かりしてスリランカにお届けしてきました。

 

10年前、私たちのお数珠を持っているメンバーは、ほんの数人でした。

 

でも、今では、こうして御講にお参詣する数百人全員が、本門佛立宗のお数珠をお持ちしています。

 

当たり前のようで、当たり前ではないこと。

 

本当に、これもステップアップ、積み重ねですね。

 

今回も、お数珠のお開眼のお願いと、授与式がありましたー。

 

日本の、どなたかが大切にしていたお数珠が、いまスリランカのご信者さまの手の中で、大切にされていることを、お伝えしたいです。

 

ありがとうございます-。

 

今回、福岡御導師からご指導をいただいて、本山初灯明料についてご披露させていただきました。

 

本門佛立宗の伝統的な功徳行、毎日毎日、コツコツと積み重ねて、一年のはじまりの、最初の一燈を、本山のご宝前にお供えさせていただくご信心。

 

このご奉公、この功徳行で、どれだけ多くの方が御利益をいただいてきたか。

 

スリランカの方々も、ぜひ知っていただき、実践していただきたい。

 

ご有志の、その後の使われ方を言うのはどうかとも思いますが、それでもこのご奉公によって、宗門としてのご弘通ご奉公、こうして海外でのご奉公もさせていただけているのです。

 

まず、御導師のご指導のとおり、それぞれのセンターでお話させていただきました。

 

越えられないハードルは用意されていない。

 

完璧なタイミングで、そのハードルは目の前に来ている。

 

だから、いまのスリランカHBSには、いまの課題があります。

 

そのことについて、良潤師と、ゆっくり、じっくり、お話をしました。

 

若い幹部の方々にも、しっかりと自覚をもって、ご弘通の現状を見据え、いいところはもっと伸ばし、問題のあるところは迅速に改良するようにと、話をしました。

 

他人事ではなく、もっと主体的に、ご奉公のプランを考えるべきだと伝えました。

 

エリア毎の責任、ご奉安させていただいた御本尊さまへのお給仕、巡回助行、信徒名簿のリニューアルなど、課題は尽きません。

 

しかし、あっという間に夏が来てしまいますから、次のご奉公までにアクションプランを考え、進めておいてもらいます。

 

とにかく、お参りいただいている方々の、顔、姿、ありがたいです。

 

お参詣が遠のいていた方も、今回はお顔が見れました。

 

ありがとうございますー。

歴史



時は流れ、二度と戻らない。

すべてが積み重ねて来た結果なら、いま積み重ねて、未来を信じよう。

泣きながらでも、積み重ねよう。

命には限りがある。

終わりなんて、あっけなく、そして突然訪れると思っている。

だからこそ、大切に、積み重ねる。

誰よりも、意味深く、思惟深く、積み重ねる。

情熱をもって、積み重ねる。

泣きながらでも、積み重ねる。

迷っていても、積み重ねる。

腐っても、積み重ねる。

滅入っても、積み重ねる。

決めた以上、積み重ねる。

そういう道、このスタンスで、生きよう、もう死のう、と決めた。

あっけない、ちっぽけな、自分。

気づかなければ、宇宙の暗黒の中で吸い込まれ、泡のように消えるだけ。

死という絶対。

この圧倒的事実を認識し、猛烈な恐怖を抱かなければ、生命は精彩を欠き、信仰は虚しくなる。

古の僧侶らは、森の奥深くにある、風葬の墓地に赴き、数ヶ月もの間、遺体を前にしたという。

ただただ、ひたすら、遺体を見る。

当然、時の流れと共に、遺体は変化してゆく。

血が巡り、瑞々しく耀く生命というものも、死を経て滅っしてゆく。

死という滅び。

圧倒的な現実。

現実、我が身に起こること。

唯脳論からすれば、愛する人を想う大脳新皮質のどこかも、油をかけられて灰燼に帰す。

もしそうであるならば、彼らは虚無の世界に、いや世界とすらいえない境地に、いや境地でもなく、とにかく、何もない状態、そんな状態と、なる。

「死ぬのはいいが、誰かを想っていたことすら消えてしまうのが嫌です。親のこと、愛する我が子のことまで忘れてしまうなんて」

しかし、それが死だ。

無神論者、唯物論者に於ける、死とはそうだ。

あるいは、仏教を、そのように考えて、迷い込んだ人もいた。

そうではない。

法華経という真理。

法華経という希望。

とにかく、だからこそ、息つく間も惜しんで、積み重ねたい。

永遠に、宇宙の闇の中に、漂っていたかもしれない自分が、こうして陽の当たる場所に出てきて、いろいろな因縁もあって、面倒なことも多いけど、御法さまにお出会いできて、しかも、こんな素敵なミッションに参加できるようになったなんて。

僕は、こういう心境、こういう気持ちで、おります。

良潤師とケネカさんの婚約。

僕は、彼らの存在と、彼らのこれからの、すべてが、奇跡だ、現証の御利益だと、思っています。

言葉には、なりませぬ。

上手には、書けませぬ。

すべては、積み重ねです。

一日にして、成ることなど、一つもない。

果報を、使う人。

その、尊さに、気づかずに、使い続けて、それを自分の実力と勘違いしている人。

それこそ、最も忌むべき生き方です。

教化もせず、教化もできず、そもそも分かりやすくしてくださっている教えを書き写して、それを話して、それで説教がうまいだの、受けただの、あるいはそれすらも感じずに、今日もご奉公で疲れただのと言うのは、視界にも入らないし、話も通じない。

歴史。

あなたが生きて、どうなりましたか。

そう、ご宝前に、聞かれるように思います。

残念ですが、記念すべきご奉公と言いながら、ご弘通が進まなかった記念ご奉公もあります。

僕は、それは本当に恥ずかしいことだと思います。

というか、自分の生命にとって、とってももったいないことだと思います。

お金の無駄、浄財の無駄でもあるけれど、自分の生命を無為に捨てているように思います。

御法さまに、叱られます。

そのお叱りは、きっと、ずっと先だから、分からないのだけど。

良潤師と、ケネカさんと、出会った日から今まで、本当に、嬉しい。

僕は、きっと、いろいろな意味で、ダメなのですが、こういう世界へ伝える次の世代に、希望を託せることが出来て、感慨ひとしお、感無量、とても嬉しいです。

ありがたいですー。

はじめて会った頃の良潤師。

一緒に、スリランカ内戦で生まれた17万人の難民キャンプに行った時の写真。

はじめてケネカさんを紹介してくれた時の写真。

写真はこわいねー(笑)。

2014年2月25日火曜日

良潤師とケネカさんの婚約式

良潤師、ケネカさん、ご両親、ご家族、ご親族、ご友人、ご参集のすべての皆さま、本日は、おめでとうございます。

ケネカさん、本当に美しく、眩しいくらいです。

素晴らしい婚約式となりました。

皆さまに御礼申し上げます。
 
私は、本日の良潤師とケネカさんの婚約に当たり、彼が所属する本門佛立宗・妙深寺の住職として、お祝いの言葉と、皆さまへのご説明をさせていただきたいと思っています。
 
今日、こうして良潤師とケネカさんは婚約しました。

私は、数年前の、ケネカちゃんがキャンディの大学に入る前から、2人の微笑ましい関係を見てきました。

2人は、お互いに尊重し合い、日本と、スリランカ、キャンディと、遠く離れていても、大切にその愛を育んできました。

私は、2人が婚約したことを、仏菩薩諸天善神はお喜びになられている、と確信しています。
 
しかしながら、今日私はHBSの、責任のある僧侶として、皆さんに説明や約束をしなければならないと思っています。

良潤師は、彼にしか歩めない、独特の道、険しい道を歩んでいます。

それは、法華経の教えに基づく、僧侶としての道です。

この人生を選び、歩んでいる良潤師と、ケネカさんは愛し合い、婚約することになりました。
 
今日参列している方の中にも、このことについて理解できない方がいると思います。

「お坊さんが、結婚する」

このことは、伝統的なスリランカの仏教では考えられないことです。

これを、「堕落である」「問題である」と思っている方がいるかもしれません。

しかし、私たちこそ、伝統的な、仏陀の教えに基づいていることを、これからご説明させていただきたいと思います。
 
ディリーパ君は、ロイヤルカレッジを卒業した、将来有望の青年でした。

その彼に、得度を勧めたのは、他でもない私です。

彼に日本への留学を勧め、横浜の妙深寺に寄宿させ、日本語学校に通わせました。

なぜ、このようなことをしたかというと、彼が持っている仏教徒としての資質が、飛び抜けていると感じていたからです。

彼に期待する理由はたくさんあるのですが、長くなりますので今ここでは申し上げられません。

とにかく、私は彼の信心、彼の存在、彼の可能性に、心から期待してきました。
 
そして、私は、彼に得度することを勧めました。

彼は、それは数千年前から約束されていたかのように、私の勧めを受け止めました。

以来、彼は横浜や京都で修行しました。

京都の僧侶の学校へ入学し、多くの日本人よりも良い成績を記録するまで、一生懸命に勉強しました。

これにはHBSの教授の方も驚いてくださっています。

私は、こうした彼の成長を、とても嬉しく思っています。
 
さて、そうした僧侶としての彼は、結婚できるのでしょうか。
 
これも法華経の教えと関係しています。

法華経は、別名「真実経」と言われ、「正直なお経」と言われています。
 
み仏が生きていた時代から1000年間を正法時代と言います。

この千年間は、厳しい先生がいたので、弟子たちも先生の教えを守って頑張ります。お弟子の方々にもそういう立派な資質がありました。正しく教えが行われる時代です。
 
次の千年間は、像法時代と言います。

徐々に先生の存在が薄れてゆき、弟子や信徒たちは仏陀の姿を形にして、つまり仏像を作って何とか敬おうと努める時代です。

しかし、どうしても教えは混乱してゆきます。僧侶の資質も低下してゆき、中には戒律を破る者も出て来ます。
 
こうした二千年が終わると、末法という時代が来ます。

法華経は、特にこの末法という時代に向けて説かれたお経と言われています。

教えは乱れ、僧侶らも乱れ、在家の信徒も正しい教えがどこにあるのか分からなくなる時代。

こうした時代に向けて、最もエッセンシャルな、普遍的な法を、み仏は説かれたのです。

それが、法華経です。

法華経は、僧侶だから救われるとか、信徒だから救われないとか、そうした資質を問いません。

テーラワーダ仏教とか、大乗仏教とか、そういうカテゴリーもありません。

すべての人を導き、すべての人が出来る、すべての人が救われる普遍的な教え。

それが、法華経の教え、ナムミョウホウレンゲキョウを唱える教えです。
 
法華経の行者、日蓮聖人が出現した時、日本の仏教界はとても繁栄していました。

比叡山という総合仏教学校・インドのナーランダー大学のような場所には、たくさんのお坊さんがいました。

しかし、すでに世の中は末法に入っていました。

お坊さんたちは、戒律を守っているように見えて、実際にはお金や地位を求めて、政治や権力に介入したり、陰では食べ物もお酒も好きなように取ったりしていました。

そして、多くの僧侶が、「結婚していない」と言いながら、お寺の外に自分の妻を住まわせ、通っているという有り様でした。
 
日蓮聖人は、末法のこの姿を目の当たりにしました。

それは、正法、像法、末法という予言そのもの。法華経に説かれているとおりだと確信したのです。
 
末法には、本当に戒律を守れるような資質の人間は、いません。

守っているように見せているだけです。残念ながら、それは見せかけです。

もし、守っている人がいたとしても、それでどうだというのでしょう。

その人だけ、救われるでしょうか?

その人と同じようにしなければ、救われないでしょうか?

それでは、すべての人を救い、導くという、み仏の根本的な目的が達成できません。
 
法華経は、正直なお経です。

ですから、法華経の行者、日蓮聖人は、末法には戒律が無い、唯一あるとすれば、この南無妙法蓮華経をすべての人に伝え、苦しむ人びとを救うことである、皆を無上道に導くことである、と説きました。

ですから、私たち法華経の僧侶は、特別な戒律を持つ、特別な存在ではありません。

普通のご信者さんと変わりません。

しかし、私たちは、みなさま以上に、御題目を強くお持ちし、1年365日、御題目で人を救うために努力します。

そして、ご信者さまよりも率先して、深く教えを学び、それを重ねてご信者さまに伝えるのです。

これが法華経の僧侶です。
 
法華経は正直です。

法華経には裏も表もありません。

法華経の僧侶はオープンです。

法華経の僧侶はご信者さまと変わりません。

私たちは結婚もします。

しかし、その結婚は、法華経の御題目を広宣流布するための結婚であり、苦しんでいる人を救うための結婚です。個人の欲望を満たすためのものではないのです。
 
法華経のエッセンスは、すべての人を救うということです。

法華経第13章にあります。

法華経の僧侶の、こうした正直な姿を見て、見せかけの僧侶たちは馬鹿にするであろう。

「そんな教えは彼らが勝手に作ったものだ。」

伝統的なテーラワーダの僧侶や保守的なご信者の方々が言いそうな言葉です。

しかし、この言葉は、はっきりと法華経に記されている言葉なのです。

私たちが、教えを捏造することなど、あり得ません。

正法時代には正法時代の修行、像法には像法、末法には末法のための修行、僧侶と信徒の在り方があります。
 
私は、良潤師とケネカが、この正しい仏法をスリランカ中に、世界中の人に伝え、この世に本当の平和と繁栄をもたらすために努力を重ねると信じています。

二人が一つになることで、世界はより良い世界に一歩も二歩も近づきます。

そして、スリランカは、もっと素晴らしい国になるでしょう。

HBSの正しい教えは、もっと世界に広がってゆくでしょう。
 
どうか、二人を、心から祝福してください。

彼らを祝福することは、自分の幸福を祝福することです。

必ずあなたは幸せになるでしょう。
 
これからも、彼らは、正直に、表も裏も、僧侶も信者もなく、360度、24時間365日、オープンに、本当の仏教を伝えていってくれるでしょう。
 
今日は、本当におめでとうございます。
 
ありがとうございます。
 
長松清潤拝、



2014年2月24日月曜日

スルッとー


女性には、是非スリランカに来ることを勧めたい。

明るいうちからお話するのも何ですが、とにかく、スリランカに来て、まず体感できるのは、アレが変わるということです。

アレ。

アレです。

毎日のお通じ。

僕のような鈍感な男でも感じるのですから、きっと女性は感動するに違いない。

スルッ!スリッ!

ごめんなさい、汚い話かもしれないけれど、とっても大切なはず。

スリランカ滞在中、僕たちはいつもセンターに泊まっています。朝ごはんも、昼ごはんも、夕ごはんも、すべてご信者さまが作ってくださったものを食べるのですが、これが伝統的な仏教文化による「ご供養」で、完全に手作りなのです。

スリランカの手作りですから、全くのオーガニックですー。本当に、美味しくて、こわい農薬や保存料や着色料も防腐剤もありません。

ぼく、思うのですが、本当に、防腐剤などに、侵されていると思うんです。

健康か、健康に影響があるか、よく分からないのに、ものすごく使われているのは保存料、防腐剤。

これが、どのくらい、僕たちの健康を脅かしているか、と考えますー。

便秘、恐ろしいくらいの便秘、ありますよね。

スリランカやインドを旅していると、「水に気をつけて」と言われて「下痢になったー」ということもあるかと思うのですが、僕はほとんど経験がありません。

これも、実際には細菌性よりも神経的な腸炎が多いようです。

怖い病原菌、ノロウイルスなどが流行しているから、みんな神経質になっているとは思うのですが、よーく考えてもらいたいです、バランスよく。

先日、その世界で名を馳せる板前の方とお話をしました。

無味無臭の、保存料・防腐剤。

「食を提供する者として、あの誘惑に勝てる者がいるのか。いないと思う」

そう言っていました。

「万が一、食中毒でも出そうものならば、会社も、お店も終わりなんです。だとしたら、小さなカップ一杯で、無味無臭、味も何も変わらない。それでいて、雑菌を殺して、事故もない。そりゃ、誰だって、パッと鍋の中に入れ、パッとご飯を混ぜる時に入れますよー。」

でも、その方は、自分の体で、感じると言いました。

「でも、そういう自分の作ったものを食べると、必ず便秘になる。腸の中の働き者たちまで殺されていることを感じるんです。だから、怖いけれど、僕らは勝負してる。使わないと決めた。でも、そんなこと、世の中に求めるのは無理。だから、せめて防腐剤ばかりのコンビニのお弁当やらを食べないようにした方がいいですー。」

スリランカに来て感じる、この自然な便通。

日本で生活していて感じる、何か不自然な便通。

これは、きっと食べるものに関係していますね。

ストレッチをするとか、薬を飲むとか、そういうことではなくて、まず口に入れるもの。

加工食品の多さとか、いろいろと考えないと。

スリランカに来て生活すると、こういうことも考えられるんです。

「下痢しないようにねー」

そう言われることもあります。

でも、確かに雑菌の多い水を飲むなんていけないし、そんなことをしたら病気になりますが、こうした途上国にあるオーガニックな食品に対して謙虚に敬意を払って、自分がいかに毒されたものを食しているか、実感、体感できたらいいな、と思います。

自分の腸のすごさを、そこに住んでいる善玉菌たちのすごさを、感じます。ヨーグルトを食べても、防腐剤でいっぱいの食品を食べていたら、意味ないです。

スリランカ、来てみてくださいー。

2日目から、おトイレでびっくりしますー。

ヤシの木の住人



センターの2階から見えるヤシの木。その幹に鳥が巣を作っています。

どんな鳥が住んでいるのか、見てみようとするのですが、残念ながらまだお会いできていません。

きれいな緑色の鳥が来ていたのを見ましたが、その巣の主かどうかは分かりませんでした。

今回のスリランカ出張は、今までの過密な日程の反省と、最近の自分の体力や体調も考えて、ゆったりとしたスケジュールにさせていただきました。

少し申し訳ない気持ち。

でも、帰国すると、いつもながら超過密スケジュールが待っています(涙)。一日も、休むわけにはいきません。

来月11日、東日本大震災から3年目を迎えます。私も髙田に入り、ご回向させていただきながら過ごす予定です。

教区御講、お彼岸、京都での研究発表や教員研修が終わるとブラジル。

痛いスケジュールになっていますー。少しだけ体力を温存しておかないと。

今日はウィージェセケラさんのセンターでミーティングをさせていただきました。アルンダティのかわいいベイビー、さゆりちゃんとも再会できました。

アルンダティが初めて妙深寺にお参詣してから、約10年。もうそんなに経ったんだなー、と、これまでの月日を振り返っていました。

とりあえず、今日はここまで。0時を回りました。

2014年2月23日日曜日

サラナティッサ




ゆっくり書きたいのですが、いつも次のご奉公に追われて書ききれないことがあります。

サラナティッサ師。

ブログでも何度か紹介したことがあると思うのですが、もう7年くらい前にカタラガマという地方都市(スリランカでは聖地の一つと言われている)でお教化ミーティングをさせていただいて、そこで出会った若い僧侶。

由緒ある寺院のご住職は、あの有名俳優、マーロン・ブランドにちょっと似た方でした。私たちにお教化ミーティングの場所を提供してくださった優しいお方でしたが、先年亡くなられたとをお聞きしました。

そのご住職に仕えていた青年僧がサラナティッサでした。彼とは本当に何とも言えない気脈があって、彼は謹んで法華経本門の御本尊を護持したいと申し出て、授与させていただいたのでした。

以来、時が過ぎましたー。

彼は、別のお寺の住職となり、スリランカの世界遺産・仏歯寺の理事の候補になるくらい活躍しているのですが、今日もお数珠をしっかりと握りしめて、お参詣くださっていました。

横浜にも、京都にも、全国にも、こうして結びついたご縁、ネットワーク、絆が、ありがたいです。

そして、こうして積み重ねてきたスリランカのご奉公の中で、テーラワーダの僧侶であるサラナティッサ師と育んできたものも、有難く思います。

まだまだ、書きたいことばかりですが、とりいそぎー

2014年2月22日土曜日

テラコヤスコラ vol.11 「子育て×仏教」1/2

今日、また一つ夢が実現-!

見えていた世界が、モノクロからカラーに変わるくらい、目からウロコの子育て講座。

一人でも多くの方に観ていただきたいですー。

ほんとうは、仏教と、とっても重なっているのに、なぜか、ちょっと外してる-という感じがするはずなんですー。

そんな風に思います、きっと。

だから、ずっと、ここから学ぶことが、大切だと思ってきました。

ついに始まりました-。

これから、グッと長く続けてゆきます-。

今回、山本先生にお越しいただけるなんて、ほんとーに幸せです-。

やわらかいお話の仕方、声、しっかりした理論、ユーモア、明るさ、実例を挙げて説明してくださる現場主義ー。

どれもこれも、勉強になります-。

お教務さんも、恥ずかしくなるくらい反省できるはず。

とにかく、CFCの皆さまにも感謝、京都佛立ミュージアムの、すべての関係者の皆さまにも、感謝、感謝ですー。



美しい一日

美しい道。ひと筋の道。

この美しいスリランカが、シンガポールを目指していると聞いて、複雑な気持ちになりました。

目指しているのは、そこなのですね。

もちろん、シンガポールから学ぶべきことはたくさんあります。素晴らしい発展の実例です。

しかし、資源に恵まれたスリランカが、何もそこを目指さなくてもいいのではないか、と思ってしまう。

何とも言えない気持ちです。

ブータンなどとは違う、仏教国ではあるけれど、激しい内戦も経験し、幸せの価値観は欧米と変わらない。

僕たちが、スリランカに学ぶべきことがいっぱいあったのに、それが消えてしまうようで、寂しい。

しかし、そんなことを言うと、インフラも整い、豊かな先進国に住んでいる君は勝手だと言われてしまいそうです。

大切なことは、その道が、本当の幸せ、自分の幸せ、家族みんなの幸せに、つながるのかということ。

世界がぜんたい幸福にならないかぎり、個人の幸福はあり得ない。

法華経の価値観。

スリランカHBS。

一人で見る夢はただの夢。

みんなで見れば現実になる。

美しい国を守ることは、自分と家族を守ることになる。

差別や格差を無くすことで、自分の地位は奪われない。むしろ、子孫の未来を誇り高くする。

午後、シャンタさんの新しいお宅に伺いました。

お引越しして初めてのお参詣でしたが、さすがにしっかりとご奉公されています。

新たに2ヶ所の地域でご弘通の進展が見られて、新しい方もたくさんお参詣でした。

もちろん、この10年間、ずーっと一緒にご奉公くださっている方々も、チャンダナンダ師もお参りくださって、ありがたかったですー。

行き帰りの道のり、ゾウさんがトラックに乗って移動していました。

スリランカですー。

今日も、美しい日でした。

アサンカ


土曜日の今日、スリランカでも記念すべきご奉公が行われていますー。

詳細は後ほどゆっくりご報告いたします。

午前中のプログラムが終わり、これからシャンタさんと合流して午後の御講ミーティングに向かいます。

大雪の日本から常夏のスリランカ。身体のサーモスタットがおかしくなるほど暑いですー。

そんな中、料理人である青年会のアサンカくんは、昨夜から一睡もせずにご供養を作ってくれていました。

僕は、いつも裏方としてご奉公がしてくれている彼が好きで、いつもキッチンを覗きます。すると、必ず彼がいて、ご奉公してくれています。

彼の家はとても貧しくて、お父さんも精神的な病気を抱え、お母さんも働くことができません。彼が一家を支えているのですが、本当に、苦労の分、とても強くて、誠実。寡黙ですが、素晴らしい青年です。

仏教徒。

ブッディスト。

いい響きです。

ここに、たくさんの意味が含まれています。

世界中で、謙虚に、コツコツと、今日も功徳を積んでいる人がいる、と思うと、ありがたいですー。

アサンカ、ありがとうございますー。

2014年2月21日金曜日

KBS京都「賢治のヴァイオリン音楽会」映像

KBS京都のNEW番組にて放送していただいた「賢治のヴァイオリン音楽会」の映像です-。



「賢治のヴァイオリン音楽会」 動画

「賢治のヴァイオリン音楽会」の動画映像です-。



ハチドリのひとしずく展


ついに、準備が佳境に入ってきました-。

スリランカにいても、頭の中でハチドリが飛んでゆきますー(笑)。

「ハチドリのひとしずく展」です。

すてきなイラストを描いていただき、ほんたうに、光栄。ミュージアム、すごいー!

全部、遠山先生に、ボランティアで描いていただきました(涙)。ほんとうに、すばらしいイラストですー。

東日本大震災から3年。

京都から、北の大地を見つめ、その声に耳を澄まし、あの時、確かに胸に抱いた絆や希望を、思い起こしたいと思います。

よろしくお願いいたします-。

明日の土曜日も盛りだくさん


スリランカ、午前中のご奉公が終わりましたー。

合間を見て、ウェブ会議室から京都で行われている佛立研究所の部会にも参加することが出来ました。

さすがにくたびれましたー。

次の予定まで2時間休憩。

さて、日本でも、明日の土曜日も盛りだくさんの大切なご奉公が予定されています。

まず、横浜妙深寺ではオープンデー。第一回の妙深寺寄席も。

先日、タウンニュースさまがまた掲載してくださいました。ありがたいですー。

そして!京都佛立ミュージアムでは、子そだてに関するテラコヤスコラが開催されます。

これまでにない、まったく新しい角度から照らすご奉公です。また、今週も歴史的なご奉公になると思うのですー。

でも、先週も今週もミュージアムのご奉公に出れていないし、妙深寺のオープンデーにもいないし、完全に「言うだけ番長」になってしまっていますが、優秀なご奉公者の皆さまに支えられて、きっと成功することでしょうー。

一人でも多くご参加ください。

イブの夜はお坊さんでした

今日は余命宣告を受けた方のお宅へお助行に伺いました。膵臓がんステージ4の診断から6年。見事な回復、サバイブ、たくさんの現証の御利益、奇跡の連続でした。まだまだ奇跡が起こると確信しています。 大渋滞の中、横浜まで戻ってきました。とても混んでいました。 ただ一つの命、たった一度の人...