2014年2月25日火曜日

良潤師とケネカさんの婚約式

良潤師、ケネカさん、ご両親、ご家族、ご親族、ご友人、ご参集のすべての皆さま、本日は、おめでとうございます。

ケネカさん、本当に美しく、眩しいくらいです。

素晴らしい婚約式となりました。

皆さまに御礼申し上げます。
 
私は、本日の良潤師とケネカさんの婚約に当たり、彼が所属する本門佛立宗・妙深寺の住職として、お祝いの言葉と、皆さまへのご説明をさせていただきたいと思っています。
 
今日、こうして良潤師とケネカさんは婚約しました。

私は、数年前の、ケネカちゃんがキャンディの大学に入る前から、2人の微笑ましい関係を見てきました。

2人は、お互いに尊重し合い、日本と、スリランカ、キャンディと、遠く離れていても、大切にその愛を育んできました。

私は、2人が婚約したことを、仏菩薩諸天善神はお喜びになられている、と確信しています。
 
しかしながら、今日私はHBSの、責任のある僧侶として、皆さんに説明や約束をしなければならないと思っています。

良潤師は、彼にしか歩めない、独特の道、険しい道を歩んでいます。

それは、法華経の教えに基づく、僧侶としての道です。

この人生を選び、歩んでいる良潤師と、ケネカさんは愛し合い、婚約することになりました。
 
今日参列している方の中にも、このことについて理解できない方がいると思います。

「お坊さんが、結婚する」

このことは、伝統的なスリランカの仏教では考えられないことです。

これを、「堕落である」「問題である」と思っている方がいるかもしれません。

しかし、私たちこそ、伝統的な、仏陀の教えに基づいていることを、これからご説明させていただきたいと思います。
 
ディリーパ君は、ロイヤルカレッジを卒業した、将来有望の青年でした。

その彼に、得度を勧めたのは、他でもない私です。

彼に日本への留学を勧め、横浜の妙深寺に寄宿させ、日本語学校に通わせました。

なぜ、このようなことをしたかというと、彼が持っている仏教徒としての資質が、飛び抜けていると感じていたからです。

彼に期待する理由はたくさんあるのですが、長くなりますので今ここでは申し上げられません。

とにかく、私は彼の信心、彼の存在、彼の可能性に、心から期待してきました。
 
そして、私は、彼に得度することを勧めました。

彼は、それは数千年前から約束されていたかのように、私の勧めを受け止めました。

以来、彼は横浜や京都で修行しました。

京都の僧侶の学校へ入学し、多くの日本人よりも良い成績を記録するまで、一生懸命に勉強しました。

これにはHBSの教授の方も驚いてくださっています。

私は、こうした彼の成長を、とても嬉しく思っています。
 
さて、そうした僧侶としての彼は、結婚できるのでしょうか。
 
これも法華経の教えと関係しています。

法華経は、別名「真実経」と言われ、「正直なお経」と言われています。
 
み仏が生きていた時代から1000年間を正法時代と言います。

この千年間は、厳しい先生がいたので、弟子たちも先生の教えを守って頑張ります。お弟子の方々にもそういう立派な資質がありました。正しく教えが行われる時代です。
 
次の千年間は、像法時代と言います。

徐々に先生の存在が薄れてゆき、弟子や信徒たちは仏陀の姿を形にして、つまり仏像を作って何とか敬おうと努める時代です。

しかし、どうしても教えは混乱してゆきます。僧侶の資質も低下してゆき、中には戒律を破る者も出て来ます。
 
こうした二千年が終わると、末法という時代が来ます。

法華経は、特にこの末法という時代に向けて説かれたお経と言われています。

教えは乱れ、僧侶らも乱れ、在家の信徒も正しい教えがどこにあるのか分からなくなる時代。

こうした時代に向けて、最もエッセンシャルな、普遍的な法を、み仏は説かれたのです。

それが、法華経です。

法華経は、僧侶だから救われるとか、信徒だから救われないとか、そうした資質を問いません。

テーラワーダ仏教とか、大乗仏教とか、そういうカテゴリーもありません。

すべての人を導き、すべての人が出来る、すべての人が救われる普遍的な教え。

それが、法華経の教え、ナムミョウホウレンゲキョウを唱える教えです。
 
法華経の行者、日蓮聖人が出現した時、日本の仏教界はとても繁栄していました。

比叡山という総合仏教学校・インドのナーランダー大学のような場所には、たくさんのお坊さんがいました。

しかし、すでに世の中は末法に入っていました。

お坊さんたちは、戒律を守っているように見えて、実際にはお金や地位を求めて、政治や権力に介入したり、陰では食べ物もお酒も好きなように取ったりしていました。

そして、多くの僧侶が、「結婚していない」と言いながら、お寺の外に自分の妻を住まわせ、通っているという有り様でした。
 
日蓮聖人は、末法のこの姿を目の当たりにしました。

それは、正法、像法、末法という予言そのもの。法華経に説かれているとおりだと確信したのです。
 
末法には、本当に戒律を守れるような資質の人間は、いません。

守っているように見せているだけです。残念ながら、それは見せかけです。

もし、守っている人がいたとしても、それでどうだというのでしょう。

その人だけ、救われるでしょうか?

その人と同じようにしなければ、救われないでしょうか?

それでは、すべての人を救い、導くという、み仏の根本的な目的が達成できません。
 
法華経は、正直なお経です。

ですから、法華経の行者、日蓮聖人は、末法には戒律が無い、唯一あるとすれば、この南無妙法蓮華経をすべての人に伝え、苦しむ人びとを救うことである、皆を無上道に導くことである、と説きました。

ですから、私たち法華経の僧侶は、特別な戒律を持つ、特別な存在ではありません。

普通のご信者さんと変わりません。

しかし、私たちは、みなさま以上に、御題目を強くお持ちし、1年365日、御題目で人を救うために努力します。

そして、ご信者さまよりも率先して、深く教えを学び、それを重ねてご信者さまに伝えるのです。

これが法華経の僧侶です。
 
法華経は正直です。

法華経には裏も表もありません。

法華経の僧侶はオープンです。

法華経の僧侶はご信者さまと変わりません。

私たちは結婚もします。

しかし、その結婚は、法華経の御題目を広宣流布するための結婚であり、苦しんでいる人を救うための結婚です。個人の欲望を満たすためのものではないのです。
 
法華経のエッセンスは、すべての人を救うということです。

法華経第13章にあります。

法華経の僧侶の、こうした正直な姿を見て、見せかけの僧侶たちは馬鹿にするであろう。

「そんな教えは彼らが勝手に作ったものだ。」

伝統的なテーラワーダの僧侶や保守的なご信者の方々が言いそうな言葉です。

しかし、この言葉は、はっきりと法華経に記されている言葉なのです。

私たちが、教えを捏造することなど、あり得ません。

正法時代には正法時代の修行、像法には像法、末法には末法のための修行、僧侶と信徒の在り方があります。
 
私は、良潤師とケネカが、この正しい仏法をスリランカ中に、世界中の人に伝え、この世に本当の平和と繁栄をもたらすために努力を重ねると信じています。

二人が一つになることで、世界はより良い世界に一歩も二歩も近づきます。

そして、スリランカは、もっと素晴らしい国になるでしょう。

HBSの正しい教えは、もっと世界に広がってゆくでしょう。
 
どうか、二人を、心から祝福してください。

彼らを祝福することは、自分の幸福を祝福することです。

必ずあなたは幸せになるでしょう。
 
これからも、彼らは、正直に、表も裏も、僧侶も信者もなく、360度、24時間365日、オープンに、本当の仏教を伝えていってくれるでしょう。
 
今日は、本当におめでとうございます。
 
ありがとうございます。
 
長松清潤拝、



1 件のコメント:

伊那谷 さんのコメント...

ありがとうございます

良潤師さんケネカさん、御婚約おめでとうございます。

おふたりの幸せが、スリランカから世界の幸せに広がることを、こころより祈り上げます。

良潤師の誕生日は8月18日。奇しくもこの日は、伝教大師最澄の誕生日でもありました。わたしはこの合致を、とても偶然とはおもえません。

さらにいえば、開導聖人の御遷化は7月17日でした。良潤師、あなたは選ばれたひとです。

ひとりではこえられない困難も、愛しあうもの同士の力をあわせれば、こえられます。御法様がおふたりを見守ってくださっています。

合掌

ガマゲさんのお参詣

ご弘通は一日にして成らず。もう一つ。3月末、スリランカのガマゲさんが妙深寺にお参詣してくださいました。 2006年、今から18年前にもなりますが、一緒にお助行に巡ったこと、今でも鮮明に記憶に残っている素晴らしい思い出です。コロンボ市内はもちろん、ゴール、カタラガマ、アヌラーダプラ...