2014年2月5日水曜日

脱原発

都知事選が近づいています。

私には投票権のない選挙ですが、このタイミングでの選挙は単なる地方選挙などではなく、名護市の選挙と同様に、とても重要な選挙だと思っています。

私は、東日本大震災という出来事を、世界を襲い、日本を襲ってきた自然災害の中の一つと考えていません。

あの、原発事故をも併発した大災害は、人類史上初めて、全人類が共有した、事実全人類が被災者となった、他に類することのできない出来事だったと信じています。

瀕死にあった社会、瀬戸際にあった環境、浮遊していた人々の心。

私には、最後に人類に与えられたチャンスであると感じられて仕方がありませんでした。

だからこそ、あの東日本大震災を風化させることなく、その意味を噛み締めて、絶対に私たちは変わらなければならないのだと、強い確信を持つに至りました。

実際、年を追うごとに、自然災害は大規模化しています。

「何年ぶり」という言葉を聞いて、「過去にもあったのね」と安心していてはダメです。

その時は、突然やってくるのではありません。大自然は、僕たち人間がもたらすインパクトを、その大きなシステムで受け止めて、必死にバランスを取ろうとしてくれています。

自然は、耐えてくれている。そうやって、暑くなり、寒くなり、バランスを取ろうとしてくれています。

しかし、いま、そのバランスを取ろうとする振れ幅が、大きくなって、私たちが安定して暮らせる限界を、超えようとしているのです。

もはや、リスクは増すばかりです。そのリスクも消費行動を促したり、大型公共事業を納得させるための好材料だと思っている行政、経済界が見え隠れしています。

おかしいです。

このタイミングで起こった東日本大震災と原発事故を、何もなかったように、開発を推し進め、経済活動を最優先とし、何かあれば制御不能となり、有害でもあり、最終的な処分方法も見つかっていない原子力による発電を容認することなど、この日本という美しい国に、出来ようはずがありません。

あまりにも、愚かしいです。

東日本大震災以来、何度も書いてきましたが、私の妻はチェルノブイリ原発事故で被曝し、甲状腺がんになりました。これも、少なからぬ因縁であったと、僕は信じています。

僕のような者の妻が、原発事故の被爆者であり、甲状腺がんであったこと。意味のないはずはないと思います。

福島に暮らす子どもたち。福島に限らず、これから生まれる子どもたちー。

僕たち大人が作り上げた重たい歴史を、私の愛する子どもたちも、背負って生まれてきたのだと思っています。息子たちが、末長く健康でいてくれることを、心の奥底から願っています。

声をあげなければなりません。

妻は、チェルノブイリから130キロ離れた場所に3年間しか住んでいませんでした。それでも、甲状腺がんとなりました。

ウクライナやベラルーシに住んでいた全ての人が甲状腺がんになったわけではない。だからたまたま妻は運が悪かっただけで、彼女の甲状腺がんは原発事故とは関係ない、そんな因果関係を示す人も事実もない。

そういう人たちが大半です。

今でも、コントロール出来ていないのにコントロール出来ていると言ったり、全く問題ない。

日本の放射線の年間許容量は他国に比べて低い。だから問題なのだ。

そういう人がいるくらいです。

事実を無視する発言ばかりです。

過去を無視する発言ばかりです。

日本は、原子力爆弾による唯一の被爆国であるだけではなく、第五福竜丸の被曝という不幸があった国です。こうしたことから、放射能に関する法制度が他国と違うのは当然です。

チェルノブイリ原発事故の後の、ウクライナやベラルーシで調査された結果や第五福竜丸の被爆者に対する検査結果、今回の英国が出している福島第一原子力発電所近隣の動植物の調査結果などを、すべて無視したまま、「原子力発電はすべて安全だ」などと強弁するのは暴論です。これがまかり通るような、おかしな事態を、黙ってみていていられません。

2期目となる安部首相は強いリーダーシップを発揮していると思います。

いい意味でも、悪い意味でも、リーダーシップ不在を嘆いていた風潮の中で、安部首相の積極的な姿勢は、好意的に受け止められていると思います。

しかし、国民がコミットしていないことまで、猛烈なスピードで方向づけられ、決定されているのが実情です。これでは「ねじれ」ていた方が正常だったのではないかと思います。

「民主主義には時間と金がかかる。こんなスピードでは韓国に負けてしまう。韓国などは空港を作る時でも住民を強制退去させて断行する。断行できる国だ。日本は成田空港すら今だに出来ていない。だから負けるんだ。」

こういう言葉を、何度も何度も政治家の方からお聞きしました。ですから、「今こそ!」という思いで、経済政策や外交、安全保障から辺野古への移設まで、この際、何としても断行しようということになっているのかもしれません。

恐ろしいことです。少なくとも、僕はそう思います。これがこうした政治形態の欠陥です。

それが、正しい方向か、あるべき方向かも十分に議論されず、進んでいくのです。

空気。気分。雰囲気。コンビニエンスな日本の、すべて。

一昨日、ずっと書いたまま置いていた「オウム真理教とは何だったのか」という自分の推敲を読み返しました。いつかご紹介したいと思っていますが、あの当時の空気や世論から学ぶべきことがたくさんあります。

オウム真理教の麻原に心酔し、凶悪犯罪に手を染めた彼らが、あの当時は、毎日テレビに登場し、澄んだ瞳で語っていたのです。彼らの背後に隠された、恐ろしい真意、計画、教義を、あの時は暴くことが出来ずに、恐ろしい日を迎えました。

彼らを認め、踏み込めずにいた学者たち。仏教や密教の正当な雰囲気を彼らに与えたダライ・ラマ氏らチベット仏教界。彼らと蜜月を続けた政治家、宗教界、世論。

いま、YouTubeを通じて、臆面なくテレビ番組で語るオウム真理教の幹部たちを観ることができます。これこそ本物の狂気です。

私たちは、あれから何かを学んだでしょうか。

インターネットが普及して、むしろさらに人間関係は希薄になり、情報は薄っぺらなものになり、極端な思想に流れ、無責任さの中で、物事を煽るようなことばかりが目立ちます。

本当に、いま、何とかしなければいけないことが、あるのではないかと思います。

よくよく考えてみて、グルグルっと政権が交代して、何かいいことがあったのか、僕にはよく見えません。

巨大な利権団体や、長らく一党独裁政治の下に築かれてきた官僚機構が、勇躍奮起していることは分かります。それを、強いとか、速いとか、そう感じておられる方もいると思いますが、僕はそうは思えません。

私は、『仏教徒 坂本龍馬』で論証したつもりですが、明治維新以来の、誤謬の中にこそ、解かれていない問題があると思っています。明治維新以来の、決して変わらない勝ち組と負け組、「持丸長者」やエリートたち、日本の小さなロビー、這い上がれない貧しい庶民の苦しみがあると思っています。

巨大なハコモノ行政を敷き、厚生年金施設を次々に建設してただ同然で売却し、平然としてきた人たちに、どうやって新しい未来が作れるのだろうと、思います。

私は、これまでとは違う決断をしてゆかなければ、この国の未来は切り拓けないと思っています。

それは、旧態依然の流れの延長線上にはないし、出来ないと思います。

だから、まず、この選挙で、原子力発電の反対、脱原発を掲げる候補に勝っていただきたいと思っています。もし、投票権があるならば、まず細川氏や、あるいは宇都宮氏に投票します。

脱原発で候補者を一本化できなかったことは、残念至極です。

下記に、インターネットで数多くシェアされている小出裕章先生が画家のイコマレイコさんに送ったメールをご紹介しますが、このことについて冷静に見解を述べられています。

多くの人は共産党の宇都宮候補と、細川氏が一本化できるはずはないと言いますが、本当に残念です。

しかし、ここで何らかの変革を起こさなければ、東日本大震災から学び、気づき、希求した未来は、また大きく遠のくと思います。

私は、脱原発に賛成であり、今はそれ以上のイシューはないと思います。このプライオリティで考えてゆくことが、東日本大震災以降の、私たちのあるべき姿、取るべき行動であると思っています。

■小出裕章さんからのメールです。

都知事選についての意見

私はこれまで、原子力のない世界を求めて、私の場でやってきました。

私以外の方はやろうとしないこと、私にしかできないことを選びながら、やってきました。

私の戦いは「原子力マフィア」と呼ぶ強大な権力が相手でしたので、私の戦いは常に敗北でした。

それでも、負けても負けてもやらなければいけない戦いはあると思ってきましたし、今でもそう思います。

歴史は大きな流れですので、目の前の小さな勝ちを得るためではなく、遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いをするべきだと思ってきました。

私が原子力に反対するのは、単に原子力が危険を抱えているからではなく、それが社会的な弱者の犠牲の上にしか成り立たないからです。

当然、戦争の問題、沖縄の問題など、無数に存在している課題と通底しています。

今回の都知事選に関していうのであれば、私は宇都宮さんの主張に賛同します。

彼にこそ都知事になって欲しいと願います。

ただ、すでに「脱原発」を最大のテーマとして細川さんが立候補しました。

そして、小泉さんが細川さんを支持しました。

小泉さんは小泉構造改革を行って社会的弱者を切り捨てた張本人ですし、靖国神社にも参拝する人です。

私は小泉さんが嫌いだと発言してきましたし、細川さんや小泉さんを支持したいとは思いません。

ただ、今回の知事選での動きを見ていると、これまで反原発・脱原発を担ってきた私の友人、知人が宇都宮さん支持、細川さん支持で引き裂かれてしまいました。

中には相手を激しく批判する人も出てきてしまいました。

私は大学闘争の世代で、当時はたくさんの党派、セクトが乱立し、お互いの小さな違いを取り上げて批判し合い、中には殺し合いすらが起きました。

私は、そうした動きが嫌いでしたし、当時女川原子力発電の反対運動に関わり、その運動に力を貸してくれる限りは誰でも受け入れ、共に活動することを選びました。

今回の都知事選で獲得するべき目標はなんなのでしょう?

負けてもいいからきちんとした論争をするという立場はもちろんありますし、私自身はずっとそうしてきました。

ただし、私が政治、特に選挙が嫌いな理由は、選挙が勝つか負けるかが決定的で、本当に自分がやりたいことだけをやっていることを許さないからです。

そして、今回の知事選では、私は舛添さんに勝たせることだけはあってはならないと思います。

宇都宮さんと細川さんが原子力に反対すると表明し、残念ながら私の友人・知人にしてもそうであるように、必ず票が割れるでしょう。

すでに、告示日が過ぎましたので、宇都宮さんと細川さんの一本化は不可能となりました。

今回、細川さんを支持した人たちの中には、舛添さんを勝たせたくないと思っている人がたくさんいると、私は思います。

残念ながらここまで来てしまえば、それぞれの人がそれぞれの思いに従って票を集めるしかないでしょう。

脱原発の人が多くの票を集めてくれることを願いますが、票が割れる中、舛添さんが利を得ることを私は怖れます。

せめて、究極の目標を忘れずに、脱原発を目指す人たちがお互いを傷つけあうことはやめて欲しいと願います。

私はこれまでにも政治は嫌いで、決して関わらないと公言してきました。

ただ、前回の都知事選で宇都宮さんを支持する旨表明しました。

でも、今回の経験を経て、私はますます政治が嫌いになりましたし、今後は一層、政治、特に選挙からは遠ざかろうと思います。

私の主戦場は「原子力」の場であり、従来通り、その場で私しかやらないこと、私にしかできないことに私の力を使います。

そして、差別のない世界を目指す人たちと連帯したいと思います。

今回の選挙を自らの課題として戦っている皆さんに対しては、申しわけなく思います。

政治が大切であることは十分に承知しています。

政治に関わってくださる皆さんをありがたいと思います。

しかし、私という人間は政治が苦手です。

他の誰でもない私の個性だということで、お許しいただけると嬉しいです。

2014年1月24日 小出 裕章

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