2014年2月6日木曜日

「宮沢賢治と法華経展 雨ニモマケズとデクノボー」図録

「宮沢賢治と法華経展 雨ニモマケズとデクノボー」展の図録が、完成いたしました。

大変多くの皆さまからお声をいただいて、まさに待望の完成となりました。

京都佛立ミュージアムが、精一杯の力を出して、高いクオリティの素晴らしい本となりました。

内容満載88ページの図録には付録としてDVDまでついて、冥加料は社会貢献の命題どおり1000円。あり得ないほどの安さで頒布させていただくこととなりました。

本当に、ありがたいです。

賢治の透きとおった意思と、法華経の尊い精神を、一人でも多くの方々にご紹介できれば幸いです。

すでにミュージアムの受付では頒布を始めておりますが、インターネット等を通じて、どなたでも簡単にお求めいただけるように準備を進めておりますので、もう少しだけお待ちくださいませ。

この図録に寄せた文章をご紹介しますー。

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「宮沢賢治と法華経展 — 雨ニモマケズとデクノボー —」図録

序にかえて

 同じ世界にいるようで、異なる世界に棲み分かれている私たち。同じ風景は同じように映りません。ある人にとって代わり映えのない風景も、ある人にとっては特別な意味を持ちます。

 色を変え、表情を変え、声をあげ、走ったり、止まったり、吹いたり、吸ったりしながら、移り変わってゆく世界。

 森羅万象、千差万別、三者三様。

 写真家は、その一瞬の表情を捉え、独自のアングルや露出を駆使して、私たちが見過ごしている世界を映し出します。

 詩人たちはそれらが放つサインを嗅ぎ取って言葉を綴り、画家たちは心に映った色彩をキャンパスに落とします。

 実に、凡庸な私たちには、捉えがたく、表現し難い世界を、彼らは見事に描き出し、触れる者の心に何かを残すのです。

 世界を捉える繊細な感性と豊かな才能。

 宮沢賢治という人は、私たちの多くが見過ごしている世界から、数え切れないほどの物語を聞き取り、感じ取り、紡ぎ出してくれました。

 目の前にある生と死。厳しくも険しく、儚い世界。

 現実の世界。仮の世界。ほんたうの世界。

 終わりが終わりでなく、始まりが始まりでなく、生命の垣根の向こう側、時空の制限を飛び越えた向こう側に広がる、共生の世界、平等の世界、慈愛の世界、永遠の世界。

 賢治には、他の芸術家と異なる薄いヴェールがありました。

 それをして、誰もが彼の作品に独特の感動を抱き、彼を孤高の芸術家と認めてきたのです。

 私たちは、その薄いヴェールこそ、宮沢賢治が生涯信仰した「法華経の思想」であると考えました。

 法華経から照らせば見えてくる賢治。法華経を重ねれば理解できる賢治の作品。

 知っているはずなのに、あまり語られず、触れられもせず、照射されずにいた賢治。

 「宮沢賢治と法華経展 雨ニモマケズとデクノボー」では、法華経信仰の視点から彼と彼の作品を見つめます。私たちは、それは同時に、東日本大震災以降、多くの人が探し求めている人間としてのあり方を発見することになると信じています。

 類推や思いつきを戒め、膨大な作品や資料を取り憑かれたように読み深め、独特の企画展として完成させたのは担当者の福岡清耀師の情熱と着眼点によります。また、来館者の心深くまで届けようと、創意工夫に溢れた展示や映像を作り出したのは、亀村佳宏学芸員をはじめ、当ミュージアムの委員やスタッフの尽力によりました。

 賢治は、法華経を敬う私たちですら見過ごしている風景を見せてくれます。

 法華経は、仏陀釈尊が最晩年に真の平和と平等を説いた御経と言われています。宇宙原初まで遡り、あらゆる思想や宗教はただ一つの法から生まれたと説き明かし、人類を分化と対立から解き放ち、一つの真理へ導く壮大な思想、法門です。そこには、あらゆる思想や宗教を統合し、人類の意識を次元上昇させようとする巨きな意志があります。

 賢治はこれに深く共鳴しました。『銀河鉄道の夜』に十字架が登場し、多くの作品に世界中の思想や宗教が散見されるのも、この巨きな意志と関係ないはずがありません。

 仏教とはアクションである。いつも言い聞かせている言葉ですが、賢治はまさに法華経が説く「行ッテ」という思想に共鳴しました。お金持ちのサロンのようになっていた仏教の勉強会に違和感を持ち、本の中やテーブルの上、サロンの中に仏教はないとした賢治。人びとの中に飛び込んで、もがく賢治。

 本企画展を通じて、あらためて宮沢賢治という人を発見していただければと思います。それは即ち皆さまの人生の視界を大きく広げることになるはずです。

 日蓮門下として関西圏最古の歴史を持つ本門佛立宗の大本山・宥清寺。その宗務本庁の社屋が老朽化によって建て替えを開始したのは東日本大震災の発生直前でした。大震災発生後、資材が不足しているとの報道に中止も議論されました。被災地優先を条件に建設は継続となりましたが、その計画に大きな変更が加えられました。

 「今こそ、葬式仏教でも、新興宗教でも、観光寺院でもない、ごく身近に脈々と息づく、生きた仏教を伝える場所を設けて、人びとの心に灯を届け、地域貢献、社会貢献を果たそう。」

 こうした命題を抱いて生まれたのが「京都佛立ミュージアム」でした。

 京都佛立ミュージアムは誕生したばかりの小さなミュージアムですが、古いカレンダーや古美術品のような仏教ではなく、誰にとっても欠かせないはずの、生きた仏教をご紹介しようと努力を重ねてきました。

 そんな新米の私たちが、宮沢賢治という巨人を迎えて使命の一分を果たすことが出来ましたのは、宮澤和樹様や宮沢賢治記念館の佐藤勝館長、牛崎敏哉副館長によるお力添えのお陰です。

 はじめて林風舎にお伺いした際、和樹様とお話しながら涙が溢れました。思えば、この企画展を進める中で、何度涙を流したか分かりません。それは本当に温かい涙でした。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 賢治は『注文の多い料理店』の序文を次のような言葉で結びました。

「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふか わかりません」

 私たちもまた透き通った気持ちでこの図録を皆さまにお届けしたいと思っております。ここにある幾きれかが、皆さまの心豊かな、ほんとうの幸に至る、ほんたうの道へと続く、何らかの糧となりますように。

「願わくばこの功徳をもって普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」法華経


京都佛立ミュージアム 館長 長松清潤

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