2014年2月11日火曜日

美しい国、誇りある国

東日本大震災から2年11ヶ月。いよいよ来月は3年目を迎えます。

真夜中の東北道を走りきり、今日は、清康師、清信師、佐藤さん、寺西さんが、陸前高田、大船渡でご奉公してくださっており、先ほど大塔婆の前で、月命日のご回向の一座を終えたと連絡がありました。

ありがたいです。

忘れない、ご奉公。

妙深寺の本堂では口唱会が行われています。

午後には教区御講が予定されています。

この日を、また噛みしめて過ごし、来月は現地で迎えたいと思います。

今日は建国記念日。

この日にあたって、歴代政権ではじめて首相からのメッセージが発表されました。

そのメッセージの中で安倍首相は、「私たちの愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしている」と強調したそうです。

同日、今朝のニュースとして、安倍政権が積極姿勢で臨んでいることの一つ、武器輸出三原則見直し案、国際機関へ武器輸出解禁を検討と報じられました。

アフリカなどの紛争、特に中央アフリカでは国家が崩壊したと報じられる昨今、いったいぜんたい、どこから、武器が流れているのかと、世界政治の闇を見る思いでいます。

国際機関への武器輸出とのことですが、この「美しい」「誇りある国」日本が、すべきことなのでしょうか。

先日の、韓国軍への弾薬の供与とは、少し違います。同一線上で考えることではないはずです。

美しい国。

誇りある国。

どんな国。

坂本龍一さんが「日本は美しい三等国になればいい」と言っています。

美しさと誇りは、その基準とするところが何より大切です。

それは、世界の恒久平和を希求する、日本にしかない歴史、敗戦も被爆国としての歴史も、すべて含めたところから生まれた徳性に因るものではないかと考えます。

万が一、その「美しさ」「誇り」が、一種独特の、戦前に語られていた「美しさ」「誇り」であってはならないと、私は本に書きました。

天皇陛下ご自身が、そうあってはならないと示されました。

そして、昨今の、天皇陛下、皇后陛下のお姿、その気高く、尊く、優しい空気そのものが、日本の徳性だと思えます。

『仏教徒 坂本龍馬』にも引用しましたが、戦中の日本人の誇りとは石原完爾が『最終戦争論』の第二部「最終戦争論」に関する質疑回答、「第四問 東洋文明は王道であり、西洋文明は覇道であると言うが、その説明をしてほしい。」への「答」の文章に見て取れます。

「人類が心から現人神《あらひとがみ》の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。
 最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。」

あの戦争は、明治維新以来、培われてきた、こうした思想の下に行われていたことを忘れてはなりません。

「人間宣言(新日本建設に関する詔書)」を否定する人や勢力もありますが、昭和・平成天皇のお姿に照らして、この言葉を読むべきです。事実、敗戦直後、この詔書を出すに当たり、昭和天皇のご自身のご意向によって、冒頭に明治天皇による「五箇条の御誓文」が入れられたのです。明治維新の根本の理念に、天皇自らが立ち返るという宣言だったことを、忘れてはならないと思います。

「朕ト爾(なんじ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひいて)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。」

こうした話、自分とは、全く関係ないと思っておられる方がほとんどだと思いますが、最近のNHKの放送委員の方の発言しかり、こうしたことが、政権の信仰として見え隠れするので、関係なくはないのです。

全く、安全保障の問題とも、違います。

美しさ、誇り。

大切です。

しかし、それを、何処に求めるかが最も大切な論題だと思います。

人びとを、真に平和にするためならば、この世から戦争を無くすためならば、この世から原子力爆弾を無くすためらば、この世に再び原発事故を起こさせないためならば、「私たちは三流国になることも辞さない」ということが、「美しさ」や「誇り」のように思います。

坂本龍一さんの「日本は美しい三等国になればいい」って、胸に響きます。

決して、弱くなれ、ということではない。

むしろ、強くなるということです。

それが、美しさと同時に、誇りを持つということだと思います。

原子力発電事故を経て、その収束も見えず、そこに住んでおられた福島の方々への生活や未来を奪い、その補償もままならぬまま、原発の再稼働や大間などで新規の原子力発電所を建設し、他国にまでセールスしている国の、どこが美しいのだろう。

普天間は危険に違いないが、その代案が数十年前の計画を踏襲し、美しい海を埋め立てて作ろうとしている辺野古移設しかなく、それを推し進める国の、どこが美しいのだろう。

そう思うことが、たくさんあるから。

今日、思ったこと。

では、御講に出ます。

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