2007年5月26日土曜日

エレベーター設置会議

 午前中はエレベーター設置のための会議。
 妙深寺の本堂は昭和47年8月31日に竣工した。以来、35年が経過している。まさに歴代全ご信者の浄念の結晶として建立された御法さまのお住まいになる「法城(ほうじょう)」であるから、我が家以上に思いを込めて、今の全ご信者で護持させていただかなければならない。
 35年の間、教講(教務さんとご信者さん)一同で大切に維持管理してきた。今までもこれからも、日々の清掃ご奉公に気張らせていただくことは勿論、妙深寺の事務局としては防災管理・耐震構造などの精査・検査、建物の営繕・修復を実施していかなければならないだろう。

 教えていただいたところによると、建築費用というのは建物を維持・管理・修繕していく総額の26%に過ぎないという。その後、時間が経過していく中で約3倍(74%)の費用がかかってくることになる。妙深寺の場合、35年であるから大変な金額になる。

 しかも、妙深寺の境内地には、第二本堂、教養会館や庫裡、教務住宅があり、それらの全てを護持していかなければならない。

 日博上人は横浜駅近くの岡野町に、住宅を改築改築して妙深寺の本堂とし、護持されていた。晩年、三ツ沢への新本堂建立計画を持っておられた。しかし、新本堂を見ることはなく、昭和42年5月4日に御遷化された。
 日博上人は常々「お寺はいつでも建つ」と仰っておられたという。岡野町の本堂はご信者が多くなるたびに増築を重ねて、本堂内は柱だらけだったという。ただ、お寺に集うご信者方が、ご信心によってご利益をたくさん感得されれば、自然に喜びに溢れたご信者さんが生まれる。だから、悪循環の人生から抜け出して現証のご利益をいただけるように、教務には「いかに功徳を積んでいただくか」「いかに罪障を消滅していただくか」「いかにご利益をいただいてもらうか」を常に考えてご奉公せよと教えられた。それが実践できていれば、「お寺なんていつでも建てられる」と仰っておられたのだろう。

  その日博上人の夢を引き継ぎ、先代のご住職は岡野町から三ツ沢への移転計画を推進し、新本堂を建立された。教講一体となって、新本堂建立に向かってご奉公を推進し、新本堂の建設、続いて教養会館、庫裡・教務住宅、第二本堂の建設と大和法深寺・新本堂建立という偉業を成し遂げられたのであった。

 私はといえば、そうした先師、先亡教務、先方の功労者、ご信者方の浄念の結晶である「妙深寺」を護持していかねばならぬ立場である。しかも、時を追う毎に建立された建設物は年をとってくる。
 だから、私は決意している。私の人生はリフォーム人生(笑)。もう一度、「お寺はいつでも建つ」という思いで修復と営繕を細々とやりながら、御法さまとご信者さんを結び、教務部も一丸となって現証ご利益を一人でも多くの人に感得していただけるようにご奉公させていただこう、と。きっと、次のご住職が古くなり危険にもなった建物についてお考えになり、また新本堂の建立などを考えてくださるのではないか。それまで、そういう一大ご奉公が出来るように、喜びに溢れたご信者方をたくさんお育てしておかなければならないと思うのだ。

 今日のエレベーター設置会議は、非常に勉強になった。また、お年寄りのためのエレベーターも、つぎはぎにはなるけれど、どうやら本堂に付きそうである。これでお年寄りがお参詣しやすい、お参詣する気持ちになれば有難い。

 みんなのお寺を護持し、発展させるために、柴山局長が真剣に考えてくださっているのも有難い。

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