2007年5月16日水曜日

人のせいにしないこと


 京都・長松寺に着いた。便利なもので、新幹線で2時間。横浜妙深寺から京都長松寺まで約2時間半で着いてしまう。御総講もあり、横浜にご病気の方もおられるので、今日は後ろ髪を引かれる思いで長松寺の御宝前まで到着した。

 新幹線の中で思う。世が変なスピリチュアル・ブームで、我が身も省みずに他人を判断し値踏みするような時代。これをデフレ社会が及ぼす心理的変化と石川御導師は仰っていたが、まさにそうなってくると、助け合いの精神は一過性のボランティアに変わり、店主と「値引き」を掛け合う風景は消えてゆき、沈黙の内で「値踏み」することばかりが増える。家計のことなら仕方がないが、一人一人の心が何でも人のせいにするようになるから、これが一番恐ろしいことだと思う。
  「人のせいにする」ということこそ、仏教とは真逆の精神だといえる。人間は素晴らしい二つの眼を持っている。この眼と大きな脳を使えば、目の前の人や物、宇宙の果てにあるものまで認識したり、分析したりすることが出来る。しかし、それほど素晴らしい眼を持っていても、残念ながら鏡でもなければ自分を見ることはできない。自分と他人、主客の関係を断ち切るか割り切るかしている間は、自分のことはさておいて、人のせいにして、イライラしたり、恨んだり、憎んだり、落ち込んだりするものだ。そういうアップダウンの激しい、一喜一憂の生き方をどう改めたら良いかといえば、「鏡」である信仰を持つべきとしか言えない。

 もちろん、最近の鏡は良くできているが、昔は鏡にも曲がったものやグニャグニャのものまであった。また、古代の鏡は毎日磨かなければ白く濁って使えなくなった。そう、最近でも洋服のお店などに行くと、足がちょっと長く見える鏡がある。鏡にも様々なのだ。信仰はこれと同じで、特にお祖師さまや開導聖人は信仰を鏡に喩えられた。
 正しい鏡を持てば、人のせいにして勝手にイライラする癖から抜け出せるだろう。しかし、それも鏡を毎日磨いておかないといけないが。毎朝、会社に行く前に鏡を見ないで出る人は少ないだろう。寝ぐせを直したり、歯に汚い食べカスや鼻毛などが出ていないかチェックするはず。心の鏡を持たない人は、心に食べカスやみっともないものを残したまま、出したまま、直すこともしない人。何より、恥ずかしい姿をしていることを自分で気づいていないのだから、さらにイケてない。本人は格好をつけて、高級なスーツを着ているのだがズボンのチャックが開いたままとか、綺麗なドレスに身を包んで「みんな、あたしを見ているわ」と有頂天になりながらスカートの後ろが破れているとか、そういうレベルの恥ずかしい話になってしまう。

 とにかく、意味のないイライラ、ムカムカ、ヘトヘトというのは、「人のせいにする」ということからはじまる。そういう考え方を変えれば、ちょっと時間は掛かるが変なイライラの悪循環は止まる。気持ちよさや落ち着きが戻ってきて、視界が晴れてくるものだ。

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