2007年5月16日水曜日

2000人のチベット僧へ御題目を、

 いま、御総講が終わりました。有難いお話がたくさんあって、 感動した。特に、奉修の終わった後で本山宥清寺の青年会長・増永くんが「ちょっと落ち込んでいたけど、御法門を聴聞して、もっと気合いを入れなければダメだと思った」と言ってくれたことが嬉しかった。あと、大きな声で可愛く宗歌を歌う真優ちゃん(5才)が、「だっこして」と言ってくれたのは嬉しかったなぁ。

 気分が良いので、続きを書きたいと思う。

 「無より有を生ず」という海外弘通の現場は、またとない勉強の場。その第一線で活躍されている福岡御導師は、何しろ肝が据わっておられ、どのような相手(好意的な人、そうではない人、興味のある人、無い人)に対しても最大の効果をもたらすご奉公をなされる。「失敗を恐れていたらご弘通にならん」という断固たるお姿から、小さなプライドを守ろうとしていたら、ご弘通に結びつかないという菩薩行の基本姿勢を再認識させていただく。「あのイチローだって3割打ったらトップバッターや。7割は凡打、三振ということや。海外弘通も日の当たるのは成功ばかりだが、その裏側に失敗がたくさんある」と。

 しかし、分かっているつもりだったが、さすがに今回のバイラクッペのセッションには閉口した。そこはチベットで由緒あるセラ寺院が亡命して作った町。3000人を超す僧侶が起居して修行を行っている特別区である。一昨年、2回目のインド弘通行で、ナーグプルの後で訪れたマイソールという古代都市で交流したチベット僧たちが、今回も私たちを歓迎してくれた。バイラクッペはチベット亡命人の町なので特別な許認可が必要なのだが、彼らの尽力によって今回の特別区でのセッションが実現したのであった。

 そのバイラクッペで、全僧侶を代表するセラ寺院最高位の学僧約20人との対談と、約2000人もの僧侶に口唱行を紹介した。

 まず、リンポチェといわれるダライ・ラマ以外にもたくさんおられる輪廻転生(と信じられている)の僧侶が参加すると聞いた。彼はまだ若く海外でも活躍しているとのことだった。周りの者が厳かに敬っているから、若くても堂々とした雰囲気がある。そして、対談が始まると丁寧な英語で彼らの教えについて語ったのだった。

 私たちは、まず福岡御導師が「法華経の教えに基づく御題目口唱の実践と意義」について、様々な面からお話をされた。宗教や信仰・仏教に縁の無い人でも、あるいは特定の仏教宗派に入っている人でも理解できる内容、流れだ。チベットの僧侶たちも興味深く耳を傾けていた。 

 恥ずかしながら、御導師に続いて私もスピーチをさせていただいた。私が伝統的な日本仏教の僧侶の家系に生まれながら素直に仏道を歩めなかったことと、その頑迷な私でも確固たる信仰を抱くに至った法華経の教え。そして何より私の目を開かせてくださった先住・松風院日爽上人のお怪我と御利益。下手な英語なので、写真を交えてお話をした。

 続いて、巨大な、壁の無い大講堂のような場所に移動した。私は、遠くから歩いて大講堂に近づいていったのだが、赤い絨毯はひかれているのかと思った。しかし、何とそれは赤いチベットの僧衣をまとった若い僧侶の集団だったのである。あぐらをかいて座り、身体を揺らしながら私たちを待っていたのだった。その雰囲気と規模に圧倒されのである。

 少々怖じ気づく気持ちもあったが、ダライ・ラマ師らが座る舞台まで上がって、大御本尊をお掛けした。福岡御導師は、ここでも2000人を超すチベット僧に向かって、ステージの上から「ナムミョウホウレンゲキョウ、、、、、」と唱え方を教えられる。そして、セッションをはじめられ、臆することなく、声高らかに御題目をお唱えされた。これが出来たのは、何より福岡御導師の堂々とした御唱導があればこそであった。上行所伝の御題目を、何としても彼らの耳に入れ、唱えせしめるのだ、という純粋なご弘通姿勢の大切さを改めて思い返した。

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幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...