2007年5月13日日曜日

突然ですが、アダム・スミス

アダム・スミス的な発想のままの米国人が多いのではないだろうか。いや、そんなに考えていないかな。みんな田舎のバーで飲んでいるか、ソファーで衛生テレビを見ているかな。
しかし、米国を横断していて、つくづく感じたことは、これでは、誰も京都議定書に調印はしたくならないなぁ、ということ。大自然が身近にあるから。ゴアがよっぽど大きな声で訴えでもしないかぎり、「国富論」の中でスミスが言ったように「富も資源もいくらでもあるから、投資機会を平等に与えてみんなで獲得競争すれば、非常にうまくいきますよ」というような感覚ではなかろうか。

0 件のコメント:

平和の原点は人間(ひと)の痛みがわかる心を持つこと

  「平和の原点は人間(ひと)の痛みがわかる心を持つこと。」 頭から離れない。8月9日の「長崎平和宣言」で鈴木市長が引用した、被爆者・𠮷田勝二氏の言葉。これこそ、あらゆる国や民族や宗教を越えて、人間ならば人間として人間が学ぶべき何より大切なことだろう。   「平和の原点は人間(...