2007年5月27日日曜日

迷信・邪教的発想にとらわれない

 いま、八王子・清流寺から帰山した。
 朝、書き込みをしてから出かけようと思っていたのだが、時間が全くなくなってしまった。行きも帰りも、あまり渋滞もなく、お計らいだった。17:00に帰山できたのだから、有難い。

 今朝、書き込みをしようと思ったのは、ロータス07さんのブログに書かれた文章に感激したので、その内容を転載しようと思ったのだ。
 ロータス07さんは、ここ数年のご信心だが、その受け取り方、ご信心の進め方に感服している。一言一言が勉強になり、感服する。
 私とはとても親しく、ブログでも紹介していただいた。下記に、文章の内容を添付する。ぜひ、ブログも訪れてみていただきたい。

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 佛立宗のご信心をはじめさせていただいて、迷信や邪教的発想にまったくとらわれなくなりました。仏教をはじめて、よりサイエンティフィックになってきたと感じています。 以前は、おれはサイエンスの担い手だなどと自負しつつも、なぜか、仏滅、大安、友引などのお日柄を気にしてました。寝室では「北枕」を避けてました。子どもの命名では、画数の本をみてました。最終的には、そうした占いの類は一切無視して、命名しましたが。

 今では、仏滅でも友引でも、イベントします。一切関係ない。夜は、今は「北枕」で寝ています。寝室の空間の有効利用という点では、それが一番合理的なんです。こどもも、画数などにとらわれず、好きな名前にしたのですが、本当によかったと思っています。易者さんの提案から選ぶだけというのは、寂しいですね。根拠のない迷信から、解放されました。むろん、従来から迷信にまどわされていたわけではないのですが、何となく気にしていたのです。迷信へのそのわずかな配慮も、しなくなりました。気分すっきりです。お題目一本で十分。ほかに、何もいらない。私自身、やっと「明治維新」を迎えたかなという気分です。それまでは、まだ気分は江戸時代だったのです、今思えば。

 それにしても、世の中、占いブーム。占いなんて、当たるはずがない。仮に当たったとして、それがどうしたのか。自分の運命は、お題目のパワーをいただきつつ、自分で切り開くもの。運命に従う必要はないし、運命に従属することはない。運命は自分で変えるもの。佛立宗のご信心をして、迷信や邪教や非合理なしきたり・慣習などから、解放されて、近代的かつ合理的に生きましょう。西欧的近代合理主義の限界を克服するという問題は、むろん別途あるとしても。


現代経済学と仏教を考える―本門佛立宗ファン・サイト
http://blogs.yahoo.co.jp/lotus_sutra_2007/MYBLOG/yblog.html

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